第38話・雨降りの日

 どんよりと重い色に染まった空と、窓を強く打ち付ける雨の音。こんな日に馬を走らせるのは酷だと、出掛ける予定を全て取りやめて、辺境の魔女は朝から部屋に籠っていた。


「書類を片付けるのに最適な天気ね……」


 欝になりがちな気分で、誰に言うでもなく呟く。ソファーテーブルの上に積み上げられた書類の山にちらりと視線を送った後、執務椅子の背凭れで羽を休めているスノウに向けて問いかける。


「せっかく拵えてもらったのに、あっちを使ったらどうなの?」


 大工仕事が得意な庭師に頼んで、部屋の隅にキュイールの為の宿り木を用意して貰った。一見するとコート掛け用のラックなのだが、鋭い爪で握っても耐えれるように改良までしてくれている。なのに、スノウは全く見向きもせず、相変わらずマリスの椅子がお気に入りだった。


 別にソファーでも出来ないことはないが、やはり執務机に向かっている方が書類仕事の効率は良い。柔らかなクッションに埋もれていると、どうしても眠くなってしまうから。「きゅい」と返事はするものの、一向に退く気配のない白い鳥はクチバシでついばんで羽の手入れを始めている。


 ハァと大きな溜め息をつくと、マリスは諦めたように膝の上の書類へと目を戻した。結界に使用する交換魔石の発注先の変更の通達を見ながら、同じ物が届いているはずのグリージスにいる同僚のことを思い浮かべる。マリスは先日に新しい石を取り寄せたばかりだが、彼はちゃんとこの文書に目を通しているだろうか。


「ケインは魔法馬鹿だけど、夫人がしっかりされてるから、きっと大丈夫ね」


 魔法研究以外のことには全く無頓着な同僚だが、それをフォローできる器のパートナーが傍についている。何と心強いことか。

 他所の結界のことを心配している場合じゃないと、まだ書ききれていない管理報告書を前にもう一度溜め息をつく。領内に5か所ある結界塔の内、屋敷から最も離れている塔には今月はまだ訪れていなかった。


 ――雨が止んだら、一度見に行かないと。確か、そろそろ交換の時期だったはずだし。


 窓の外に視線を移し、当分は止みそうもないことを確かめると、また再びペンを握り直す。しばらくの間、カリカリという小刻みに動くペンの音と雨音だけが耳に届いていたが、廊下へと続く扉の向こうから赤子がヒステリックに泣く声が聞こえてきた。

 声の大きさから、乳母の息子のギルバートだろうか。随分とよく響く声が出るようになったものだと感心していると、次いで別の赤子の声も聞こえ始める。


 誰かが泣けば、他の赤子も釣られて泣く。声に驚くのもあるだろうし、不安な気持ちが連鎖することもあるだろう。気が付けば声は三重になり、なかなかに騒々しい。

 乳母を手伝おうと手の空いた侍女が部屋に駆け込む足音がしたかと思っていたら、マリスは強い魔力の波動を肌に感じた。


「はっ、マローネ!」


 他の二人のグズり泣きに誘発されたのか、マローネの魔力が暴発する気配を感じる。慌てて自室を出たマリスは、廊下を走って子供部屋へと飛び込んだ。足元にはどこから現れたのか、黒猫も一緒に付いてきている。


「他の子供達を連れて、外に出て!」


 栗色の髪の女児を抱いていた侍女が、ベビーベッドへと赤子を戻してから部屋を出る。メリッサも自分の息子を抱いて逃げようとするが、部屋の中央で我が子を抱いたまま茫然と立ち尽くしているエバに気付き、その腕を引っ張った。


「ここはマリス様にお任せして避難するのよ」

「は、はいっ」


 乳母に言われるまま、廊下に向かう扉を出ると、エバはこれまで触れたことがないほどの魔力量に顔をしかめた。魔力の無いメリッサ達は感じないようだが、いきなり高魔力に晒されたせいで、頭が割れるように痛い。


「今のは、マローネ様の魔力の暴発、でしょうか?」

「大丈夫よ、マリス様が対処してくださるから」


 緻密な結界のおかげで、廊下からは部屋の様子は分からない。だが、強い魔力が瞬時に次々に打ち消されていっているのは分かった。暴発する力を同等の力で相殺し、周囲への被害を防いでいるのだ。

 心配そうにはしているが、普段と変わらず平穏な使用人達に、エバは驚きを隠せない。皆、マリスの力をこれっぽっちも疑ってはいないのだ。他者の魔力を瞬時に感じ取り、それに対応できる能力。それがどんなに難しく、凄いことなのか。


「もう平気よ。入っていいわ」


 そう言ってマリスが廊下に顔を出したのは、しばらく経ってのこと。ベビーベッドへ寝かされたマローネはスヤスヤと寝息を立てて穏やかな表情で眠っている。その傍らでは三毛猫のシエルがエッタから無理矢理の毛繕いを受けていた。


「魔力にあてられたんじゃない? 少し休んだ方がいいわ」


 エバの顔色が真っ青になっていることに気付き、子供部屋の肘掛け椅子に座らせる。ウーノから連れて来た時に比べると体調は良くなっているとは聞いていたが、さすがに猫付きであるマローネの魔力に触れた後は平気ではいられないのだろう。


「申し訳ありません……」

「気にしなくていいわ、魔力持ちだからこその反応よね」


 思っていたよりも良い反応だと、マリスは密かにほくそ笑む。他人の魔力に過敏な彼女なら、魔術教師には適任だ。


「あ、体調が良くなってからでいいんだけど、エバにお願いがあるのよ。今、魔法クラスのカリキュラムを立ててるんだけど、ちょっと見て貰えないかしら? 私、どうも普通というのがよく分からなくて……」


 自分と同じ守護獣付きのマローネの魔術計画書は簡単に書けたが、学舎ではどこからどこまでを教えるべきかが分からない。先立ってアレックス神父にも確認して貰ったが、「もう少し緩やかで大丈夫だと思いますよ」とダメ出しを受けてしまったところだ。

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