第33話・森の薬魔女エバ

 森の集落で薬魔女をしているという女は、名をエバ、歳は24だと言った。頭まで深く被っていたローブを脱ぐと、肩で切り揃えられた赤毛の下から化粧っ気は無いが意志の強そうな顔が現れた。狩人の夫と共に集落に居たが、事情があって森には居られなくなり、子供と二人で領境を越えてシードへと移って来たのだという。


「あなた達が家を出たことは、ご主人は知っているのかしら?」

「いえ、黙って出てきたので……」


 生粋の森の狩人であるエバの夫も、赤子の持つ未知の力を信じて、我が子でさえも生贄にと考えているのだろうか。子を抱きながら震えているエバを、マリスは憐みの目で見つめる。未知の力とは、実の子を手にかけてまでして欲しいものなんだろうか。


「これから向かう教会は、ウーノのでないといけない?」

「え?」

「ルシーダの教会でよければ、ちょうど学舎で魔術教員を探しているのよね」


 おそらくエバの魔力量なら魔術指導者として申し分ない。もしこちらの領で仕事を探す気があるのなら、候補に入れてもいい。

 それに、領境のウーノにいるよりはルシーダにいる方が追手の目からも逃れ易いだろう。何より、観光名所も領境も何もないルシーダなら、もし見慣れない顔がウロウロしていればすぐに分かるし安全だ。


「でも、まずは身体を休める必要があるわね。――やっぱり、屋敷へ戻ってくれる?」


 御者席へ通じる小窓を開き、行き先の変更を告げる。向かいの席で驚き顔をしているエバへ向けて優しく微笑みかけると、マリスは手を伸ばして狩人の妻が抱く赤子の頬に触れた。大人しく眠っている子供の方は大丈夫そうだが、母親の顔色は悪いままだ。未婚のマリスでも、産後に無理をするのはいけないことくらいは知識として知っている。


「うちにはとても優秀な乳母が二人も居るのよ。だから、あなたも子供を預けて少しくらい眠るといいわ」


 メリッサならもう一人ぐらい増えてもきっと平気だわ、と乳母の豊満な胸を思い浮かべる。元乳母のリンダだっているし、エバの産後の体調が落ち着くまでは屋敷においておくのも良いだろう。

 ただ、急に人を拾って来たとなると、リンダの小言を受けるのは確実だ。少し考えた後、マリスは外へ向かって魔力を放つ。そして、横に置いていた鞄から紙とペンを取り出すと、走り書きで短い文をしたためてから、小さく折り畳んでいく。


「――来たかしら?」


 しばらく後に周辺から気配を感じて馬車の窓を開くと、そこから真っ白な鳥が一羽飛び込んで来た。先日マリスが契約した、魔鳥キュイールだ。マリスの隣の席に止まったスノウは次の指示を待つように静かに翼をしまう。


「急に呼んでごめんなさいね。先に戻って、これを屋敷の者に届けて欲しいの」

「きゅい」


 灰色の鱗に覆われた脚へ手紙を結び付けると、人差し指で白い頭を撫でてやる。一鳴きした後に開いたままの窓から飛び立っていく契約鳥を見送った後、振り返ったマリスは少し気まずそうに笑んだ。魔鳥とマリスとの一連のやり取りを黙って見ていたエバが、目を丸くして固まってしまっている。


「今の、魔鳥ですよね……?」

「ええ、そうよ。北部にいる友人から送って貰ったの」


 真っ白な鳥が飛び去って行った方角を目で追うと、何だかとんでもない人と巡り合ってしまったとエバは呆気に取られていた。魔鳥を使役する彼女は一体何者なんだろうか、と。しかも、目の前に座る温和な女性から漂う魔力量は、ただの薬魔女である自分とは比べ物にならない。


 この馬車に描かれたシードの家紋と、圧倒されるほどの魔力。そこから導き出される人物のことは、隣領の森に住むエバでさえも一度は耳にしたことがある。


「辺境の魔女様、でしょうか?」


 恐る恐る口にしたエバの問いに、マリスはにこりと微笑んでから、黙って頷いて見せる。分かっているのなら、話が早く済みそうだし助かるとでも言いたげだ。

 偶然とは言え、何て方に拾われてしまったんだと、エバは膝が震えるのを感じた。


「とりあえず、詳しい話は屋敷に着いてからね」


 ルシーダの屋敷に着くと、呆れに似た表情を浮かべたリンダが玄関前で待ち受けていた。苦笑いを浮かべながら手荷物を侍女長へ預けたマリスは、一緒に出ていた侍女の一人へ、後ろを歩くエバを客室へと案内するように指示する。


「子供はメリッサに。母親は一度医者に診て貰った方がいいかもしれないわね。顔色が悪すぎるもの」

「そうですね。すぐに先生をお呼びいたします」


 母子のことは侍女長達に任せておけば心配ないと、マリスはホールに設置されたソファーへと深く腰を下ろす。背凭れに身を預けながら、思わず大きな溜め息が漏れ出る。


 ――なんだか、今日はバタバタだったわね……。エバ達のこと、お父様へも連絡しなきゃ……。


 目を閉じてしまうとそのまま眠ってしまいそうなくらい、瞼がとても重い。考えてみれば、予想していた以上に石壁に長さがあったから、結界での魔力補充よりも力を消耗した気がする。


「神父様にも、連絡を……」


 魔術教員の候補が見つかったと、アレックス神父へ伝えなければと思ったのを最後に、マリスはそのままソファーの上で身体を横たえた。

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