真夜中 逃げないように、聖域へ
さーしゅー
前編
「あーよく寝た~…………って、私寝てた!?」
静かな教室に、ガタンと大きな音が響く。そして、叫びにも似た間抜けな声も響く。
「……って、外暗っ! さっきまで明るかったのに、真っ暗じゃん! ってか、今何時? あれ? 時計は?」
「外は暗くて、何も見えないね」
必死に焦る声とは対照的に、もう一つの声は、ふわふわしている。
「早く帰らなきゃ! 先生にもお母さんも怒られる!」
「そうだね」とつぶやく柔らかい声には、抑揚がない。まるで他人事のよう。
「唯も待たせてごめんね。のんきなこと言ってないで早く帰るよ!!」
「それは、いや……かな」
「そんな冗談はいいから! はい帰った帰った」
「楓香はそんなにあわてなくても、いいんだよ……」
唯はカツカツと鳴く足音を見送りながら、まるであくびをするかのように答える。
「よくない! よくない! 状況わかってるの! ……………………ってあれ!? 鍵かかってんだけど!」
張り詰めた声をあげる楓香の先、ガチャガチャガチャと勢いよく鍵同士が絡まる。
「嘘でしょ! なんで!!」
楓香の悲鳴が教室に響く。声はキンッと裏返り、悲痛な感情が伝わってくる。
教室にはガチャガチャと激しい音が響くだけ
「……先生私たちに気づかずに鍵かけちゃったんだ…………最ッ低!! ってか、なんで内側も鍵穴なのよ、普通内側からは開けられるでしょ!!」
「それは……先生を閉め出す悪い子が昔いっぱいいたから」
「いや、そうなんだけど! 知ってる! そうなんだけど! 今はそうじゃないのよ!」
「そうじゃないんだ」
息を切らしす楓香に対し、呼吸を乱さず小さな声でつぶやく唯。楓香は木製の教壇にのぼり、少し上から言葉を発する。
「唯、状況わかってる? 私たち閉じ込められたんだよ? こんな雪が降りそうな寒い日にだよ?」
「楓香は寒い?」
「いや、まあ……エアコンがかかっているからいいんだけど、停電でもしたら死んじゃうよ?」
「そんなにあわてなくても、いいんだよ」
「それはいいからさ! ってか、唯こそどうしたの? 一番に怖がりそうなのに…………」
「……なんで……だろうね?」
唯の声音は少し冷たかった。感情が薄く、何か裏に含みを持ったような声。
そんな違和感から「唯?」と反応する楓香の声にも、戸惑いが見え隠れする。
「そんなにあわてなくても、いいんだよ。だって……」
「だって……?」と反復する楓香は、思わず息をのんだ。
その静寂はあまりにも静かすぎて、永遠のように長く感じる。
「鍵は私が持ってるんだから」
「…………よかった~! もう、脅かさないでよ! 唯、さっさと帰ろう?」
楓香から「はぁ~」と安堵の声が漏れる。途端に明るさを取り戻し、緩んだ声が教室に響く。
「いや……かな」
「いやって…………このままじゃ本当に怒られちゃうよ? はい! 帰るから鍵出して!」
少し呆れの混じった、小さな子供をあやすような声も、次第に教室に溶けきって、教室には音一つなくなる。それがあまりにも長いから、どうしても声に不安が混じる。
「……唯?」
唯の席の前に立った楓香は、首をかしげる。
「鍵はね……隠したの」
「隠した…………? なんで?」
楓香は、困惑しているのか、声には怪訝さが混じる。意味がわからず自然と唯の言葉に耳を傾ける。
「それはね……」
教室にガタリ小さく響き、コツコツと小さな足音が聞こえる。あまりにも近づいた唯からは、「えっとね……」とささやく、息遣いまではっきりと耳に残る。
「楓香のことが好きだから」
その囁きは、鼓膜にまでしっかり響く。
「すっ好き!? 私を……?」
取り乱すあまり、よろめいて『バタン』と床に尻餅をつき、「いたたた……」と、打った部分をさする。思わず口をついた言葉もどこから出てきたのかわからないくらい、素っ頓狂なものだった。
「うん、楓香を……」
唯はかみしめるように、名前をつぶやく。
「…………わ、私も唯のことす、好きだよ? そりゃ、ず、ずっと一緒なんだし、嫌いなわけないじゃん! ね?」
楓香はゆっくり立ち上がりながら、ドタバタと言葉を紡ぐ。その言葉が言い訳じみているのはどこか照れが混じっているのかもしれない。
「そうじゃないの!!」
突然の声に、楓香は言葉を失った。確かにその声はさほど大きな声ではなかった。だけれど、唯の声は普段耳をぐっと近づけなければ聞こえないくらい小さい。そんな、唯のこんなに大きな声は初めてだった。
「…………私は楓香のこと、一人の女性として好きなの」
彼女の声音にははっきりとした芯があった。彼女の感情がはっきりと伝わってくる。
「唯、あのね……」
「だから!」
楓香の声は遮られて、唯の声がいっぱいに響く
「楓香が一時間以内にここを出られなかったら、私が楓香のことをめちゃくちゃにする!!」
少し間があった。唯は大声を出したからか、わずかに呼吸が乱れている。
楓香は驚きのあまり、「えっ……」と口から漏らす。
「私が楓香をどれだけ好きか、わからせるから」
付け加えるよう、噛みしめるように発した一言は、とても重い響きを持っていた。
「なんで……」
「もう、こうすることしかできなかったの」
唯の言葉はどこか悲しさも秘めていた。楓香も強く言い返すことができず。「そう」とあいまいに濁す。
曖昧な会話の後。二人は黙り込んでしまった。
しばらくの無音が続いたあとに、楓香はゆっくりと口を開いた。
「わかった……」
楓香は何かを受け止めるよう、何かを覚悟したよう、しっかりとつぶやいた。
* * *
「掃除道具入れも、本棚も、ゴミ箱も……目につくものは大体探したんだけどなぁ……」
楓香はため息をつきながら、ガタリと椅子をひく。「まだまだだね」と笑いながら。もう一つのイスもガタリと鳴く。
「楓香は少し休んだ方がいいと思う。サイダー飲む?」
唯はファスナーを開けて、ガサガサとカバンからペットボトルを取り出す。
楓香が「あと何分」と聞くと、「あと四十分」と帰ってくる。
ペットボトルを受け取ると、キャップをひねり『カチカチ』と開けたが、たまった気が抜ける前に、手を止めてしまう。
「……やっぱ、やめとく」
楓香はペットボトルを突きかえす。
「どうして?」
唯は、不安そうな声音で答える。
「だって、間接キスになっちゃうじゃん?」
言葉がもつ意味の割には、楓香の声は無機質だった。それが不安なのか、唯はさらに真意を問うよう言葉にする。
「いや……なの? いつもやってたよ?」
「少なくとも、軟禁している相手とはしたくないかな」
「そう……」
唯は突きかえされた、ペットボトルを開ける。『シュッ』と悲しい音を立てた飲み口に、そっと口をつけると、静かにソーダを流し込む。でも、小さな口には量が多すぎたのか、『こほん、こほん』と小さくむせる。
二人は黙り込んでしまった。
教室には炭酸が『シュワシュワ』と抜けていく音だけが響く。でも、その音も次第に小さくなっていくから、唯はもう一度サイダーを手に取り、口をつけた。
それでも、また音がなくなってしまいそうなとき、ちょうど『キーンコーンカーンコーン』とチャイムが鳴り響いた。
サイダーの音も同時に消えて、教室に完全な静寂が訪れたタイミングで、楓香は口を開く。
「……じゃあさ、唯」
「楓香?」
「えっと……唯はさ、は、木の葉を隠すならどこ?」
あまりにもぎこちない声に、唯は「木の葉?」と首をかしげる。そして、意味がわかったのか、苦笑いで、言葉を発する。
「それは……森っていう答えがあるけれど、それでいい?」
「いや、そうじゃなくてさ……」
「冗談だよ」
唯は笑いながら軽い口調で答えた。
「えーと、私だったら……森の中に三メートルくらい掘って、そこに埋めるかな」
唯は何でもないといった口調で、とんでもないことを口にした。
「さすがにやりすぎじゃない?」
楓香は思わず勢いよくツッコんだ。そこには、軟禁されていることを忘れた、仲良い二人の面影が見えた。
「私怖がりだから、見つからないか心配で怖くて夜も眠れない。だから、絶対わからないところにする?」
「それさ? 私詰んでない?」
「うん、わかってもらうしかないの」
彼女は少し悲しそうにつぶやいた。
「もう探せそうな所は全部探したんだけど?」
少し不満混じりに声を出す。まるでズルしてないかと言わんばかりに、ぶっきらぼうに。
「人の引き出しとかロッカーとか探っても、私は絶対誰にも言わないよ」
「…………そ」
何か呆れたような、諦めたような声。
「じゃあ、唯の服の中に隠している可能性もあるんだ?」
楓香は少し怒っているのか、少し投げやりの冷たい声を発する。
すると、唯はガタリと席を立ち、コツコツと足音を立てて、楓香の元に近づく。
「何?」と戸惑う楓香をよそに。耳元まで近づいて、淡い吐息を溢す。
「じゃあ、脱ぐよ……全部……」
楓香は黙った。当てが外れたのか、じっと考えているのか、何も声を発さない。
「制服から」
スカーフがするりと外れる衣擦れ音。ファスナーがゆっくりと滑る音。短い髪がさらさらとなびく音色。
静かな教室ではかすかな音さえ耳につく。
「セーラ服は脱いだよ………………調べなくていい?」
教室には唯の声だけが響く。
「机に置いとく。次は、スカート」
机にはふわりと、軽い布切れが乗る。
そして、留め具を外す、小さな金属音に、ファスナーがかろやかに滑る音。そして、ふわりと風を立てて、ふわふわとした装いが体からほどけたとき、楓香が声を上げる。
「……わかった! もういいから、制服を着て!」
「私は気にしないよ? 体育の時だって、いっしょに着替えてる」
机にはもう一枚、膨らんだ布きれがふわりと重なる。
「そうじゃなくて…………本当に大丈夫だから、わかったから!」
「そう……? エアコンも効いてるから寒くないし、楓香以外に見る人はいないよ?」
「それでも、ダメ……」
楓香が言い切ると、唯は「わかった」と無機質に答える。机の上の制服に手を伸ばすと、ガサガサと衣擦れの音が手際よく聞こえる。
唯がスカーフを首から通した時、楓香は「ごほんごほん」と咳払いをする。
「……じゃ、じゃあさ、もう一つ質問」
「もし私がレールの分岐点に立っていて、トロッコがガタゴトと近づいてきている。片方のレールには五人いて、もう片方には一人いる。もし私が方向転換できるなら、唯は私になんて指示を出す?」
「そんな指示絶対に出さない!」
唯の強い語気に、楓香は「へ?」と思わず気の抜けた声を出す。
「楓香にそんな思いはさせない、絶対に!」
「いや……えっと……ちょっ、ちょっとした心理テストだよ?」
楓香は冗談めかすように、少し笑いを混ぜる。でも、緊張からかどうしてもぎこちない。
「だったら、楓香と場所を変わって、一人の方に向きを変えるかな……楓香の目を私の手のひらで隠してね……」
唯のストレートな好意に、恥ずかしいのか少し言葉がもたつく。そして「じゃあ……」と次の質問を口にした瞬間。
「迷いなく、五人の方にする!」
質問も口にしてないのに、回答が飛んできた。
その、あまりの即答ぶりに、楓香は「早いよ……」と苦笑いをする。
「それって、楓香が一人の方にいたらって話でしょ?」
「まあ、そんなところ……」
「楓香のことなんでもわかるよ? だって、幼稚園からの付き合いだから」
唯が噛みしめるように言葉にすると、楓香も「うんうん」とうなずいた。でも、「私も……」と言いかけた、楓香の口は止まってしまった。
「私も……って、言いたいんだけど。私に今の唯はわからないよ……」
楓香は暗い声音でつぶやいた。悲しさや、さみしさも混じった、複雑な声音に対し、唯はゆっくりと深呼吸をした。
「あと三十分もしたら、わからせるから」
唯は、一歩も譲らないといったような、はっきりとした口調でそう言った。
「じゃあ、それまでに鍵を見つけ出せばいいのね」
「楓香はこの心理テストで、鍵の場所がわかったの?」
「大丈夫」
楓香は強がるように、そう言い切った。
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