サム・シェパード『モーテル・クロニクルズ』

サム・シェパードによる『モーテル・クロニクルズ』を読んだ。最初、読みながら私はかすかな違和感を覚えた。というのは訳者の畑中佳樹が、サム・シェパードの一人称で語るテクストに対して「ぼく」という言葉を当てはめていたからである。この語り口は読みようによってはどうにも繊細すぎる、あるいはセンチメンタルな言葉になる。むろん、これだけを以て問題だと見なすのは総計だろう。それで読み進めたのだが、畑中は場所によってはこのサム・シェパードの一人称に「俺」という言葉を当てはめている。これは訳の「計算」だな、と思ってさらに読んだ。


もちろん私は原文にあたったわけではないのだが、一般的に英語圏での一人称は「ぼく」も「おれ」も「I」で済ませられるものだと思う。なので、畑中の翻訳によってサム・シェパードの内面のセンシティブな部分とハードボイルドな部分が両方楽しめる、膨らみのある訳となっていることは疑いえない。なるほどと思い、私はこの本を読んだ。結果として、サム・シェパードの「声」がはっきり伝わってくる。ああ、考えてみれば『パリ、テキサス』も印象的な「声」にまつわる映画だったな、と思うとまたあの映画を観直したくなってきた。


それにしても、見かけはそうした「男のロマン」で片付けられそうな1冊ではあるのだけれどこの本はなかなか深い。ハードボイルドという割には女性たちへの憧憬や優しさはクサくなくはっきり感じられるし、ハイウェイが走る広大なアメリカの大地が産み出した本であると思われつつもラフにすぎるところがない。節度がある、実に配慮が行き届いた本だと思った。そこで語られるサム・シェパードのモノローグも詩もロマンティシズムを湛えておりこちらを酔わせる。その男臭さは読者を選ぶかもしれないが、私は充分に堪能できた。


サム・シェパードの来歴は分からないが、まったく文学と無縁に生きてきたというわけでもないのだろう。自分を語る言葉をストイックに探し求めて、そして見つけ出した書き手という印象を抱かせる。私の好みのビート詩人やブコウスキーと被るものも感じられるし、あるいはどこかそのワイルドな知性に日本で言うところの町田康と共通するものまで感じてしまうのだが、そんな読者は私ひとり居れば充分か。この本を片手に、日本では到底できっこない広大な土地をドライブするのもいいかなと思った。これはなかなか掘り出し物を見つけた。

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