後編

「もう探してないところはないと思うんだけれど? 本当にあるの?」

 

「ある」

 

「残りは、人のカバンとかロッカーとかくらい。その他で探してないところとかある?」

 

「ノーコメントで」

 

「唯さ、今日一段と冷たいね?」

 

 楓香は流れに逆らわず、さらりと冗談を口にする。唯は相変わらずに、口をつむっている。

 

「そのショートカット似合ってるよ?」

 

「なっ………」

 

 唯は思わず変な声が口をつく。ごまかすように「ごほん」とわざとらしく咳をする。

 

「それ、今朝も聞いたし、私言ったよね? 楓香のポニテの方が可愛いって」

 

「それもいつも聞いてる」

 

「なんで楓香は髪下ろさないの?」

 

「それは、胸に手を当てて考えて?」

 

「胸が無いって言いたいの?」

 

「私は小さい方が好きだよ?」

 

「…………もう」

 

 唯は困ったように、色っぽい呟きを空気に溶かす。そして、息を強く吸い込んで、冷たい息を吐く。

 

「楓香はこんなこと話して、何が言いたいの? 褒めたところで、鍵なんて出てこないよ?」

 

「私はこんなことやめよう? って言いたいの」

 

 楓香の声には怒りが混じっている。話が真剣になるにつれて、楓香の声はとげとげとしていた。


 でも、それを跳ね返すように「やだ」と一言だけ即答する。

 

「私は、こんなぎこちなく褒めあったり、機嫌をうかがったりさ、二人の関係でそんなことはしたくない。何かあるなら正面から言ってほしい」

 

「何を言おうと、鍵の場所は教えない……」

 

「じゃあ、なんでこんなことをしてるの? それくらいは教えてよ」

 

「それは、最初言った通りだよ。私は、楓香のことを一人の女性として好きなの」


 唯の言葉に対し、楓香は無言を貫く。口を開く意思がないと判断したのか、唯は言葉を待たずに話を進める。

 

「私はいつも優しく見つめてくれるその瞳。私の鼓膜に甘く響く温かい声。少し見上げるくらい高くて、いつも包んでくれるその背の高さ。ぜんぶ……」

 

「ちょっと待って! 瞳頑張って大きく見せようとしてるけど全然大きくない! 声だって、よく通るとは言われるけど、よくうるさいって言われるし! 無駄に身長が高いだけ……」

 

「悪く言わないでよ!! 私が好きなものを否定しないで!!」

 

 教室に響くほどの声に、楓香は思わず黙り込む。

「私は大好きなんだよ。ずっと私を守ってくれて、ずっとそばに居てくれて。たぶん、普通だったら仲の良い友達なのかもしれないけれど、私は別の気持ちが芽生えてしまった」 

 

「それは、いつから……」


「た、たぶん、最初から……」


 唯は少しためらいがちに言葉にした。恥ずかしさが、声の中に混じっていた。

 

「さ、最初? まさか……幼稚園のときから?」

 

「幼い自分に、この感情は理解できなかったし、分別もつかなかった。友達と好きな男の子の話をしても、ピンとこなかった……」


* * *


 それは大昔の話。まだ、何もわからない純粋な二人の話。


 ガヤガヤと幼い声が響き合う、明るい教室で、女の子五人くらいでおままごとをしている。

 

『ねえねえ、ゆいちゃんの、すきなこってだれ?』

 元気のいい大きな声が聞こえる。

 

『ゆいはね、ふうかちゃんがすき!』

 

 今よりもずっと幼い声で、しっかりと答える。その言葉のどこにも冗談はなかった。

 

『ちがうよ! おとこのこのはなしだよう』

 

『ゆいは、ふうかちゃんのほうがすきだよ』

 

『ゆいちゃん、いってることがちがう』

 

 そこには幼い笑い声が響く。ただ一人唸っている子だけをおいていって。


* * *

 

 

「あ、あの時言ってた好きって、そういう……」


 楓香は信じられない様子で、声は普段より変に大きくなる。

 

「勘違いでもなんでもない、そういうことだよ」


「じゃあ、唯は……私に対して、ずっとそういう感情で接してきたの?」

 

「ううん、それは違う! ずっと……ずーっと、心の中にしまってきた。だって、楓香が困ると思ったから」

 

 楓香の口から溢れた「それって……」の言葉を、唯は言葉で制止する。

 

「返事はいらないよ。だって、私が勝手にやったことだから。そして、今回も私が勝手にやったこと」

 

「でも、今、私は困ってるよ?」

 

「私は耐えきれなかった。離ればなれになるのに、この想いを伝えずにいられないことを」


 楓香は「離ればなれ?」と疑問を口にして、首をかしげる。だけれど、少し演技がかっているようにも見える。

   

「同じ志望校なのに? 確かに私頭悪いから、落ちるかもしれないけれど……」

 

「嘘つき! そんなの嘘! 嘘だよ!」


 普段のふわふわとした口調からは想像できないくらいトゲトゲした言葉。ある意味核心めいた口調でもあった。

 

「……う、嘘じゃない……よ?」

 

「じゃあこれは何?」


 唯が机の中からペラリと一枚の紙を取り出す。

 楓香には見覚えがあるのか、「……うっ」と軽く声が漏れる。


「昨日提出だった、進路希望調査票。第一希望。楓香は私に黙って違う所を書いている。なんで言ってくれなかったの? 私もそこにしたのに!」


「だって、私は唯ほど頭が良くないの! 前回の模試で結構やばい判定出たの! だから、とりあえず第一志望のランク落としだだけ! それに、唯は頭いいんだから、私に合わせてランク下げられたら、私が悔しい! だから、唯は……」

 

「知ってるよ……。楓香がそう考えることくらい。だって付き合い長いんだもん……」

 

 二人まくし立て合ったあと、唯の声は震えていた。泣いているかのような湿っぽい声で、ゆっくりと言葉にする。 


「で、でもさ、せいぜい隣の県だよ? いつだって会いに行けるじゃん!」

 

「それでも…………私には遠すぎる!! あまりにも、遠すぎるの。だから、こうやって思いを伝えようとしているの」

 

「だったらさ、素直に言ってくれればよかったじゃん! 言ってくれたら、私の気持ちがどうであれ、好きにさせてあげてたよ! 付き合い長いんだから、それくらい唯もわかってるでしょ?」

 

「そんなの、言えるわけないじゃん!! 好きだから、壊れるのが怖い! 言えるわけないじゃん!」


 楓香はその勢いに黙ってしまう。唯は必死に叫んだあと、ゆっくりと冷たい声を発する。


「……それにさ、こういう状況の方が…………楓香にとっても都合がいいでしょ?」

 

 その時だった、『ガンッ!』と教室に大きな音が響く。唯が思わずビクッとして、「キャッ」と短い悲鳴を上げる。

 

「ごめん、脚が机にあたったみたい。……それで、唯はこうやって私に想いを伝えようとしたわけね?」

 

「そ、そうだよ……あと、十分後。私は楓香を好きにするから…………」

 

「そう」

 

 楓香はたった一言つぶやいたいた。

 とても冷たい冷たい一言だった。

 

 * * *


 約束の時間まであと十分にせまるころ、唯は鼻歌を歌っていた。


「ふんふんふんふんふ~ん♪」


 儚いふわふわとした音色で、明るく幼稚な音楽を奏でる。


「これ、幼稚園の時の……」


 楓香の苦いつぶやきは、小さすぎて、鼻歌を歌っている唯には届かない。


 相変わらず鼻歌を歌い、ちょうど一曲終えたところで、唯はこちらを向く。

 

「約束の時間まであと、三分だよ? さっきから座ったままだけど、もういいの?」

 

 楓香は返事をしない。唯は、それに対してもう首をかしげることもせずに、冷たく言葉を発する。 

「じゃあ、あと百秒になったら数えるね」

 

 それでも、楓香は動かない。二人の息遣いが微かに聞こえる中、空白の八十秒が終わると唯がゆっくりと息を吐く。

 

「じゃあ、ひゃく、きゅうじゅうきゅう、きゅうじゅうはち……」

 

 唯は軽快に数字を数える。まだまだ始まったばかりで、まだ何もわからない。だからか、声にも色がない。

 教室には唯のカウントだけが響いて、それ以外の音は聞こえない。

 

「はちじゅうさん、はちじゅうに、はちじゅういち……」

 

 声にはわずかに戸惑いが混じる。何も動かない楓香に対して、このままカウントしてもいいのか、迷っているようなそんな躊躇い。

 楓香は声一つあげないし、一ミリも動かない。ただひたすら、カウントに耳を傾ける。

 

「ごじゅういち、ごじゅう! よ、よんじゅうきゅう……」

 

 唯の躊躇いは徐々に確信へと変わっていく。着々とゴールに近づいているような、少し自信を取り戻したような声音。楓香の声すら、そのカウントには混じらない。

 

「さんじゅうに、さんじゅいち、さんじゅう……」

 

 声に震えが混じってきた。マラソンの完走間近のランナーか、甲子園優勝まであと一球の投手か、緊張と喜びが混じったような儚い声。

 

「じゅうに、じゅういち、じゅう……」

 

『ジーッ』

 そのとき、唯の声以外、何も響かなかった教室に、別の音が混じった!

 

「きっ、きゅう……」

 唯の声は驚きのあまり、裏返る。

 

『ガサガサ』

 ファスナーの滑る音の次は、カバンの中を探る音。

 

「はち…………」

 これまで弾んでいた声も、ひとたびで地に着いた。震えているのには変わらないのに、突然感情が百八十度変わった。

 

『チャリン』

 楓香の手元からは、金属が掠めるようような音がする。

 

「なな……」

 

 その声からは震えも消えた。これまでに比べ随分と無機質な声。だけど、悲しさだけは大きくはらんでいる。

 

『ガタン、ドタドタ』

 

 机が少し揺れ、教室前方では何かが駆け抜けるような音がする。

 

「ろく……ごお……よ…………」

 

『ガチャガチャ…………』



『ガチャン!』

 

 それは、まるで夢を覚ますような、透き通った音だった。

 その瞬間、教室には冷たい風が舞い込んでくる。

 外で木の葉が揺れる音、道路に車が走っていく音に、エアコンの作動音さえ聞こえるようになった。

 

 そして、幾つかの足音と、いくつかのカウントを残して、教室に唯の音は響かなくなった。

 

 

 * * *

 


「……そ、そうだよね」

 

 ずっと静寂を守ってきた教室に、久々に声が響いた。もちろん、唯の声。

 

 無理矢理にでも現実を解ろうとして、平穏を装いながらも、どこか震えを隠し切れていない声。

 

「こうなることくらい、最初からわかっていた。こんな狭い教室に、絶対見つからない場所があるわけがない」

 

「諦めたように見えたけれど、全くの逆だった。灯台もと暗しと思って、楓香のカバンに隠した事くらい、お見通しだった……」


 まるで自分に言い聞かせるよう、独り言を語る。もう誰にも届かない声。

 

「逃げちゃったなぁ…………」

 

「本当に好きだった……楓香…………楓香…………」

 

 まるで懐かしむように、名残惜しそうに、その名をつぶやく。

 声の縁には震えが混じって、どんどん感情が溢れかえってくる。

  

「好きだよ…………好きだよ…………」

 

 唯の声はくぐもった、机に向かってひたすら、感情をぶつけているうちに、教室は再び静かになってしまった。



 教室にガタンと音が響く。そして、目を擦りながら唯が起き上がる。 


「…………私寝ちゃってた。えーと…………三時間も寝てたかぁ……もう深夜じゃん! これはおおごとかなぁ……」

 

 言葉の割に本人の声音に感情はない。


「って……鍵は?? 楓香が持って帰っちゃったかな……」


「でも、まあこの学校は緩いから、間違えて持って帰ったと言えばなんとかなるか……」


「私の心は、もうどうにもならないけどね」


 唯は大きなため息をはくと、ガタリと椅子から立つ。


「じゃあね、楓香……」


 しばらく涙を流したあと、諦めてコツコツと教室を歩く。教壇にも上って、教室の敷居をまたぐ。



 そして、廊下へと出た瞬間。


『バタンッ!』


 唯の背中に大きな衝撃が加わった。あまりの突然さに痛いともいえないうちに、驚きの声を発する。


「えっ……? へ?」


 唯は押し倒されて、何者かに体を押さえられていた。その正体は息づかいだけですぐにわかる。


「つかまえた」


 その声はあまりにも近くて、耳元には吐息がかかる。

  

「なななな、なんで…………ふ、楓香。まま、まだいるの……」


 唯には、もうタネも仕掛けも何もない。無防備な状態で、声を出すことで精一杯だった。


「あまり私の想いをバカにしないでくれる?」


 楓香の真剣な声に、唯は「ふ、ふぇ……」とたじろぐ。

 お互いの全体が重なり合っていて、早い二つの鼓動がはっきりと伝わってくる。


「唯がどれだけ私の事を想っていたか知らないけれど、私だって同じ分だけ唯の事を想ってた。これは間違いない!」


「でも、さっき…………」


「当たり前よ! いきなり好きと言われて、軟禁されて、めちゃくちゃにされるわけにはいかないわ」


 唯はしてきたことの罪悪感から「うう……」と弱気にうなる。その表情に、楓香は「フッ」と笑う。


「さっき、唯がさ、都合がいいでしょとか、なんとか言ってたけれど? そんな気遣いは、いい迷惑なのよ。二人にそんなめんどくさいもの必要ない!」


「で、でも……」


「たしかに、最初は、驚いてましたし、戸惑ってました!」


 楓香は投げやりにそういうと、優しく微笑んだ。


「……でも、今ならはっきりいえる。私も、唯のこと大好きだよ」


 直に感情を食らった唯は、少し過呼吸気味に、息をあげる……。


「ふ、ふつつかものですが、よ、よろしくお願いします」


 唯の声はとても晴れやかで、とても嬉しそうだった。 

 楓香も思わず、喜びの息を漏らした。




「でも、軟禁はダメだよ? もし見つからなかったらどうしてやろうか…………って、唯? 唯??」


 楓香が何度か問いかけても、唯に反応はなかった。ただ、寝息だけはしっかりと聞こえる。


「ちょ、ちょっと? こんなところで寝ないでよ? って気絶? もしかして気絶してんの? いや、起きて! もう帰らないと学校泊まりなんですけど! もう待てないから!」


 そう叫ぶ楓香をよそに、唯は幸せそうな顔で寝息を立てていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中 逃げないように、聖域へ さーしゅー @sasyu34

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ