彼岸花と初夏の縁側
深八咫は使いに出された帰りに、卸先から受け取った代金をしっかりと袋に仕舞い、帰路についていた。
陽もほとんど沈みかけた夕方、所謂『黄昏時』である。
深八咫は、つい先ほど深鈴と共に霧の女王から告げられた言葉を思い返していた。
『どうか、三日後の迎撃戦に参加して下さい。』
『この世界を共に守護する我が友、誓約生徒会の方々の助けとなっていただきたいのです。』
深八咫としては
しかし、今の主である深鈴がやる気十分という様子なのだから断るに断れないのであった。
『深八咫。借りは作れる時に、出来る限り作るものですよ』
そんな風に胸を張って宣っていた小さな少女だが、恐らく彼女が意気込んでいる理由は別にある。
今回、迎撃戦で共に戦う者として読み上げられた中に、少し前に深鈴が友達になった少女の名があったのである。
少女は確か、
深鈴よりも歳上に見えたが気が合うらしく、珍しく深鈴がはしゃいだ声を出していたのが深八咫の中に印象付いている。
深八咫は深鈴の肉親ではないが、側に居る時間が長いだけに、年端も行かない主が『子どもらしく』振る舞ってはいない事は承知していた。
それは商家の跡取りとしては寧ろ誉められるべき事だと言えなくもないのだが……深八咫はお節介にも彼女の友人関係を心配していたのである。
そんな中で現れた絃は、歳若い少女の喜ばせ方が分からない忍びにとって、とても有難い存在だったのだ。
どちらにせよ、自分が物の怪を斬るという事に変わりなかろう。
そう思い、深八咫は霧の女王の申し出を承諾したのである。
「おかえりなさい」
錦織屋敷にたどり着いた深八咫がふと声の聞こえてきた方を見ると、縁側に座った深鈴の姿が見えた。
「お勤め、ご苦労様です。」
「ただいま戻りました。……ここで何を?」
「ベーゴマをやっていました」
深八咫が彼女の手元に視線を移すと、なるほど。二、三の鉄製の小さなコマと凧糸が転がされている。
そして深鈴の手元にも、糸がかけられたベーゴマがひとつ握られていた。
「お館様から頂いたんですか」
「正確には従業員からですが。親父様の部屋を掃除していた時に出てきたそうです。」
確かに言われてみれば、コマの一つ一つに細かい傷が散在し色もくすんでいる事から、かなりの年代ものだという事が分かる。
しかし、あの厳しく豪胆なお館様にもこういった玩具で無邪気に遊んだ頃があったのか……と深八咫は何やら不思議な心持ちになった。
「でも、私にはうまく回せなくて」
深鈴はコマに紐を巻いているようだが、力の加減が難しいのか、途中でばらばらと解けてしまったり、逆に締めすぎた紐がずれてしまったり、中々最後まで巻き終えることができない。
「一つお借りしても?」
「良いですよ」
深八咫は深鈴の隣に腰掛けると、転がっていたコマのうちの一つと糸を拾い上げる。
そして少しの間何かを思案していたようだが、やがてくるくると手際よくコマに糸を巻き付け始めた。
それを深鈴が興味津々と言った様子で覗き込む。
あっという間に、ベーゴマの下部は糸で作られた綺麗な渦巻き模様に埋まっていった。
「すごい!深八咫、やった事があるんですか?」
「いや、見様見真似です」
深八咫は、物心ついた時には既に櫛枝一門の忍びとして育てられていた。
子供の頃の記憶といえば、日々薄めた毒を飲まされたり、方角も分からないような深い森の奥に置き去りにされ、一人で下山しろと命じられたりと、碌なものがない。
しかしそれは深八咫自身と、その周りにいた幼い子供達にとっては当然のことであり、あまり疑問を抱いた覚えはなかった。
それでも商家の使いとして街に出れば、嫌でも町人の子供の姿は目にする。
彼らが楽しそうに玩具で遊ぶ姿を見て、羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。
その頃に、ベーゴマで遊んでいた少年たちの姿を離れたところからじっと眺めていた事があったのだ。
「流石です。昔からあるものに関しては、大方器用ですね」
「それ褒めてます?」
「褒めてますよ」
「そうですか……」
深鈴は、深八咫が手に持つベーゴマをさまざまな角度から眺め回し、再度自分で挑戦するようである。
その手際は一人で試行錯誤していた時よりも目に見えて上達しており、彼女の観察眼の鋭さが窺えた。
「こう、ですか?」
「んー……俺も正解を知っているわけじゃないですが、多分合ってるかと」
なるほど、と呟いた深鈴が、いざ手にしたコマを回そうとした時……屋敷の中から『深鈴様、夕食の時間ですよ』と声が掛かる。
振り向いた深鈴が構えたコマは、行方を失ってその場にポトリと落ちた。
「お預け、くらっちゃいましたね」
「時間も時間ですし、仕方ありません。片付けましょう」
聞き分けの良い深鈴は、落としたコマを拾い上げてそばにあった小さな箱に仕舞った。
周囲にに広げていた物も同様に拾い集める。
「……深鈴様、これお借りしていても良いですか?」
「ええ、良いですが」
深八咫が手にしたベーゴマを、意外そうな顔をした深鈴に見せながら言った。
「一度、回してみたかったんですよね」
そう言って深八咫は、人差し指と親指で摘んだコマを、高く登り始めた月の隣に並べて眺める。
「すみませんけど、そのうち相手になってくれます?これって複数人で遊ぶ物ですし」
深八咫の言葉を聞いた深鈴は、ぱっと表情を明るくして頷いた。
「良いですよ!その時までに私も練習して、深八咫が親父様に顔向けできないくらいけちょんけちょんにして見せます!」
「え……もっと緩く遊ぶつもりだったんですが、まぁいいか……」
深鈴の勢いに、深八咫は少々慄いてしまう。
深鈴の勤勉さと飲み込みの速さは重々知るところだ。これはもしかすると、言葉通りに大敗を喫してしまうかもしれない。
遊びといえど、相手は子供で尚且つ主人。
技量的に負けるのは、深八咫にとってはかなり悔しいことである。
深八咫は深夜の自主練習を心に決め、深鈴に手を引かれるままに、夕食が並べられている広間へと向かうのであった。
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