第37話・新しい学舎

 聖堂を抱える教会の建物の一角。真新しい壁紙へと貼り直され、大きめの照明に付け替えられた部屋は、それまでは物置としてしか使われていなかったはずだ。それが日を増すごとに明るく全く違う空間へと様変わりしていくのを、子供達は外から窓を覗いては興奮しながら互いに報告し合うのだった。


「今日は長い机がたくさん運ばれて来てた!」

「あのおじさん、見たことある! 前に食堂の灯りを直しに来てくれてた人だよ」

「あれ何? 何を置く棚?」


 中庭で並んで背伸びして、窓の向こうに見えた光景を口々に声に出していく。学舎は勉強をするところだとは聞いていたが、食堂で神父様やマリス様から習うのとは何が違うのかと首を傾げる。


「学舎には街の子達も通って来るんだって」


 たまに教会で見かけるあの子達も来るんだろうかと、期待を膨らませる。街の子達から聞いたことがあるイールスの学舎には沢山の本が置いてあるらしい。じゃあ、あの壁に設置された棚には本が並ぶんだろうか?


 机と椅子が置かれ、それらしくなってきた教室に、濃紺のジャケットを羽織った中年の男が入ってくる。眼鏡の下の少し垂れ気味の目元は穏やかで、窓に並んだ三つの顔に気付くと、にこやかに手を振ってみせた。


 男は運ばれて来たばかりの木箱の蓋を開けていくと、中身を確認してからそれぞれを所定の場所に移動させていく。最初に開けた箱は教室の前にある教卓の横に、それ以外は壁際に置かれた棚の前へ。

 そして、子供達が張り付いている窓に近付いてから、親しげに声を掛けてくる。


「もし良かったら、本を棚に並べるのを手伝ってもらえないかな?」

「え、入っていいの?」

「勿論だよ。私一人ではいつまでも終われそうもないから、助けてくれる?」

「いいよー、手伝う!」


 中庭を抜けて教会の入り口の方へ回って、子供達は新しい学舎の中へ初めて足を踏み入れた。以前の埃っぽい物置とは違い、家具から漂う爽やかな木材の香り。あまりに面影が無さ過ぎて、何だか全く別の場所に来てしまった気分だ。


「もしかして、先生?」


 三人の中で一番年長のトマスが、本が詰め込まれた木箱を重そうに運んでいる男に尋ねた。以前に見かけた時もマリスや神父に代わって作業の指示を出したりしていたので、業者という訳ではなさそうだった。教師は他の学舎から移ってくると聞いていたので、きっとこの人がそうなんだろう。


「お、よく分かったね。――ああ、この箱に入ってる本を棚に並べて欲しいんだけど、そうだね、背表紙の色別にお願いできるかな?」


 中央街の学舎から移籍してきたという教師ヨハンは、棚の前に置いた木箱の蓋を全て開けると、それぞれの棚に一冊ずつ別の色の本を置いていく。その見本に従って同じ色の物を横へ並べていけば、まだ読めない字もある子供でも簡単に分類が出来てしまうという訳だ。


「先生も教会か院に住むの?」

「いいや、近くに部屋を借りたから、そこから通ってくるよ」


 本の陳列を子供達へ任せて、ヨハンは届いたばかりの教材を確認していく。中央街の学舎と同じレベルの準備をと仰せつかっていたので、思いつくまま取り寄せてみたら、とんでもない量で少しばかり後悔していた。――否、子供達の充実した学習の為には致し方ないことだ。


「あ、この本知ってる!」

「前にマリス様が読んでくれたやつだ」


 ただ並べていくだけでは退屈し始めたのか、手に取った本をパラパラ捲り始めた子供達が、既視感のある物を見つけてお喋りし出す。それを横目で眺めながら自分の作業を続けていたヨハンは、思った以上に子供達がたくさんの物語を知っていることに驚いていた。


「院にもたくさん本があるのかい?」

「うん、マリス様がもう読まなくなった本をお屋敷から持ってきてくれたから、いっぱいあるよ」


 まだまだ識字率の低いこの国では書籍は娯楽品の扱いであり、とても高価だ。読み書きを習う学舎であっても蔵書の数はまちまちで、子供達はそれを奪い合って読む光景が当たり前。

 だから、新しく出来る学舎の本棚に既に百冊以上もの本が並んでいるのは異例のこと。院にある物と合わせると、これ以上ない恵まれた環境が作り上げられる。


「ここはシード領の学舎の基準校になるのよ」


 移籍の為の面談で、辺境の魔女はヨハンとアレックス神父に向かってそう言い切った。教室はまだ仮の物だが、魔法クラスという特殊なカリキュラムに加えて、豊富な教材と蔵書。

 今は初めてのこと尽くしだが、それがどこの学舎でも当たり前であって欲しいのだと、マリスは力説していた。それが領の為であり、最終的には国の為にもなるのだと。だから、まずは自分の拠点であるルシーダから変えていくのだと。


 国家魔導師と言えど、まだ21の若い娘だ。ただの理想論で動いているのだと、ヨハンは最初は斜に構えて聞いていた節があった。だが聞いている内に、彼女が説いているのは理想論などではなく、自分達のような年長者が傍で支えてあげさえすれば、実現可能な未来の話になれそうだと思えてきた。


「ここは素晴らしい教室になりそうですね」

「うん、とっても楽しみ!」


 早く始まらないかなーと開校が待ちきれない様子の子供達に、ヨハンは優しく微笑んだ。

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