第1章 産声~Steaple's First Cry~

第1話 物言わぬ少女

 時計の針が夜九時を指そうとしている。

 上を見上げれば満点の星空を味わえる時間帯ではあるが、ヴェラム王国には明るさが残っていた。

 石造りの建物が並ぶ町並みの中心には、美術品のように模様にこだわった外壁がそびえ立ち、国王の住まう城を取り囲んでいる。その城門をわずかに開き、見回りの兵士たちが夜の街へと繰り出していく。

 兵士たちは武器を、あるいは魔法を用いて魔物の襲撃に備える。魔物とは、人間の安息をおびやかし、人間の命を糧として生き延びる存在……何とも恐ろしい存在だ。

 とはいえ、そんな魔物も形を変えれば人間の生活を豊かにしてくれる。町の至る所に吊るされたランプが一晩中、明るさを提供してくれるのも魔物から採取された魔力を持つ素材のおかげだ。

 ……そう、ヴェラム王国兵団は人々の平和を守るだけでなく、人々の生活の発展にも貢献している。実に誇りある職務なのだ。

 そんな職務にわずか十二歳で携わる風変わりな少女、それがスティープル……すなわちあたしというわけだ。


「なぁ、一応だけど聞いておくぜ?何かの手違いがあるっていう可能性もゼロじゃあないだろ?」


 兵士の一人が言う。よほど実力が秀でていない限り、夜間の見回りは三人一組での行動が原則である。


「俺たちと一緒に見回りをする残りの一人っていうのはあんたのことか?」

「…………」


 あたしは無言で頷いた。同時に二人の兵士から溜息が漏れる。


「あーあ、最近ツイてないなぁ……今朝だって家の前に鳥のフンが」

「お前の不幸話なんか聞いてねぇ!ともかく……何も起きないっていう可能性を祈るしかねぇな」


 あたしよりも遥かに背の高い成人男性たちから注がれる視線はいつだって侮蔑に染まっている。

 二人から目を反らし、あたしは支給された紙にペンを走らせる。その日の見回りを担当する兵士が、開始時と終了時に名前と時間を記載するものだ。


「スティープルか……腰まで伸ばした緑色の髪、全身を覆うほどにブカブカなコートはブーツと共に濃いピンク色、内側のシャツとズボンもピンク色だがこちらは淡い色合い。噂通りの服装だな」

「子供は服装が自由で良いよね」


 彼らの皮肉めいた言い方が表すように、あたしの服装は他の兵士たちとは異なっていた。

 ヴェラム王国における兵士たちの服装は同じ物だ。何らかの成果を出して上層部に認められて、そこで初めて自分なりの服装で活動することが許される。

 しかし十二歳という年齢に加えて、同年代の子と比較しても体格の小さいあたしの場合、共通の服装に袖を通すことなど到底不可能なのだ。

 もっとも自分で選んだ服装は母の形見のコートであったため、結局サイズは合っていないのだが。




「一体なんだってあんな子供が兵士なんだ!」


 見回りが始まってからも彼らの無駄話は止まらなかった。


「俺たちは苦労を重ねてこの座を勝ち取ったのにだ!そのへんの家の中で鼻水垂らして寝てるようなただの子供が兵士だなんて!こんな馬鹿にした話があるか!?」

「ただの子供じゃないってことでしょ。聞いたことあるよ、あいつの両親はヴェラム王国の発展に大きく貢献したって。あいつが兵士になれたのも親の七光りってやつじゃない?」

「あーん?いいや、そいつは俺の知ってる話と違うな。あいつの両親は国家反逆罪で処刑された犯罪者らしいんだ。スティープルって、わざわざ名前の方だけしか書かねぇのも犯罪者との関わりを断ち切るためじゃねぇか?」

「それも変でしょ、犯罪者の身内がどうして兵士になれるのさ?」

「そりゃあ……うーん、俺には国王様のお気持ちは分からねぇな!」


 二人の兵士はあたしの前を歩きながら、振り向くことなく自由気ままな推理に没頭している。

 言い返したいことは山程あった。

 でも、あたしにはそれが許されていなかった。

 なぜなら……!


「まぁ、一番の変わっている所はあれだよね」

「そうだな!あれしかねぇ!」


 そこで始めて彼らがあたしの方を振り向き、同時に言った。


「言葉を喋れないことだね」

「言葉を喋れねぇことだな!」

「…………」


 ある人は病気だと言った。別の人は呪いだと言った。あるいは身体構造上の障害であってそれ以上の深い背景は無いという説もある。

 詳細は分からない。ただ事実だけを言うと、あたしは生まれつき声を出せないのだ。


「…………」


 コートの袖を掴む。

 事情を知っていたかもしれない両親は六年前に他界した。国王によれば優秀な人たちだったらしく、亡くなった彼らへの恩義からあたしを引き取って育てることにしたそうだ。

 幸いにも両親の優秀な遺伝子はあたしに引き継がれていたらしく、兵士としての訓練や与えられた仕事をこなすのに不自由はしなかった。

 そうして年月が過ぎ、今のあたしは十二歳になった。

 そろそろ教えてくれてもいい時期じゃないか、いや教えてほしい……!

 何というか、分からないことがずっと解消されず残っていることへのモヤモヤを感じる、そんな年頃だ。




 ……バサッ!


「……!」


 不意に近くで翼の音が聞こえた。この大きな羽ばたき音は鳥のものではない。

 周囲を見回す。

 ……あれは何!?あたしたちの方へ接近してくる影が……!


「まったくよぉ!言葉も喋れねぇ十二歳の子供が──」

「おかげで僕たちは実質二人だよね。もしこの状況で──」


 二人は気づいていない。既にあたしの方から目線を外している。


「……っ!」


 ダン!ダン!

 強い足踏みを二回。

 びくりと体を震わせた彼らが苛立たしげに私の方を振り返る。


「何だお前、いきなり駄々を──」


 ……だが振り返っただけで、あたしの表情から異常事態を察する時間は無かった。

 兵士の横方向から一つの影が強襲する。


「あ……?あ、あがっ……!」

「えっ!?どこから湧いてきたのさ!?」


 それは全身が灰色で、体毛と呼べるものが一切ない点と背中からコウモリに似た羽が生えている点を除けば、人間と同じ身体構造をしていた。

 紛れもなく、あたしたち人間側が魔物と呼ぶ存在だ。

 両手で握りしめた細身の剣を兵士の脇腹に突き刺したまま、そいつはケラケラと笑っている。


「ケケケ……まず一人」


 魔物が剣を引き抜く。

 倒れ込んだ兵士には目もくれず、もう一人の兵士へと向かって剣を構える。


「つ、ツイてないなぁ……戦力外の子供がいる時に限って魔物が襲ってくるなんて。いや、でも最初に襲われたのが僕じゃなかったのは逆にツイてる……のかもね。アハハ……!」


 彼は冷や汗をかきながらキョロキョロと辺りを見回し、意を決したように走り出す。

 ただし、その方向は予想とは真逆だった。


「おいっ!?てめぇ!俺を見捨てて逃げるっていうのかァァァーッ!?」


 同僚の悲痛な叫び声が木霊する。


「ケーッケッケッケ!情けない!実に情けない!この下級ペティ小悪魔インプ一体に何というザマだ!こんなザマでは処理するだけ時間の無駄だったか!無視して先へ進んでも良かったかもしれんなぁ!」


 そのインプは声高に笑いながら歩き出した。

 先へ進む……その口調から推測すると、どうやらこいつにはお目当ての場所があるようだ。


「……ん?何だこのガキは?」


 インプの前を遮る。

 兵士と比べればそいつの身長は低いものの、あたしより高いことに変わりはない。インプの目つきが厳しさを増していく。


「お前なんざ始末するまでもないから男の方を狙ったんだ。大人しくしているならわざわざブチ殺したりはしないんだがなぁ……それこそ時間の無駄だろ?ん?それを分かった上でそこに立っているのか?」

「…………」


 もちろん、と頷くことはあたしにもできる。

 ベルトにつけた鞘からナイフを抜く。刃渡り二十センチ程度の、あたしでも振り回せるような大きさだが、ヴェラムの国章が刻まれたそれなりの代物だ。

 倒れ込んでいた兵士がわけがわからないといったように声を上げる。


「な、何をやってんだ……!?脳みそが育ちきってねぇのか、子供の正義感だけで何とかなる世の中じゃねぇんだぞ!?」

「ケッケッケ!これは傑作だなぁ!この国は子供の方が勇敢にデキているらしい!」


 上機嫌な笑い声を上げながらインプが剣を握り直す。


「ならば望み通りに死ねぃ!」


 キンと高い音が響く。

 相手の余裕に満ちた態度は一瞬で鳴りを潜めた。


「なに……!?何だこのガキは!俺様の剣を……!」


 こうやって相手の剣をナイフで受け止めると改めて実感できる。あたしの両親は本当に優秀で、あたしにもその血が流れていることを。

 インプが何度も剣を振るう。右から左から。だが、あたしはそれを全て受け止める。


「まさかお前のさっきの足踏みは……そういうことなのか!?俺様の接近にお前だけは気がついて……!」

「ふっ」

「クソガキがァァァーッ!」


 口元を釣り上げて見せた私の表情に、インプは激高の叫び声と共に距離を取る。


「ナメた顔だ今のは!ガキが俺様を下級ごときとナメた顔だっ!」

「……!」


 インプの右手が淡く光りだす。魔法を繰り出す前兆だ。

 魔法は自分の精神力を魔力に変換し、呪文を唱えることで発動する。

 それが少しだけ妬ましい。あたしにとっては一生を費やしても習得できない無縁のものだから。


「『黒飛弾コルヴァス』!」


 インプの手に形成された黒い球体があたしの方へと放たれる。

 球体は地面に着弾し、炸裂。着弾地点を中心にエネルギーが拡散し、そこにいる者へダメージを与える。

 ……だがそこには誰もいなかった。


「ぐがっ……!」


 インプが魔法を放つ瞬間、あたしはナイフを投げていた。右手に突き刺さった衝撃と痛みが敵の手元を、すなわち魔法の軌道を狂わせた。

 そして第二波が来る前には既に、倒れている兵士の剣を手に敵の懐へと入り込んでいた。


「お、お前は一体……!?」

「…………」


 あたしはスティープル。でも……悪いね、伝えられないんだ。

 振り抜いた銀色の刃がインプの胸元を一閃した。

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