シーン4 パンと絵描き


絵を描く準備をする青年を見つめながら、こっそりと夫に耳打ちする妻。その表情は悪戯を企てる少女のようである。


ねえ、あなた。


なんだい?


あのひと、匂いを気にしていたのね。


そうみたいだね。


妻   

ふふ。わたしね、もしかしたらわたしたちのパンが食べたくなって来ちゃったのかしらって思ったわ。


夫   

はは。そんなわけないだろう。


妻  

もしかしたらよ。でも、もしかしたらほんのちょっとはそう思ってるかもしれないわ。


夫   

ふふ。そうだとしたら困るなあ。


妻   

あら。どうして?


夫   

だって知らない人だよ。そんな人から突然これをねだられたりなんかしたら、きみだってちょっと困るだろう。


そうかしら。あの人がついそう思っちゃうくらい、わたしたちはこれを美味しそうに食べていたんだなってわたしは思うわ。だって美味しいもの、これ。


夫   

いや、そうかもしれないけどね…。それじゃ君は、彼にねだられたらどうするんだい?これ、あげるのかい?



あげるとは言わないわ。ねだられたってそう簡単にはあげたくないわ。だって美味しいもの、これ。


ああ。それはそうだね。ねだられたからといっても別に、あげなければいけないわけではないね。


そうよ。お腹がすいて死にそうだっていうのなら話は別だけどね。そうしたら半分くらいはあげてもいいわ。ううん。それなら全部あげたっていいわ。仕方ないことだもの。


夫   

きみは優しいなあ。


妻   

ふふ。でも、そうでないなら教えてあげるわ。そこのパン屋さんで売っていますよって。自分で買いにいけばいいのよ。


夫   

それもそうだね。彼だってパンを買うお金くらいはあるだろう。


妻   

そのくらいあるわよ、きっと。


夫婦が会話をしていると、いつのまにか夫の背後に絵描きが立っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る