シーン8 話しかける理由
夫に声をかける絵描き。
絵描き あのう…。
夫
(驚いて)ああ。なんでしょうか。
絵描き
大丈夫ですか…?やっぱりこれ、臭いますか…?
夫
ああ…。まあ…。
絵描き
そうでしたか…。すみません…。盗み聞きするつもりはなかったんですが、聞こえてしまったものですから…。
妻
(にっこりして)わたしはこの香り好きですよ。とっても。
絵描き
そうですか…。でもご主人は苦手のようですから…。やっぱり、すみませんでした…。
夫
ああ、いや…。彼女のように好きとまでは言えませんがね。私も別に平気ですから…。
絵描き
いや…。すみません…。あの、私、もう帰りますので…。
夫
いやいや、描いてくださいよ。本当に。ね、どうかお気になさらず。だってここであなたに帰られてしまったら、なんだか私が悪いことをしてしまったなって思いますよ。ですから、ね…。
絵描き
いえ…。ぼくが勝手にやっていることですから…。本当に…。すみませんでした…。
どこかに行こうとする絵描き。
夫
(焦りながら)どちらに?
絵描き
ああ…。ちょっとお手洗いに…。
夫
ああ…。そうですか…。
絵描きは気まずそうにそのままトイレに向かう。それを怪訝そうに見送る夫。
夫
(見送ってから大きな溜息をついて)おかしな人だな…。なぜあんなに話しかけてくるんだろう…。
妻
心配性だって言ってたわ。
夫
そのわりには人にも心配させるようなことを言うじゃないか…。あんな風に言われたらね、僕の方がよっぽど申し訳ない気持ちになるよ…。
妻
寂しいんじゃないかしら、あのひと。
夫
(少しイラっとしながら)なぜ?あの人は絵を描いているじゃないか。
妻
たまにいるでしょう。わけもなく、ただなんとなく話したそうにしながら声をかけてくるひと。
夫
そんな人いるかい?僕は会ったことないけどな。
妻
いるわよ。喫茶店なんかによくいるわ。
夫
そうかい?例えばどんな風に?
妻
突然ね、読んでいた新聞を畳んだりしながら「いやあ、世の中大変だなあ」とか言うわ。
夫
ああ…。確かに居るね…。そういう人も…。
妻
ね。独り言にしてはこっちにもよく聞こえるように言うもんだから、もしかしたらこれはわたしに話しかけているのかもしれないって思うでしょう?だからそういう時は、そうですねってお返事してるわ。
夫
きみね、そんな人にいちいち構わないでいいんだよ。そういう人は言いたいだけなんだから。別にきみの返事を望んでなんかいやしないよ、きっと。
妻
でも、病院でバスを待っているときなんかもそういうのあるわよ。これはどこに行きますかって聞かれるから教えてあげるの。
夫
それは迷っている人だろう?それは確かにきみに声をかけているんだから答えてあげたらいいけどさ。喫茶店の人とはちょっと違うように思うよ。
妻
ふうん。あ、そういえばね、おとついくらいは帰り道に男の人から声をかけられたわ。
夫
なんだいそれ。聞いてないよ。なんて?
妻
今、なにしていますかって。
夫
きみね、それは誘われているんだよ。
妻
そうだったみたいね。
夫
ちゃんと無視したんだろうね。そういうのは無視するか、きっちり断らなきゃいけないよ。
妻
うちに帰るところですって答えたわ。
夫
だめだよそれは…!一番だめな答えかただよ…!
妻
いま何してるのかって聞かれたから、そのまま答えたただけよ…。
夫
相手はなんて?
妻
なら、神様のお家にいっしょに行きませんかって誘われたわ。
夫
ああ…。そっちね…。
妻
どっち?
夫
いや…。なんでもないよ…。
妻
(なぜか得意げに)でもね、わたしはわたしのお家がありますからって、きっちりお断りして帰ったのよ。
夫
ああ…。そう…。
妻
そうよ。だからあの人も寂しいんじゃないかしらってね、思ったの。寂しくて、誰でもいいから誰かとお話したいんじゃないかしら。
夫
まあ…。そういう人もいるかもしれないけどさ…。あの人はきっと違うと思うよ…。
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