第39話・雨降りの日2

 赤子達がそれぞれに小さな寝息を立て始めると、あやし疲れたメリッサはソファーへドスッと座り込んだ。さすがに三人同時の子守りとなると、ベテランの乳母でも疲れには抗えない。

 新たに一台増えて三台並んだベビーベッドを興味深げに順に覗き見て回るマリスのことを、笑みを浮かべて眺めてから、一人用の肘掛け椅子でぐったりと凭れたままのエバの顔色を確かめる。


「何か温かい物でも飲む?」

「ああ、それなら薬草茶がいいわ。魔力流れが落ち着くわよ」


 傍に控えていた侍女へお茶の用意を指示すると、マリスも乳母の正面に腰掛ける。

 マローネの魔力の波に揺さぶられて、エバは乗り物酔いに近い状態になっている。温かい薬草茶を飲めば、きっとマシになるだろう。


 すぐにティーセットと共に運ばれて来たのは、街で新たに買い求めておいた薬草の茶葉。ポットで十分に蒸らしてから注がれた茶色の液体は、ふんわりと柔らかな香りを漂わせる。


「薬草茶は飲んだことはあって?」

「薬草は薬として煎じて飲むことはありますが、お茶としては初めてです」


 言いながら、エバは受け取ったカップに鼻を近付けて香りを確かめてみる。複数の薬草がブレンドされているらしく、これまで嗅いだことの無い匂いだ。

 恐る恐る、こくりと一口飲んでみるが、身体の奥まで沁み入り、ふらついていた感覚がすっと消えていくようだった。


 ほぅっと息をついてから、残りを一気に飲み干しているエバの様子を、マリスは満足気に見てから言う。


「これにブレンドされている薬草のいくつかを、今後は院からも卸すことになってるのよ。今も院では栽培した薬草で薬作りしてるから、薬魔女のあなたが来てくれると子供達も喜ぶと思うわ」


 「孤児院で薬草を?」と目をぱちくりさせているエバに、マリスは微笑みながら頷く。

 勘違いされがちだが、子供達に労働の意識は全く無い。ただ楽しいからやっているだけだ。子供は遊びの中で学ぶことが多いし、薬草畑も薬作りも子供達にとってはただの教材であり、たまたま収益が後から付いてきているだけだった。


「ルシーダの院には薬魔女に憧れている子は多いわ。この間も一人、薬魔女になりたいって、魔女に弟子入りしたところなのよ」

「そう、なんですね……私の時は、養子に入れられた先が森の薬魔女だっただけなので」


 目を伏せて、ぽつりと漏らす。自分は選んで今の自分になった訳ではない。魔力持ちに生まれたせいで、実の両親の顔を知らずに育った。何らかの伝手を辿って森の薬魔女に娘を託した両親は、それ以降は一度も会いに来てくれたことはない。きっと、エバが生まれたのは無かったことにしたのだろう。


「マローネと同じなのね……。なら、余計にあなたに手伝って欲しくなったわ。学舎の魔法クラスはそういう子を無くす為に設立するの。魔力を理由に親と離れなくても、普通に育てられるように」


 膝に手を乗せたまま、じっと俯いているエバの肩にそっと触れてから、マリスは自室へと戻る。自分が最良だと思っても、エバ自身にとってはどうかは分からない。だから、心と体が落ち着くまでゆっくり考える時間を与えるつもりだった。

 部屋を出ていく辺境の魔女の後ろを、黒猫が長い尻尾を伸ばしながら歩いて行った。


 屋敷の一番奥まった場所にある主寝室に入ると、壁際の宿り木に掴まって休んでいるスノウの姿があった。ようやく椅子の背凭れには飽きてくれたらしく、自由に使えるようになった執務机に向かうと、マリスは昨晩から悩み続けている書きかけの魔術計画書を広げる。


 ――神父様は、もう少し緩やかにっておっしゃってたけど……緩やかってどういうことなんだろ?


 マリスの組んだ計画案はキツ過ぎるということなのだろうが、どこがどのようにかが分からない。もっと時間をかけて指導するべきということなのなら、一体どのくらいの時間を費やすべきなのか……。


「不覚だわ、普通が分からないなんて」


 むぅっと顔をしかめて、目の前の書類を睨みつける。院の子供達に接している中で魔力量に個人差があることは分かっているが、学舎でみんなまとめての指導となると「普通」と呼ばれる基準が必要になってくる。普通に合わせてカリキュラムを組んだ上で、各人に合った補習を行っていく予定。

 だが、そもそも規格外なマリスには、その普通を見極めるのは無理な話なのだ。


 項垂れたり唸ったりを繰り返していると、ベッドの上で寝ころんでいたエッタが呆れたように両前脚で顔を隠して寝入ってしまった。

 考えるのを諦め、喉を潤そうと一旦部屋を出たマリスは、子供部屋の前を通り過ぎようとして、足音を聞いて中から顔を出したエバに呼び止められた。


「マリス様。今、よろしいでしょうか?」


 何かを心に決めた、意志の強い表情。その瞳にはまだ不安の色は消えていないが、エバが何かを決意したのは分かる。


「森の集落で行われていることは、私の知る限り全てをお話しいたします。だから、私を学舎で雇って下さいませんか?」

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