チャールズ・ブコウスキー『町でいちばんの美女』
チャールズ・ブコウスキーの作品はもちろん、彼が「酔いどれ」と形容されるくらい酒好きだったことを踏まえて読む必要がある。途方もないダメ人間だ。だが、私はそれと同じくらい大事なこととして『町でいちばんの美女』が青野聰という訳者によって訳された事実もあるのではないかと思う。とはいえ私は不勉強にして青野聰の書いたものを読んでいないのでその方面から論じることはできない(ごめんなさい)。しかし、少なくともこの『町でいちばんの美女』では青野はブコウスキーのクセのある作品を「私」という一人称で訳している。そこが面白いと思った。
これもまた不勉強にして原文を知らないのでかなり憶測が交じるのだが、私自身なら多分ブコウスキーの作品を「おれ」という一人称で訳してしまうのではないかと思う。そして、もっと「酔いどれ」の書き手が持つべきベタな「ダメ人間」ぶりを強調するだろう。だが、青野はどこか静謐にブコウスキーと対峙しているように映る。作品世界自体はおびただしい数の性交が書き連ねられ、それ以外にも登場人物は平気で脱糞する始末。そういった、良くも悪くも人間臭い営為が淡々と描かれている印象を受けるのだ。もちろん、別の言い方をすればこんなに即物的にそっけなく書くとは、とも取れるので面白い。
青野がブコウスキーから読み取ったもの、それは恐らくは自分の中のだらしなさやダメさ加減を愚直に見つめ、恐れずに(あるいは恐れる自分自身をも対象として)「描く」勇気であり、あるいはストイックでさえある姿勢であっただろう。そう考えるとブコウスキーが今に至るも読みつがれ親しまれる背景が見えてくる。彼を三文文士から隔てるもの、それはそんな自分自身を誇示するナルシシズムからも距離を置き、また自分のダメさ加減に絶望する自虐にも溺れない真に透徹した視点なのだと思った。私はそれを「知性」と呼ぶことをためらわない。
それにしても、ここに登場する人たちの何と愛らしいことだろう。いや、作品によっては無茶どころか違法なこともしでかすので油断ならないのだが、そんな彼らを擁護するなら彼らは自分の欲望に忠実に動くあまりムダな向上心をポイと捨ててしまった人たちなのではないかと思う。ブコウスキーのことは読書メーターで「トランプ大統領を真っ先に支持しそうな人」と書かれていたのを読んだ。その視点は面白いと思う。だが、私が思うブコウスキーは多分トランプ大統領に対しても「失せろ」と嘯く反骨精神を見せたのではないかと思う。いや、カッコつけた言い方をしてしまったが単に「やせ我慢の人でしょ」と言われたら返す言葉もないのだけど……。
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