第2話 ユノ、異世界へ#2

 そうだ、アニメショップへ行こう。

 そう決めてから暫くして、ユノの中の記憶が途絶えている。最後に覚えている明確な記憶は、エルに腋を堪能され、少しばかりムラっとした後、軽い雑談を挟み、アニメショップへ行こうと家を出た頃。少し漠然としているが、その後、電車に乗る為に、最寄りの駅へ向かった。そこからである。ユノの記憶が途切れ、今に至る。

 そして今。ユノは、途切れた記憶の末、全く記憶に無い場所に居た。


「……え?」


 まず、ユノは眠っていたのか、ハッと目を覚ました。寝転がっていた訳ではなく、折り畳み式の簡素なパイプ椅子に座っていたのだ。それでいて、眠りから醒めた割には、目の醒め具合が尋常ではなかった。普段、ユノは目覚めが悪い。朝はアラームに反応し、アラームをちゃんと止めるが、暫く、目が開けられないのだ。故にアラームを止めてから15分程度は、瞼を閉じたまま、ただのんびりと過ごし、20分後にセットしたアラームで本格的に目を醒ます。アラームを止めて暫くしなければ、ちゃんと瞼を開けないのだ。

 しかし、今は違う。眠気は無く、瞼もパッチリと開けられ、寝起きに感じる目の痛みも無い。少なくとも、寝起きのコンディションではない。しかしやはり、ハッと気付いて、現状を理解したため、つい先程まで眠っていたとしか考えられない。

 自分自身の体の状態も、まだ完全には把握していないが、自分以外、即ち現在地などの確認に移った。

 椅子に座ったまま、辺りを見回してみる。部屋の広さは4畳半程度で、壁と天井も床と殆ど同じ面積であり、室内は立方体。天井には照明が埋め込まれているらしく、LEDの白い光が室内を照らしている。そんな天井も、ユノを囲う4枚の壁も、床も、全てが、無機質な灰色だった。コンクリート、というよりは、まるで石のようで、触ればザラザラとしていそうな、そんな見た目だった。

 左右、上下、前後、何処を見ても、景色は変わらない。強いて言えば、天井に照明があるだけで、何も変わらない。窓がある訳でも、ドアがある訳でも、何か家具がある訳でもなく、今現在腰掛けているパイプ椅子以外は、本当に何も無い。


「……私、どうやって此処に入ったの?」


 室内を見回し、外へと繋がる窓やドアが無いことは、すぐに理解できた。しかし、ユノの中に新たな疑問が生まれる。外へと繋がる窓やドアが無い、ということは、勿論、部屋の外へ出ることは不可能。ただ、出ることが出来ないのならば、入ることも出来ない、ということでもある。ではユノは、一体どのような方法で、この完全な密室に存在しているのか。

 さらに言えば、ここは完全な密室であることが理解できた。完全な密室になれば、室内の酸素量が減り、やがては二酸化炭素が充満し、結果、中毒症状に陥り、死に至る。この部屋に座り、一体どのくらいの時間が経過したのかは分からない。しかし、着実に酸素が薄くなり、二酸化炭素が濃くなり、死が近付いていると考えただけで、ユノの恐怖心は徐々に肥大化していった。


「こんにちは、友利トモリ唯乃ユノさん」

「っ!?」


 全く、何も聞こえなかった。近付いてくる足音も、何も。

 全く、何も感じなかった。そこに居た気配も、何も。

 しかし、唐突に人の声が右真横から聞こえ、その瞬間に、誰かがその場に現れたような感覚があった。

 ユノは、驚きのあまり、左側に重心が傾き、簡素なパイプ椅子からつるりと滑り落ちた。それに伴い、パイプ椅子もガタンと音を立てて倒れ、少し、ユノの足に当たった。

 床に転がりながら、ユノは声の聞こえてきた方向を見る。

 聞こえた声は、女性の声である。その声に聞き覚えは無く、全く聞き慣れない声であるが、加工を施したような不自然さは無く、ただ単純に、知らない人の声だった。しかしその声の主は、ユノの本名フルネームを知った上で発言した。ユノ本人が忘れているだけで、古い知り合いなのかも知れない。それらの可能性を踏まえながら、ゆっくりと、ユノは顔を上げ、声の主の顔を確認した。


「誰……?」


 顔を見ても、全く分からなかった。否、そもそもユノは、そこに居た女性のことを知らない。

 へそ辺りにまで伸びた、少しクセのあるロングヘアは、染めたにしてはあまりに自然すぎる空色。

 タレ目気味で、少し丸顔な、童顔。そんな童顔の瞳の色は、シトリンのような美しい黄色。

 背は、ユノよりも少し低い。150センチ前後といった所だろうか。

 フリフリとした、真っ白なゴスロリ衣装を見に纏ったその女性は、何処を見ても、不気味な程に不思議だった。まるで現実離れした、ラノベの登場人物のような、信じ難くもリアルで、不自然であっても美しい、そんな女性だった。


「ティナ、と申します。お見知り置きを」


 ティナと名乗るその女性は、優しげな笑みを浮かべながら、床に倒れたパイプ椅子を拾い上げ、元の位置に置き直した。


「驚きましたか?」

「驚きましたけど……それ以前に、ここは何処なんですか?」

「んー……期待してた反応とは違いますね。もっとこう……『だだだ、誰ですかぁ!?』とか、『ここはどこ、私は誰!』みたいな、馬鹿みたいに混乱して欲しかったですね」

「……帰っていいですか?」

「ダメでーす。それに、もう帰る場所なんてありませんよ。友利さんは死んだんですから」

「……ああ、そういうこと。つまりこの場所は死後の世界に等しい場所で、あなたは神のような存在、ということですね」

「随分と物分りがいいですね。さては友利さん、異世界もの好きですね?」

「ええ、好きです」

「ならもう大抵分かっているとは思いますが、友利さん、異世界に行ってみませんか?」


 これまでに、ここまであっさりと、ここまで円滑に、ここまで簡単に、異世界転生云々を理解してくれる人が居ただろうか。こんな人が現れてしまったのには、昨今のアニメ事情、ラノベ事情、ゲーム事情等が影響しているのだろう。

 2000年代、日本の創作物、大衆作品に於いて、所謂「異世界もの」が大きくその力を増している。昨今のアニメ好き、二次元好きは、異世界ものを好み、数多ある異世界を視聴し、読み、聴き、書いてきた。

 しかし、娯楽が義務になれば苦痛へと変貌するように、異世界ものが溢れた現在、異世界という設定が入っているだけで胃もたれを起こす人もいる。


 また異世界か。

 まーた異世界?

 異世界の二番煎じ。

 最早全てが二次創作。

 異世界飽きた。

 新アニメ異世界ばっかじゃん!

 最近令嬢ものも多いよね。

 ロボットものが多かったあの頃と同じ。

 たまには男臭い熱血もいいよね。

 異世界ものはもういいよ……。

 転生と転移って何が違うの?

 異世界でハーレムしがち。

 どれもこれも似たり寄ったり。

 圧☆倒☆的☆既☆視☆感。


 と言った具合に、胃もたれどころか批判的な声も増えつつある。それほどまでに蔓延した異世界ものの設定は、こうして、ユノから「死後の世界に於ける神やら異世界やら」といったラノベ展開に対する驚きや喜びを奪い去った。慣れてしまった、否、慣れ過ぎた為、ユノは異世界転生を目前に控えた今、対して昂らなかった。

 昂らないが、拒否する訳では無い。何せ異世界転生はユノにとって、憧れに憧れた、言わば将来の夢と言っても過言では無いハプニングなのだから。


「勿論。ただその前に、私の死因を教えてくれませんか? 死んだことは理解できましたけど、どうも記憶が無いんです」

「あー…………教えた方が、いいですか?」

「……なんで、そんな渋るんですか?」

「いや、別に渋ってる訳ではないんですが、その……友利さんにとって、あまりいい話ではないと思いまして」

「人の死になんて存在しませんよ。別にどんな凄惨な死に方でも、私は受け入れますから、遠慮無く話してください」


 ん~……、と、ティナは再度悩んだが、覚悟を決めたようで、すぅ、と息を軽く吸い、ユノの死因を語り始めた。


「友利さん、最後に覚えてるのは、どのあたりの記憶ですか?」

「電車に乗るんで、駅に向かって……くらい、です」

「……友利さんは、日向さんと確かに駅に向かいました。切符も買い、電車にも乗れました。しかし、電車は目的地に着きませんでした。着く前に、電車は止まったんです」

「止まった?」

「正確には、車体が脱線して走れなくなったんです。イタズラの置き石が原因です」

「っ! エルはどうなったの!?」


 またしても、ユノはティナの予想を裏切る発言をした。

 ユノの死因は、ティナが語った通り、置き石により電車が脱線し、その際の衝撃で死亡した。ユノとエルは、東京ではなく、愛媛に住んでいる。2人が乗ったのは松山市内を走る伊予鉄道いよてつと呼ばれる会社の電車で、住宅街から川の上を通り、更に住宅街を抜けた後に、目的地である松山市駅へと着くはずだった。しかし、松山市駅に到着する前、線路が下り坂に差し掛かったところで、電車が浮いた。その辺りは住宅街であり、踏切もあり、意外と簡単に線路内へ立ち入ることができる。故に、線路上に石を置く事など容易で、その容易さに気付いた悪質な犯人により、今回の事件は起こった。

 その電車、その便には、ユノとエル、それと、ほか数名の乗客が居た。通勤帰宅ラッシュにでもならない限り、都会のように、電車の中がぎゅうぎゅう詰めになる頻度は高くない。とは言え、誰も乗っていない訳ではなく、加えて、そこは住宅街。乗客以外に、街の住人が住んでいる。

 浮いた電車はそのまま脱線、横転し、スピードを残したまま線路外へ。すぐ近くの家に車体の一部が激突したが、幸いにも、その家の住人は丁度留守だったらしく、家が壊れただけで、被害者は居なかった。ただ、それは飽く迄もの被害者のことである。

 少なくとも、車内に居たユノは死んだ。横転の衝撃で頭を打ち、割れたガラスが体に突き刺さり、割と凄惨な姿で死んだ。車体が浮き、転び、ユノを殺すまでは、ほんの一瞬の出来事だった。ほんの一瞬で、死を覚悟する暇も無く、ユノは、悪意の込められた石に殺されたのだ。

 ただ、ユノにとって、最優先で知るべきことは、自らがどのような姿で死んでいたか、或いは他の被害、でもなく、エルの安否である。ユノとエルは、隣同士、一緒に車内のシートに座っていた。死んだユノの隣に居たエルが、無事で済んだとは、正直考えられなかった。


「日向さんは、幸い、一命を取り留めました。しかし現時点、意識不明の重体ではあります。それに、割れたガラスによる裂傷と、転倒時の打撲が酷く、仮に意識を取り戻しても、満足に歩くことは暫く不可能でしょう」

「そう……」

「日向さんが、生きることを強く望んでいるならば、きっといつかは回復するでしょうが、友利さんはもう……」


 エルはまだ、生き続ける可能性がある。しかし、ユノはもう生きられない。生きられない、ということは、復活したエルと再会することが叶わない。


「……嗚呼、悔しいなぁ……エルだけ残して、先に死んじゃうなんて……」


 夢にまで見た異世界転生を前にして、ユノは、深い悲しみにより涙を流した。これまで、アニメや映画を見て涙を流したことは何度もある。しかし、アニメや映画以外、自分自身の出来事で泣いたことは、1度も無い。世に生まれいで、17年と9ヶ月も経過したが、今になって漸く、アニメや映画を介することなく、自分自身の感情の乱れで涙を流した。

 悲しく、悔しい。しかし同時に、なんだか、自分が漸く人間らしくなれた、そんな気がした。堪えていた訳ではなく、単純に涙が湧かなかったこれまでの人生を否定し、死後にして人間的になれた。何とも皮肉な話である。


「……泣いてても、何も変わらないよね。ティナさん、エルに遺言を残すことはできますか?」

「目覚めて、且つ現実を受け入れて次第、という条件はありますが」

「構いません」

「了解しました。では遺言を残す前に、友利さんのステータスと装備を調整しましょうか」

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