真っ暗な砂浜

 夏になったら、さぞや花火客でうるさいだろうと思う真っ暗な砂浜にいるのは、今は俺だけ。寄せては返す波打ち際を、旅館からどれだけ歩いたろう。

 もう真夜中近いのかもしれない。満月が中天にかかっていて、蒼い光を辺りに放っている。

 本当に静かで、波の音だけが響いて、

『違う世界に迷い込んだみたいだ』

 月の蒼い光もまた、一層そんな不思議さを募らせる。思わず苦笑すると突然、

「ね、遊ぼ…」

 背後で小さな声がした。

「!?」

 驚いてそちらを振り向く俺の目に、小さな女の子が映る。…小学校3年くらいだろうか。

「ね、遊ぼ」

 背中の半ばまでくらいの長い髪の毛にヘアバンド。膝丈までのスカートを夜風にひらひらはためかせながら、女の子は真っ直ぐ俺を見上げ、再び誘ってくる。

「君は…おうちの人は?」

 遊ぶとかどうとか以前に、こんな時間にこんな小さな女の子がどうしてこんな場所にいるんだろうというのが気になって、ほとんど無意識に問い掛けていた。

 なのにこの時の俺は、不審に思うのと同時に、いや、それ以上に、

「いない。ね、遊ぼ?」

 とにこにこしながら、いつの間にかもっと側へ来て俺の目を覗き込んでいる彼女が、

『懐かしい…?』

 なんて思えてしまったのだった。そんな自分に首をひねる。捻りながら改めて問い掛ける。

「真夜中近くじゃないのかな。近所の子?」

「うん…この近く」

 俺の問いに、彼女は海のほうを指差した。

『って、そっちは海じゃないか。人魚とかじゃあるまいし。からかってるのかな』

 そんな風に戸惑う俺には構わず女の子の指を蒼い月の光は照らし続けていて、それを見ると、

『本当に別の世界に迷い込んだみたいだ』

 とか、再び素直に俺はそう思えてしまった。だから、

「おうちの人が来るまでだよ」

 普通に考えたら今時、夜中に小さな女の子を連れてたらそれだけで事案扱いになりそうなのに、するりと言葉が口をついて出た。

「うん」

 すると彼女は顔を輝かせて頷いた。

『あ…れ?』

 その表情を、いつかどこかで見たような気がする。そう思った瞬間、

『思い出しちゃいけない』

 心の中で、誰かが囁いた。けれど、その言葉に耳を傾ける暇もなく、

「ほら、来て」

 誘われるまま、俺は彼女に手を取られて歩き出している。

 月の青、海の青、夜の闇の中でどこからがその境界線なのか、まるきり区別のつかない不思議な空間の中、

『その手を取っちゃいけない』

 波のように俺の胸の中に打ち寄せる「誰か」の囁きは、けれど、

「遊ぼ?」

「…うん」

 という彼女の問いに跡形もなく消えていってしまった。


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