第40話・エバの告白

 朝方よりも少し雨音は穏やかになりつつあったが、降り続く雨はまだ止む気配はない。こんな日だからこそと、庭師達が調理場に新しい棚を作り付けているらしく、階下からはリズミカルな木槌の音が聞こえてくる。


 二階の廊下でエバに呼び止められたマリスは、「場所を移した方がいいかしら」と一緒に階下へと降りるよう促す。エバをホールのソファーに向かい合って座らせると、調理場での棚の様子を見ていたというリンダへ二人分のお茶を願う。

 淹れて貰ったばかりのお茶を二口ほど飲んで喉を潤すと、改めて目の前のエバの様子を伺ってみる。出されたカップには手を伸ばそうともせず、膝の上で握り締めた手をじっと見つめているエバは、心を決めたとばかりに勢いよく顔を上げた。


「私は、サズドールの森の集落から、夫達から娘を守る為に逃げて参りました」


 これまでマリスは、あえてエバに深く問うことはしてこなかった。産後すぐの身体で森の集落から来たと伝えただけで、領主別邸であるこの屋敷で世話して貰っているという状況に、エバ自身も何となくは気付いてはいた。

 ――きっと、マリス様は何もかもの事情を察しておられるのだ。だから自分達を保護して下さっているのだ、と。


 けれど、聞かれないからといつまでも何も話さない訳にはいかない。娘と自分を匿って貰っている以上、ここで隠し事はするべきではない。義理はきちんと果たさなければいけいない。――それがたとえ、自らの夫を罪人へと貶めることになるとしても。娘を、ユリアを守る為に森を出ることを決めたのは、他でもない自分自身なのだから。


「私の夫は、森の狩人です。夫は子供が生まれたら男の子なら狩人に、女の子でも魔力があれば私と同じ薬魔女にしたがっていました。……でも、生まれたユリアには魔力がありませんでした」


 それでも最初は娘の誕生を素直に喜んでくれていた夫。初めての我が子が可愛くない訳がなかった。


「でも、集落の人達から儀式のことを聞いて以来、娘を見る目が変わってしまって……」

「それは、赤子の血を抜くという儀式ね?」

「そうです。ユリアの血を飲めば、魔力の無い夫でも後発的に魔力が芽生えると吹き込まれたらしくて。この子は父親に力を授ける為に生まれてきたんだって、私が眠っている内に娘を連れだそうと近所の人達と話しているのを聞いてしまって……」


 膝の上の拳がさらにぎゅっと固く握りしめられる。集落中からユリアに向けられた、まるで獲物を狙うような視線の数々。夫の裏切りともいうべき行為への腹立たしさと、連れ戻されて娘の命を奪われることへの恐怖。一刻も早く逃げないといけないと思った。


「それまで、あなた達夫婦はその儀式のことは知らなかったのかしら?」

「はい。噂程度でした。本当に行われていることだとは思ってもいませんでした」

「街から攫われて来た子を見かけることは?」

「ありません。儀式は、集落とは別の場所で行われているらしくて」


 そう、と静かに頷きながらエバの話に耳を傾け、マリスは給仕についていたリンダに地図を持って来させると、それをソファーテーブルの上に広げる。そして、これまで領外へは明かされたことのない、狩人が住む集落の位置をエバに確認する。


「サズドールの市街地よりも、ややウーノ寄りなのね。その儀式が行われているっていう場所は分かる?」

「おそらく、ですけど。多分、この辺りに古い遺跡があるので、そこじゃないかと……」


 エバが領境を越えてウーノを目指したのは、領内の市街地に逃げるより遥かに近いからだった。赤子連れで魔獣の住まう森を走り逃げることを考えると、領を越えた方が幾分かはマシだ。

 指し示された地点に印を付けてから、エバが知る範囲の儀式に関わっているらしい者の名を紙に書き記していく。


「私はもう、あそこへは戻るつもりはありません。集落に戻れば、ユリアが生贄にされてしまいます。だから――」


 エバはマリスに向かって、頭を下げる。実の親のことは知らないし、集落の外には頼れる親戚はいない。勿論、森に帰ることなんてできない。娘と二人で生きていく為の、居場所が欲しい。薬魔女だからといって、他の街で一から薬作りを再開するのは簡単なことではないだろう。なら、エバが出来る最良の選択肢は一つだけだ。


「学舎の魔法クラスで私を雇って下さい。院の薬作りもお手伝いいたします」

「それは勿論、喜んでお願いするわ」


 大きく頷き返して、にこりと微笑む。だが、すぐにその笑顔はマリスの顔から消え、考え込むように眉を寄せた。


「あと一つ、教えて頂戴。実際に儀式で力を得た人はいるのかしら?」


 生まれたばかりの赤子が秘めている未知なる力、そんなものは本当に存在するのだろうか?


「いえ、分かりません。夫は、自分の血を分けた子なら大丈夫だと吹き込まれていたようですが――」


 生まれてからひと月が経つ前で無いとダメだとか、母親の魔力の量が足りなかったとか、直前に生贄を連れて逃げられたとか、そういう失敗した話は噂程度に聞くことがあった。だから、本気でその儀式が執り行われているとは思ってもみなかったのだ。


「エバの方から話してくれて、嬉しかったわ。これは父へ報告しても構わないかしら?」

「はい。必要なら、私自身が領主様の元へ赴いてお話しさせていただくつもりです」


 意志の固まった瞳には、子を守る母の強さが垣間見れる。全てを話し終え、エバの吹っ切れた表情にマリスはふっと口元を緩めた。


「じゃあ、早速なんだけど、魔法クラスの指導計画の相談に乗って貰える? どうも普通というのが分からなくて……」

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