第32話・ウーノの石壁2

 街の西側に建造された石壁へ強化魔法を施し終えると、閉ざされていた門扉が軋んだ音を鳴り響かせながら、検問人によって再び開かれた。門前で足止めを食らっていたらしい荷馬車が一台、検問所前で積み荷の検査を受け始めている。


 門の向こうに見える景色は、サズドール領の広大な森。最も近くの町まで続く一本の細道はあるのもの、一般的な獣だけでなく、魔素を取り込んで狂暴化した種――魔獣も生息する、お世辞にも安全とは言えない危険領域。今入って来たばかりの小型の荷馬車でさえ、武装した護衛を同乗させているくらいだ。


 その危険な森の中を生まれたばかりの赤子を抱いて逃げるのは命懸けの行動だっただろう。下手をすれば、ウーノに辿り着く前に獣に襲われてしまう可能性もある。実際にも、逃げる途中で落とした命があるかもしれない。


 そして、危険極まりない森の中に平然と拠点を置いているという狩人達の執念は計り知れない。集落から逃げ出した者を追い掛けて、わざわざ連れ戻しに来るのは裏切り者として見せしめる為だろうか。

 街から忽然と姿を消したという女達の身を案じ、マリスは胸が締め付けられる思いにかられる。


「残りの修復作業は出来るだけ急いで。大きく倒壊してしまうようなことがあれば、強化の意味が無くなってしまうわ」

「はい。そのように――」


 手持ちの資料に至急と朱書きすると、役人は検問所の中で待機しているという修復工事の責任者の元に指示を伝えに向かう。マリスは後方に離れて立っていた護衛騎士に目配せし、馬車を検問所前に横付けさせて乗り込んだ後、もう一度改めて石壁を見回した。


 ――少しでも護れると良いんだけれど……。


 隣領で起こっていることに何の手出しも出来ないのがまどろっこしい。シード領として出来るのは、領内へ入って来た者を護り匿うことだけ。

 領主である父からはサズドール領主へ向けて、事態の早期解決を促す文書を送ったとは聞いているが、まだ証拠も掴めていないようなので、そう簡単にはいかないだろう。


 と、マリス達が乗った馬車が検問所の敷地を出ようと動きかけた時、門扉前の方から検問人の怒鳴り声と共に赤子の鳴き声が聞こえてくる。


「おいっ、ちゃんと並んで順番を待て!」

「すみません、先に……お願いしますっ。急いでるんです」


 ローブを目深に羽織り子供を抱き抱えた女が、並びを無視して門を入ろうとしたらしく、厳しい形相の検問人から止められているようだった。その様子を馬車の窓から覗き見ていたマリスは、御者に馬を戻すよう指示し、検問所の前で再び馬車から降りていく。


「ちょっと良いかしら? 子供も泣いていることだし、安全な場所でお話を伺っても?」

「え、あの……」


 急に声を掛けてきた若い娘のことを驚いた顔で見返した女は、彼女が降りた馬車にシード家の紋が刻まれていることにすぐ気付いたらしい。簡単に抗える相手でないことが分かると、諦めたようにこうべを垂れて「……はい」と小さな声を漏らした。


「大丈夫よ。気になったから、少し確認させて欲しいだけ」

「確認、ですか……?」

「ええ。これからどちらへ向かうつもりなの? 送らせていただくから、中で聞かせて貰えるかしら?」


 「後はこちらで済ますから」と検問人へ声を掛け、ほぼ強引に馬車に女と赤子を押し込むと、マリスが何も言わなくとも護衛騎士は御者の隣へと席を移動する。しばらく馬車の中では泣き続ける赤子の声が響いていたが、車内の揺れに落ち着いたのかいつの間にか泣き声は小さな寝息へと変わっていた。


「ふふ、眠ってしまったわね。この子で生まれてどのくらい?」

「今日で十日になります」

「あら、そんなすぐに連れ回しても平気なの?」

「それは、その……」


 よく見れば、女の顔色はあまり良くない。血の気のない肌に加え、赤子を抱いている指先も微かに震えているようにさえ見える。産後すぐに動き回るのは母親にとっても良いことではないはずだ。そうまでして母子でウーノに入った理由は、そう簡単には話してくれないかもしれない。


「でもまずは、行き先を聞かせて貰わないと。目的なく馬を走らせていたら可哀そうだわ」

「えっと……では、教会へ」


 分かったわ、と頷くと、マリスは御者へ教会に向かうよう指示する。そして、ウーノの市街地へと走る馬車の中で、女の様子をそれとなく観察する。子供を強く抱き抱えながら、窓の外を落ち着かない表情でチラチラと何度も気にしている。――まるで、追手が無いかを確かめているかのように。


「あなたは、サズドール領の方?」

「はい」

「サズドールのどちらから?」

「……森の集落、です」


 一瞬だけ言葉に迷っている風だったが、女は観念したかのように答えた。「森の狩人の?」というマリスの問いには黙って頷き返す。


「産後すぐだからかしら、随分と乱れてはいるけれど、かなりの魔力持ちなのね」

「はい、薬魔女をしております」


 けれど、腕に抱かれている赤子からは魔力らしき気配は無かった。魔女の子だが、魔力を受け継がない赤子。まさに、サズドールで攫われる対象となっていると言われている子ではないだろうか。

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