迎撃戦
四人が立っているのは巨大な蜘蛛の巣の上。
足場が悪く、各々が歩く度に撓んだ糸が波打ち、形を変えている。
それでも人並外れた身体能力を持つ騎士たちは、バランスを崩す事なく糸の上を歩いてゆく。
「敵の姿が見えませんね……」
紡はきょろきょろと辺りを見渡しながら、そう言った。
いつ戦闘が始まっても良いように、刀は抜き身で握っているが……この場にいる四人の他には気配さえ感じられない。
もしや、まだ怪物はこの次元の柱に至って居ないのだろうか?とも思ったが……舞台は怪物が生み出すもの。
エネミーがこの場に居ないのであれば、この最悪の足場に説明がつかない。
「これ、上を走っても大丈夫なのかな……踏み抜いてしまいそうだ」
正義は軽く足踏みして巣の様子を確かめながら呟いた。
どうやら普通に人間が立つ分には糸が切れることは無さそうだが……
『……ジャス君、上!』
「えっ!?」
突然、奏多の緊迫した声が聞こえる。
正義は咄嗟に上を向くが、既に彼の視界は粘着性の糸の塊で遮られていた。
咄嗟に回避しようと試みるが、落下してきたそれが上体から下に被さるようにして足元の巣に縫い付けられてしまった。
「くそ、離せ!不意打ちなんて卑怯な!」
べとべとのそれを頭から被らなかったのは唯一の救いとも言えるが……どんなにもがいても直ぐには逃れられそうにない。
天井もない夜空。
そこに繋がる、尻から出した糸にぶら下がって四人を見下ろす大蜘蛛。
毒々しい黒と紫のマダラ模様のそれは、まるでせせら笑うようにして触肢を震わせる。
姿を現した敵、此度騎士たちが戦うべき相手……
深八咫が飛び退りながら、腕を横一文字に振るった。
目に見えない鎌風の手裏剣が蜘蛛の尻を掠め、糸を断ち切る。
支えを失った蜘蛛はそのまま落下し、巨体を受け止めた巣が大きく波打った。
大蜘蛛は身を起こすと、金属をこすり合わせたような悍ましい鳴き声をあげ、騎士たちを威嚇する。
続けて大きく持ち上げた二本の前脚に、ぼうっと紫色の鬼火が灯った。
それを素早く巣に振り下ろすと、瞬く間に炎が広がる。
まるで血が巡るようにして、炎は糸を伝っていった。
「裁貴さん!」
危機を覚えた紡は咄嗟に巣を移動し、事なきを得たが……炎は正義が捉われている場所にも燃え広がっている。
身動きの取れない彼には、迫る火の手から逃れる手段はない。
「うわああ!?」
やがて、焼き切れた巣から放り出されるようにして正義は闇の中へ落下する。
身体に張り付いていた糸も炎が焼いたらしく、手足は自由になったが……足場のない空中ではそれも無意味である。
紡は咄嗟に髪を結んでいたリボンを解くと、空へ放って浮かべる。
落下する正義を狙い、それを刀の切っ先で押し出すようにして突くと……淡赤の輝きを纏ったリボンは、矢の如く射出された。
風を切って飛来したそれは正義のマントを貫き、虚空へと縫い止める。
びん、と伸び切ったマントの反動で大きな衝撃は受けたが、彼の姿が闇に飲まれることはなかった。
「ありがとう、助かった!」
「すみません。直ぐには助けられませんが……」
「大丈夫!自分で何とかしてみる!」
正義の無事を確認した紡は、直ぐに大蜘蛛へと向き直る。
その前方……焦げ臭い匂いと黒煙の立ち込める中で、大蜘蛛は体躯に見合わぬ俊敏さを持ってエルに迫ると、まるで鞭のように長い脚を振るった。
「くっ……」
強かに打ち付けられたそれを、エルはレイピアで受け止めるが……その衝撃に数メートルほど後方へと吹き飛ばされる。
同時に大蜘蛛を中心にして巻き起こった衝撃波が、深八咫と紡を襲った。
それぞれが受けるダメージ自体はそれほど大きくない。
しかし何度も立て続けに食らってしまえば、いつかは致命傷になり得るだろう。
エルは痺れる手でレイピアを握りなおし、即座に体制を立て直すが……ふとその手に嵌めた白い手袋が切り裂かれ、そこから薄く血が滲んでいることに気づく。
「なるほど……これが普段と違う所か。ネージュ、平気かい?」
『俺は何ともないぜ。エルこそ、気を付けろよ』
「ああ、分かってる。けど……やられっ放しというのも癪だから、こちらから行かせてもらおうか」
エルは前を見据えて半身になると、利き手で構えたレイピアの
そして可憐な装飾に彩られたその
次に大蜘蛛が数多くの眼玉でエルの姿を捉えた時、彼女は既にその眼前まで肉薄していた。
輝く粒子を乗せた、鋭い二連突。
エルのレイピアは、その見た目の華奢さに似合わぬ豪撃を放つ。
大蜘蛛の耳障りな悲鳴と共に、穿たれた大蜘蛛の頭部から体液が飛び散る。
エルはそれを避けようともせず、引き抜いた武器を軽く振るうと、液体は色とりどりに煌めくステンドグラスの破片へと変化してその場に散らばった。
「後輩達を地獄に落とそうとした報いは、その身に受けてもらうよ」
エルはそう言うと、足元から赤いガラスの欠片を拾い上げ、紡へと投げて寄越す。
紡は意図が汲み取れず、慌てて両手でそれを受け取った。
手のひらに触れたその欠片は、すぐに光の粒になって消えてしまう。
直後に先ほど肩口に負った切り傷が、みるみるうちに治癒するのを感じ取った。
「お裾分け。朝夕くんとネージュの安らぎの為に」
大きく跳躍して大蜘蛛と距離を取ったエルは、紡の隣へと着地する。
にこりと微笑んで見せる彼女に、紡は少し戸惑いながらも軽く頭を下げた。
そんな二人に怒りを露わにした大蜘蛛が、ぞろりと生え揃った鋭利な牙を見せ付けるようにして口を大きく開いた。
牙からは粘着質な毒液がどろりと流れ落ち、まるで涎のように糸を引いている。
「おっと、お喋りしている暇はなさそうだ」
エルは再び武器を構え直し、反撃のタイミングを伺った。
紡もそれに倣ったが……ふと、何やら紙を擦り合わせるような、小さな爪が弾かれるような、そんな微かな『大量の』物音が聞こえてくる事に気付く。
ハッとした彼が頭上を見ると、戦場の見えない壁を伝い降りるようにして、無数の蜘蛛達が騎士たちへと歩みを進めているのが見えた。
大蜘蛛の鳴き声に呼応するようにして動くその光景は、さながら軍隊の行進のようである。
蜘蛛達は、確かに一匹一匹は大蜘蛛と比べると小さい。
しかし、それでも脚を含めると紡の掌よりも大きい個体ばかりだ。
星空を覆い尽くさんとするその数は、数えられたものではない。軽く眺めただけでも百、二百……いや、その程度では収まらないだろう。
ぞわぞわと泡立つ背筋を堪えて、紡は仲間へ警告をする。
「皆さん、気を付けてください!上から……」
「ーー心配ご無用。」
これまで気配を消していた深八咫が、突然紡とエルの間を抜けて一歩前へと進み出た。
「忍びとは、正面を切って戦う
そう呟いた瞬間、降下していた蜘蛛達が一斉にぴたりと歩みを止める。
続いてその一匹一匹が凍りつくようにして結晶化し、その節くれ立つ脚を背中側に反り返らせて、完全に動かなくなった。
やがてあのカサカサという足音が全て消えた時……黒い蜘蛛の海は咲き乱れるガラスの彼岸花の花畑へと変貌する。
「所詮は畜生の浅知恵。実に、下らぬ小細工でござる」
左手で結んでいた印を解き、深八咫は指を鳴らした。
ぱちん、と小気味良い音が辺りに響き、その音を合図に大量の彼岸花が次々に崩れていく。
ボロボロと剥がれ落ちるようにして小さな結晶の破片となったそれは、騎士達に降り注ぐ事なく、空中に溶けるようにして消えた。
明らかに大蜘蛛は動揺しているようで、まるで消えてしまった蜘蛛達の行方を探すようにしてぎょろぎょろと目玉を動かしていた。
「凄いな。忍者って、存外派手な演出をするんだね」
『いや、多分これがスタンダードではないと思うぞ……』
感心したように呟くエルと、それにツッコミを入れるネージュ。
「……誤解を招かぬ内にお伝え致すが、このような戦いをするのは迎撃戦のみ故」
深八咫にもまたエルの声が聞こえていたのか、背を向けたまま少し複雑そうな声色でそう弁明していた。
不意にそんな彼らの足元の下方で、轟音と共に爆炎が上がる。
驚く騎士達が視線を下に向けたのと同時に、その視界の端を飛ぶようなスピードで浮上する人影があった。
「皆ごめん!遅くなった!」
空中からそう叫んだのは、正義である。
ブーツやマントの端が焦げ、顔に煤が付いているところを見ると、どうやら自分で起こした爆風に乗って奈落の中から巣の上まで舞い戻ってきたらしい。
大蜘蛛の僅かに後方、その空中で剣を抜いた正義は小さく口角を上げた。
「この位置なら……!奏多、行くよ!」
『了解!けど、さっきのは帰ったら反省文だからね』
奏多の言葉に一瞬だけ物悲しげな表情を浮かべる正義だったが、すぐに気持ちを切り替えて炎を纏った剣を逆手に握りしめた。
そしてそのまま落下する勢いに任せて、深々と大蜘蛛の胴に剣を突き立てる。
刃は柄まで生暖かい肉に埋まり、内部が炎に焼かれたのか黒煙が立ち上った。
正義は剣を握る手を順手に戻し、大蜘蛛の背を頭に向けて縦に切り裂こうと腕に力を込める。
大蜘蛛は抵抗すべく身を大きく揺すり、正義を振り落とそうとしたが……その身体の片側、並んだ長い脚の内の三本を紡がまとめて斬り払う。
脚を落とすことはできなかったが、衝撃を受けた大蜘蛛はバランスを崩して腹を巣に付けた。
「とりゃあああ!」
大蜘蛛の背を正義が駆ける。
赤い稲妻が走り、真っ直ぐに切り裂かれた傷口から大量の体液が迸った。
「げっ、まだピンピンしてるな……」
大蜘蛛の背から飛び降りた正義は、手の甲で顔に付いた不快な液体を拭いながらそう呟く。
エネミーの動きが止まる事はなく、直ぐに体勢を立て直し、今度は足元に居た紡を噛み砕かんと大顎で襲いかかってきた。
「くそ……!」
紡は身を引いてそれを避けようとするが、僅かに反応が遅れた為、間合いの外へと逃げきることが出来ない。
致命傷を避ける為に紡が受け身を取った時、それを見ていた正義が雷光の如き速さで肉薄、そのまま紡の腹に手を回して横へ転がった。
二人の頭上を、巨大な鋸のような顎が掠める。
「すみません、助かりました」
「気にしないで、さっき僕のこと助けてくれたお返しさ!」
にっ、と笑みを浮かべる正義。
よく見ると彼は随分とぼろぼろのようだ。
紡が縫い止めた場所からこの巣の上に戻ってくる為に相当な無茶をしたらしい。
自分がもう少し上手くやっていれば、などと反省している暇はない。紡は直ぐに刀を構え、正義の前に立つ。
それと同時にもたげた大蜘蛛の尻から、二人を狙って粘着質な糸の塊が吐き出された。
到底刃が通りそうもないそれは大きく広がりながら、紡と正義の動きを封じようと降り掛かってくる。
「……ふっ!」
半身になった紡は小さく息を吐くと、刀を足元から切り上げるように振るい、そのまま自身を中心に弧を描くように一閃した。
糸の塊はまるで包丁を入れられた食材のように、何の抵抗もなく二分される。
淡赤色の軌跡に分たれたそれは、ひらひらと翻りながら二人の両隣へと落ちた。
それから重なるようにして淡赤色の軌跡がもう一度生じ、大蜘蛛の目玉のうち二つに大きな裂傷が入る。
……はて。紡の斬撃が、十尺程先の大蜘蛛にまで届いていたのだろうか?
紡は違和感を覚えながらも、彼を捉えていた大蜘蛛の視界が狭められたことにより、無事に間合いから外れることが出来た。
苦痛に身を震わせた大蜘蛛は、全身から体液を滴らせながら滅茶苦茶に脚を打ち付け、巣を踏み荒らす。
その脚のうちの一本が、正義の頭上を踏み抜こうとした。
彼はそれを咄嗟に翻したマントで受け止め、弾き返す。
「あ、あれ?」
『ジャスくん、駄目!一旦引いて!』
正義はきょとんとした表情で、突然その場に片足をついた。
本人にはあまり自覚が無かったようだが、ステラバトルと違い、迎撃戦ではブリンガーが受けたダメージは肉体への直接的な負荷に繋がる。
復帰の際に負ったダメージは、楽観視できるものではなかったらしい。
『あのバカ……!エル!』
「分かってる。ネージュ、力を貸してくれ」
『任せろ!』
ネージュが応えると同時に、エルの身体を囲うようにして八本の輝く硝子の剣が生成される。
空中に浮かんだそれは、踊るように回転すると……その全ての狙いがエネミーへと向けられた。
『こっちだ、デカブツ!』
ネージュの声と共に、次々に弾丸のような速度で硝子の剣が放たれた。
剣は真っ直ぐに大蜘蛛に突き刺さり、その横腹が針山に変わってゆく。
そして、それらに追随するようにしてエルは駆けた。
「はぁっ!」
全身全霊を込めた一突き。
鉄をも貫く勢いで放たれたそれは、先に届いていた剣たちに映り込み、反射し……『複製』される。
やがて鏡が生み出した八回分の衝撃が、同時に大蜘蛛を襲った。
「さて……聡い人みたいだから、きっと僕らを囮に動いてくれるだろう?」
エルはヒビだらけになったレイピアをそっと鞘に戻しながら、その場から下がることもなく、薄く笑みを浮かべる。
大蜘蛛を挟んだ彼女の向こう。
鮮血の色をした刀を握る深八咫が、憎悪の色を瞳に灯し、空中で身を躍らせていた。
「……地獄に堕ちるべきは貴様だ、物の怪」
ゾッとするほど冷酷な輝きを帯びた刀身が、殺意を宿して大蜘蛛の頭部へと振るわれる。
それは敵の持つ命の核を両断したらしく……首を落とされた大蜘蛛は体を大きく振るわせ、ふらりふらりと左右に数度よろめくと……やがて倒れ込み、動かなくなった。
大蜘蛛の体は、どろどろと溶けて奈落へと流れ落ちる。
やがてその中から、壮年の女性の姿が現れたが……彼女も数秒間のうちに腐り果て、土塊と化してしまった。
ーーこれにて、迎撃戦は閉幕。
此度も世界の危機は、星の騎士とその同胞によって回避された。
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