第34話・目覚めたマリス

 一階のソファーで眠り落ちてしまったはずのマリスが、目を覚ました時にまず最初に見たのは自室の天井だった。淡い色合いの花柄のクロスは本邸にいる母が選んだものだという。無地の白い壁面とは対照的な天井。あまりに見慣れた光景だったので、特に何も思わず起き上がって初めて、自分が外出着のまま眠っていたことに気が付いた。


 ――あら? 下のソファーで少し横になったつもりだったんだけど……。


 ホールで行儀悪く居眠りしたところまでは覚えている。でも、その後に起きて二階へ上がってきた記憶は全くない。しかも、着替えもせずにベッドに入るなんて……。

 そこまで頭を巡らせ終えると、一気に顔が熱を帯びてくる。


「もうっ、幼子じゃあるまいし……」


 ベッドまで抱き抱えられて運ばれている自分を想像し、恥ずかしさのあまりに頭を抱えた。ほんの仮眠のつもりだったのに、移動されていることには一切気付かず眠り惚けていたなんて、どれだけ熟睡していたのだろう。寝ている内に運ばれるなんて、まるで小さな子供だ。


 この部屋への入室を許している顔触れを思い浮かべ、おそらく昼も一緒に出掛けた護衛騎士が運んでくれたのだろうと推測する。さすがにリンダではマリスを抱き上げるのは無理だろう。


 ――これで着替えまでさせられてたら、恥ずかしくて部屋から出られなくなってたわ。


 知らずに運ばれた上に、寝ている内に部屋着へ着替えまでしてもらっていたら、主としての今後の面子が保てない。否、既に半分くらい手遅れになった気もするが。

 ベッドで上半身を起こした状態で、項垂れたり顔を赤くしたりしている魔女を、布団に埋もれて丸くなっていた黒猫が顔だけを上げて不思議そうに眺めていた。


「あら、エッタも居たのね」

「みゃーん」


 名を呼ばれて立ち上がると、鳴いて返事しながら歩み寄る。マリスの腕にするりと一度だけ擦った後、彼女の膝の上にちょこんと座り込む。

 遠慮がちな「きゅい」という鳥の鳴き声もして、部屋の中を見回してみれば、執務椅子の背凭れを宿り木代わりにしてスノウが停まっていた。猫と魔鳥が部屋に入って来たことすら、全く気付かないでいた。


「よっぽど疲れてたみたいね、私」


 普段はあまり感じたことは無いが、魔力疲労の一歩手前くらいだったのかもしれない。下手に魔力がある分、限界を感じにくいのだ。

 猫達を相手に反省会をしていると、廊下で微かに人の話し声が聞こえてきた。侍女長であるリンダと、あまり聞き慣れない男性の声。エバ達母子の診察を終えた訪問医だろうか。


 長く横になっていたせいで皺だらけになった外出着を脱ぎ捨てると、マリスはブラウスとロングスカートというシンプルな普段着へと着替えた。少し肌寒い気もするので、その上に薄手のカーディガンを羽織ってから、まだベッドで眠り続けようとしている黒猫の頭を撫でる。


「エバ達の様子を、ちょっと聞いてくるわね」


 マリスが階段を降りる途中、玄関扉がバタンと閉まる音が耳に入ってきた。医師を見送ったリンダが一人戻って来たところらしく、すぐ後には馬車が走り去っていく蹄と車輪の音が外から響き聞こえてくる。


「あの親子のことはどうっておっしゃってた?」


 一階に降り立つと、ホールを抜けて調理場へ向かおうとしているリンダを捕まえて問いかける。


「あら、マリス様こそ、もう起きられても平気なのですか? かなりお疲れのようでしたが」

「ええ。私は大丈夫」

「赤子は少し痩せ気味ですが特に問題ないそうです。ただ、母親の方は産後に動き回ったことで出血も多く、貧血を起こしていたのでお薬を出していただきました」


 そこまで言うと、リンダは憐れむように顔をしかめる。具体的な話をエバからは聞いていないらしいが、赤子の様子から産後すぐで無理をしたことを察したのだろう。


「まともに食事を取らずに乳をやっていたらしく、栄養状態も悪いとか。なので、何か食べやすい物を用意させていただこうかと」

「そう、お願いするわ。子供の方はメリッサに任せても大丈夫そう?」


 さすがに三人の世話は無理かしら、と不安気に聞くマリスへ、リンダは吹き出すのを堪えた微妙な表情を見せる。


「ええ、それは私も心配して聞いてみたのですが、問題はなさそうですわ。保存している予備の乳を飲んでくれる子が出来たと大喜びしておりました」

「メリッサって、凄いわね……」

「ええ、私が乳母の時は、絞り出してやっと二人分でしたのに……」


 揃って二階の方を見上げ、感嘆の溜め息をつく。溜まっていく一方の保存用の乳まであったことにも驚きだが、あっさりと別の赤子まで受け入れてしまえるメリッサの懐の深さには感服だ。


 夕食の指示を出しに調理場へと消えていくリンダへ、マリスは心の中だけで謝罪する。元乳母だからこそ、面と向かって言葉にはなかなか出来ない。自分でもちゃんと自覚はしているのだが、どうもお節介が過ぎてしまうのだ。


 ――いつも、面倒事ばかり持って帰って来て、ごめんなさい。

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