シーン15 あなたとぼくと魚たち
ふと、絵描きは呟くように語る。
絵描き
ぼくは魚になりたいと思うことがあるんです…。
夫
(再び大きな溜め息をつき)なんなんですか急に…。あなたのそういうところですよ…。
絵描き
(夫の言葉に構わず)魚って、いろんな種類がいるでしょう…。みんなバラバラです…。深海魚もいます…。海の上には出られない魚たち…。しかし飛び魚はちがうでしょう…?飛び魚は空を飛ぶんです…。
夫
そりゃ、生態が違いますからね。でも水の中でしか生きられないのは同じでしょう。
絵描き
でも、水の中ならどこの水でもいいわけではないでしょう…?海の魚もいます…。川の魚もいます…。ぼくらは魚に、水の中ならどこでも良いだろうとは思わないんです…。
夫
そりゃそうでしょう。彼らに求められるものではありませんからね。
絵描き
そうなんです…。ぼくたちはそれを魚に求めるものではないと…。初めからそう思って魚を見ているんです…。なのになぜ…。人間同士はそう思えないんでしょうね…。
夫
同じ人間ですからね。自分と同じ構造の生き物だって思っているからですよ。だって人間には魚ほどの差はないでしょう。
絵描き
いっそのこと、人間にもそのくらい差があればよかったのにって思いますよ…。違うものをただ、そういうものだって思えるように…。例え理解しあえないとしても…。共存できるものでなくても…。そもそも、そういうものだからって…。
夫
あなたね、人間にはあまり大差ないなんて仰りたいのかもしれませんけど。人間にだって大きな違いはたくさんありますよ。性別も、年齢も、職業も。国籍も肌の色も。言語も文化だって、みんな違うじゃないですか。
絵描き
そう…。ですから匂いも音も味も…。好きだと思うものも…。美しいと感じるものも…。あなたが仰ったなんとなくのものにもきっと…。大きな違いがあるんですよ…。
夫
ああ…。そういうことですか。いいですよ、わかりました。あのですね、感覚とか感性とかいう個人の好き嫌いのような…。そういうなんとなくの部分はね、みんな同じように共有できなくても困らない部分なんですよ。その点でいえばね、とくに現代の我々は生きている上で多少違っていたとしてもたいしたことない差なんですよ。それこそ、みんな違うからいいってものじゃないですか。
絵描き
でも…。あなたはそもそも、そのなんとなくの部分を奥様と理解し合いたいとお考えだったのではないですか…?
夫
ああ、もう…。あなたが魚の話なんかしでかすものだから、何がなんだかわからなくなってしまいましたよ。だからそういう感覚的な話はやめにしたいと私は言っていたんです。あなたはね、相手にちゃんと理解してもらえるような説明の仕方を学んで、そういう話し方をする癖をつけた方がいいですよ。
絵描き
ぼくはこれでもぼくなりに、あなたの言語で説明をしていたつもりなんです…。
夫
ちっともわかりませんよ。それにね、あなたからはそういう気持ちが全く伝わらないんですよ。
絵描き
ぼくもぼくなりに、あなたを理解しようとしていたんですよ…。ぼくもきっと、あなたと同じだと思ったからです…。
夫
そうですよ。我々は同じ人間なんです。ですから知識や知恵を持っているんですよ。言葉を、言語を持っているんですよ。時間や手段がないだけなんですよ、きっと。ですから努力や工夫をし続ければいつかは理解を示しあえるものだと。共存できるものだと。僕はそう信じたいんですよ。僕はそれを、信じていたいんですよ…!
絵描き
わかりますよ…。ですからぼくは絵を描いているんです…。ぼくの言語がこれだったんですから…。
夫
それが…。あなたの言語…?
絵描き
そうです…。あなたはぼくに、あなたの話をしてくれました…。だからぼくも、あなたと話がしたくなったんです…。
夫
これが…。あなたの…?
絵描き
いつかあなたもぼくの絵を見てください…。これがぼくの…。ぼくの、ことばです…。
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