シーン13 好きの理由

ふわっと風が吹き、絵描きは帽子を優しく抑える。


匂いが…。なんなんですか…。


絵描き

ぼくもこの匂いが好きなんです…。でも、これが嫌いだ…。いや、苦手だという人がいるのもよくわかるんです…。


ああ。その節は申し訳ありませんでしたね。


絵描き

(夫の言葉に構わず)でも…。ぼくがなぜこれを好きなのかっていう…。その「なぜ」の理由を求められたとしたら…。ぼくは少し、困るんです…。


夫   

(諦めて)はあ…。匂いはね。そういうものでしょうね、きっと。


絵描き 

そうでしょう‥?これがどんな匂いだとか…。何が含まれているだとか…。どんなにきちんとした説明ができたとしてもね…。匂いそのものの好みは誰とでも理解しあえるものではないんです…。


夫   

ちょっと待ってくださいよ。私たちが話していたことと匂いの話は違うんじゃないですか?匂いはそうかもしれませんけどね、私たち自身のことは言葉や行動によって理解し合えますよ。私たち自身の頭と心でね、共有しあえるはずだってことを私は言いたいんですよ。


絵描き 

でも嗅覚だって…。感覚だって、ぼくたち自身のものですよ…。


夫   

そりゃそうですけどね。でもそんなのはただ好みの問題でしょう。それはなんだか腑に落ちませんよ。


絵描き 

ああ…。それです…。


夫   

(イライラしながら)それって?


絵描き 

もしかしたら、腑に落ちる落ちないという感覚とそれは似ているのかもしれません…。もちろん音や味も…。みんな違うんです…。好みも…。感じ方も…。どうしたって、わかりあえないものがあるんですよ…。


夫   

だからそれは仕方ないことだと思うべきだと?そういうものだと。あなたは結局そう言いたいんですか。


絵描き 

わかるひとにはわかるし…。わからないひとにはわからない…。それこそ、なんとなく…。なんとなくです…。言葉で伝えきれない…。そんな曖昧なものが、人には確かにあるように思うんです…。


遠くの方からかすかに子供たちの笑い声が聞こえる。



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