ようこそ、王子様

『どこから見て歩こう』

サーカスのジンダの音。鼻を振って、ゆったりと歩く象。檻の中に入れられて、退屈そうにあくびをしているライオン…思ったほど、規模は大きくないらしい。

『そういえば、昔、一度だけ行った事があるよな』

ただ日暮れまで夢中で遊んでいられた、抱いていたでかいでかい夢を告げても誰もそれを笑わなかったあの頃に、一度だけ連れて行ってもらったサーカスのことを、俺は思い出す。

思えば、あの頃が一番幸せだったんじゃないだろうか。涙が出るほどに懐かしくて、目を細めながら歩いていると、気が付けばどこかで見たようなメリーゴーランドの側に俺はいた。

そして、

『逃げろ』

どこかからか、声が聞こえた。周りを見回してみても、誰もいない。

ただ、綺麗に飾り付けられた小さな馬達…ポニーっていうんだろうか…ずらりと並んでいて、俺をじっと見ているだけ。

その時、やっと気づいた。賑やかな音楽が流れているのに、人間の客は…もしかして俺だけ?

人の気配がまるでしないのに、

『逃げろ。早くここから逃げろ』

また、その声だけが頭の中に直接響く。もう一度小さな馬達を見ると、彼らも丸い瞳を見張って俺を見つめ返して、

「あらあら、だめよ、貴方達」

そこへ、彼女が戻ってきた。途端に、馬達がなんだか怯えた風に彼女を見て後ずさりをする。

「お待たせしました。ようこそ、王子様」

三日月のようになった目を、さらに細くして、彼女は俺に近づいて手を差し伸べる。

「今を嘆くだけの寂しい魂…助けてあげる。これからは、ずっと私達と一緒に。幸せだったあの頃の記憶のままに」

「な…?」

彼女の言葉が終わらないうちに、俺の体がなんだか変わっていく。

「い、た、い…」

ミシミシと嫌な音を立てて、肩が盛り上がる。呟いたはずのその言葉は、テレビでしか聞いた事の無い馬のいななきに変わって、二本足で立てなくなって、俺の腕にもびっしりと茶色い毛が生えて、そして…。


* * * * * *


「…はい、彼から、これを引き取ってくれって頼まれていたもので。お手数をおかけします」

そのあくる朝。一人の少女が、彼の家を訪ねてきた。

応対に出た、取り乱した様子の彼の母親から、あのサーカステントのドールハウスを受けとって。

行方不明の彼へ心を奪われてしまった彼の家族は、無論そんな『人形の家』のことなど気にも留めない。

「寂しい人はいませんか。私達の店が見えたなら」

鼻歌を歌いながら、どこかへ去っていく少女は、肩に小さなサルを乗せている。

「それは寂しい証拠。ずっと私達と一緒に、海の上で遊びましょう。幸せだった記憶のままに…」

説明書きに乗っていないポニーの人形が1体増えたそのドールハウスを大事に抱えて、少女は去っていく…。




FIN~

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