桜散る境内

 石段を登り切った先には、二人が思い描いていた通りの神社があった。

 少し老朽化してはいるが、きちんと手入れが行き届き、大切にされているのが伝わる本堂に、その隣に見えるのは社務所だろうか。

 手水舎や賽銭箱など、配置されているものを見ても、アーセルトレイにある神社とそう変わらないように見える。


 参道の脇に建てられた石碑を読むと、どうやらこの神社が祀っているのは、『桜の花』そのものであるということが分かった。


「万物に桜が宿る……か」

「八百万の神、に近い思想なのかな」


 二人はそんな風に話をしながら、あたりを見渡すが……境内には他の人物の影はなく、閑散としている。

 折角だし参拝して行こうか、と鈴の付いた縄の前までやってきたが、作法が自分たちの知っているもので合っているのか分からず……何ともぎこちないお参りになってしまった。


 本堂の前を離れた彼らは、境内に石造りのベンチを見つけ、並んで腰掛ける。

 真っ青に晴れた空に太陽が煌々と輝いていたが……二人をその光から守るように、桜の葉が木陰を作っていた。


 奏多は、花弁をはらはらと散らす桜の木を見た。

 確かに、アーセルトレイにも桜の木はある。

 春になると花が咲き、それぞれの新生活に胸躍らせる人々の目を毎年楽しませてくれていた。

 しかしそれは短い期間のことで、雨や風が強い日があると忽ち花が散り、緑一色になってしまう。

 それはある種の『儚い美しさ』とも捉えられる位には仕方のない事だとは思うのだが……やはり、残念に感じるものだ。


 しかし、ここに咲く桜は違う。

 まるで、四季を問わずに咲き乱れているような……散ったそばから、また新たな蕾が膨らんでいるような……そんな風な、力強く絢爛たる佇まいであった。


 ふと、不意に奏多の髪に何かが触れ、同時に軽い音が聞こえる。


「今、何かした?」

「キスした!」


 奏多が隣に視線を隣に向けると、恥じる様子もなく、満面の笑みで正義はそう言った。

 余りに堂々たるその態度に、奏多の方が気恥ずかしくなるほどである。


「……不意打ちはやめてね?」

「そう?じゃあ、次からちゃんと前置きするね」

「そういう事じゃないの!」


 不思議そうに目を瞬かせる正義。

 奏多は、何だか自分ばかりが動揺してしまっているようで悔しくなった。

 そんな彼女に追い打ちをかけるように、正義は言う。


「さっきは言うタイミング逃したんだけど……今の奏多、凄く可愛いし綺麗だ!」

「あ、ありがとう……」

「それで、抱きしめてもいい?」

「えっ、今!?」

「うん。駄目かい?」


 正義の言葉に戸惑う奏多。

 周りに人気がないとはいえ、ここは公衆の面前であり、すぐに頷くことはできない。

 しかし惚れた弱みというのは勿論、奏多にもある。

 好きな人に真っ直ぐに見つめられてこんなことを言われては、「No」と言える由もなかった。

 とはいえ、やられっぱなしというのも癪に触るので……奏多は自分の方から、正義の背に手を回してやった。

 正義は嬉しそうにそれを受け入れて、ぎゅっと抱きしめ返してくる。


「僕こうしてるの大好き。凄く、落ち着く」

「……うん、私も。」

「何だか、良い匂いもするし」

「それはちょっと変態っぽいかも」

「えー、そうかな」


 二人は小声でそんなことを言い合い、くすくすと笑う。

 幸せな恋人同士の語り合いの中で、ふと奏多が顔を上げた時……正義の背中越しの向こうに、まだ十代前半であろう少女が、目を丸くし、口元に手を当てて自分たちを見ていることに気付いた。


「あっ……」

「うん?奏多、どうかし……」

「わああっ!すみません!」

「え゛」


 奏多は、反射的に密着していた正義の身体を突き飛ばす。

 甘いムードは何処へやら、完全に油断していた正義は背中からベンチの下へと落ちてしまった。


「痛っっった!!??」

「あっ!ジャス君、ごめん!」


 背中を強かに打ち付けてもんどり打つ正義を見て、奏多もしゃがみ込む。

 少女はそんな二人を見て、手にした竹箒を放り出すと、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫ですか!?」

「い、いてて……うん、びっくりしたけど、大丈夫」


 正義は身を起こすと、正義と少女に向けて小さく笑顔を見せる。

 少女はほっとため息をついて、頭を下げた。


「すみません、お邪魔してしまって」

「こちらこそ、人前でごめんなさい。ええと……あなたは、この神社の関係者さん?」

「はい!絃は、この桜花神社の巫女見習いです!お二方共、よくお越し下さいました!」


 にっこりと愛らしい笑みを浮かべる少女は、自らを『春秋 絃ひととせ いと』と名乗った。

それを聞いて、正義が目を丸くする。


「君、今……自分のことを『絃』と言ったかい?」

「はい。もしかして、どこかでお会いしましたか?」

「ああいや。ええと、君のパートナーから話を聞いたんだ」


 絃は、「ぱぁとなぁ?」と首を傾げていたが……直ぐに、手のひらをポンと打った。


「もしかして、つむの事ですか?こーんな感じの目で、髪の毛を後ろでちょん、と括った男の子です!」

「そう!確かにそんな感じだった!」


 絃は自分の目尻を指で吊ったり、後頭部を指差したりしながら自分の知っている『つむ』の姿を伝えた。

 奏多は意外そうな顔をして、正義のことを見る。


「えっと……知り合い?ジャス君、帝都に出るのは今日が初めてだよね?」

「前にカフェー・マスカレェドで会ったんだ。『紡』と絃……彼らは誓約生徒会カヴェナンターの一員だよ!」


 正義のその言葉に、当の本人である絃は、何故かきょとんとした表情を浮かべていた。


*****


「へぇ、絃たちは『かべなんたー』だったのですか!」

「まさか、今まで自覚なく戦ってたのかい!?」


 正義は絃の言葉に驚きの声を上げる。

 信じられない事だが、目の前の少女が嘘をついているようにも見えない。

 ただ、パートナーの紡が彼女を騙して付き合わせているとは思えないし、例えそうだとしたら総帥が彼らに仮面を渡す事はないだろう。

 特にこの世界でのステラバトル……迎撃戦は、怪我をしたり、時には死の危険すら背負う事になるという。

 そんな戦いに、このような幼気な少女を参加させるというのだから、彼らもそれ相応の理由を持っている筈だ。


「……あ!噂をすれば影、です!」

「うん?」


 三人並んでベンチに腰掛けていた中から、絃がぴょこんと立ち上がり、石段の方へと駆けてゆく。

 そして、その場からまるで階段の下へと身を投げるようにして勢いよく飛び出した。


「え!?」


 正義と奏多が驚いて、揃って立ち上がった時……まるで図ったようなタイミングで階段の下から少年が姿を現し、慣れた様子で絃を抱き止める。

 正義はその少年の姿に見覚えがあった。

 彼こそが、先ほど名前の上がっていた『朝夕 紡あけくれ つむぐ』である。


 紡は絃を地に下ろすと、危ないからこのような事はやめろ、と言って聞かせているようだが……絃はにこにこと笑顔を浮かべており、特に反省している様子はない。


 やがて絃は紡の話もそこそこに、彼の手を引いて正義達の元へと戻ってきた。


「つむ、こちらは、じゃすてぃすさんと奏多さんです」

「こんにちは。貴方は、確か……」


 二人に礼儀正しく頭を下げる紡。

 彼は正義の顔を見て、ハッとした表情を浮かべた。


「久しぶり!僕のこと、覚えてる?」

「……ええ。その節は、お世話になりました。」


 奏多は紡の様子を見て、歳の割に言動の堅苦しい少年だな、という印象を受ける。

 恐らく、アーセルトレイで言うところの中学生が高校生くらいの年齢だろう。

 その頃の正義と比べると、彼の立ち振る舞いは随分と大人びて見える。

 ……比較対象が悪いだけかもしれない、というのは脇に置いておこう。


「絃、二人は何を?」

「うーんと……」


 絃は、紡の問い掛けに頬に人差し指を添えて返答を考える。


「……ちゅーして、ぎゅーしてました!」

「『ちゅう』して『ぎゅう』!?な……なんと破廉恥な!?」

「待って!絃ちゃんとじゃないから!……いや、それもそれで問題なのかも知れないけど!」


 紡は衝撃的なその言葉を聞いて、二人に対してあからさまに軽蔑の目を向け、絃を隠すように背後に押し込む。

 慌てて奏多が弁明し、何とか誤解は解けたようだが……その後、彼らと絃を決して隣り合わせようとしない所を見ると、一定の警戒心は抱かれてしまったようである。


「そうだ、俺……貴方たちにまた会えたら、訊こうと思っていた事があったんです。」

「うん?」

「貴方がたの暮らすという……帝都でも、霧の都でもない外の世界の事。詳しく聞かせてもらえませんか」


 紡の言葉に、正義と奏多は顔を見合わせる。

 しかし奏多が小さく首を横に振って見せると、正義はそれに頷き返した。


「申し訳ないけど……それは出来ない。総帥から止められているんだ。」

「それは何故?」

「多分、僕達がこの世界に存在してはならない者だからだと思う」


 『桜の帝都』と『霧の都』は、二人の女神に観測すらされていない世界である。

 階層世界ならまだしも、そんな世界に外部から至る存在など、本来はあり得ないはずなのだ。

 それを総帥が人知を超えた力を行使し、可能にしている……それだけでも、世界の可能性ライブラリに与える影響は計り知れないほど大きい。

 故に、これ以上のリスクを背負わせるわけにはいかない、ということだろう。


「……そうですか」


 明らかに落胆した様子の紡が、俯いたまま呟いた。


「何か、気になることがあったの?」

「……可能ならそちらの世界に行けたらと、そう思っていたんです。」

「申し訳ないけど、それは難しいと思う」


 奏多は紡の様子に、只事ではない背景があるのだと悟った。

 そしてその上で、彼を拒絶しなければならないことに胸を痛める。

 可能なことなら助けてあげたい、という気持ちもあるが……今ここに二人が居る理由は『この世界』を危機から救うため。

 即ち、優先すべきは私情よりも誓約生徒会としての使命なのである。


「つむ……」


 絃が、眉尻を下げて紡の顔を見る。

 それから、何かを思い付いたと言いたげに急に表情を明るくした。


「つむ、こっち向いてください!」


 絃は両手を持ち上げて胸の辺りに構える。


「元気の出る、おまじな……」

「あッ!絃、駄目だ!」

「え……?」


 紡は、鬼気迫る様子で絃の両手首を掴んだ。

 突然の彼の行動に、怯えたように目を見開く絃。

 紡は身を固くした彼女のその顔を見て、漸く我に帰ると……ゆっくりと手を離した。


「ごめん」


 紡は絃の白い肌に残った赤い痕を見て、苦々しげに謝った。


「けどそれは、もうやめてくれ。おまじないは……掛けないで良い」

「わかり、ました」


 黙り込んでしまった二人に、正義と奏多がどうしたものかと考えていた時……その場の全員の頭の中に、語り掛けてくる声が聞こえる。

 それは三日後に行われる迎撃戦の『お告げ』。

 誓約生徒会総帥からの招集令であった。

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