第4話・そろそろチェックアウトの時間です

「三上さん、時間って大丈夫なんですか?」

 お言葉に甘えてお風呂に入り、一緒に入ろうとする三上さんとの攻防戦をなんとか制し、改めて身だしなみを整え、二杯目のコーヒーを頂いて、現在時刻9時20分。

 通常のホテルだとそろそろチェックアウトの時間です。

「あっそうだね、もうそろそろかも」

「おいくらでしたか? 忘れちゃう前にお渡ししたいので」

「ん……ん? そういえば精算……あれ……?」

「? 三上さん?」

「あっそうだ、入る前に払ってたんだ……」

 少し頬を染めて合点がいったように呟いた三上さん。

「ふふ、慣れていても忘れちゃうことってありますよね」

 私にできるフォローのつもり。だったのですが、その一言が何故か三上さんの高潮を加速させ、ついには布団を頭から隠れてしまいました。

「はぁ……やっぱ向いてないや。絹枝ちゃんの前で格好つけるの」

 浮かんでは消えないまま蓄積されていく疑問符。なぜ三上さん程の方が私の前で格好をつける必要が……? それに……。

「わ……」

「……わ?」

 なんだか大変恥ずかしいことを口走ってしまいそうな気がして、途中停止。

 すると三上さんはベッドに寝転がったままこちらへ手を伸ばし、「きて。」と誘います。

「……」

 私にとっても赤くなってしまった頬を隠すには都合がよく、定位置のような胸元にすっぽりと収まりました。

「それで? わ? なぁに」

「わ、私の前では、ありのままでいてくれるのでは……ないんですか」

「!! いや、ね。そうなの。そうの」

 むぎゅっと、三上さんの両腕に力が入り、二の腕から心地いい柔らかさと熱が伝わってきます。

絹枝きぬえちゃんと一緒にいるとありのままの私過ぎて……ダメなのかなって」

「……はい?」

「だって……飲み誘うのいつも私からだし、寝落ちしたフリしても全然手ぇ出してこないし、たまに困ったように笑ってるし……正直、いつフラれるのかって、怖くてしかたなかった」

 そんな風に……思わせてしまっていただなんて……。

「だからね、昨日もし断られたら……踏ん切りつけなきゃならないのかなぁとか思ってたんだ。でもさ、そう思ったらせめて足掻こうって変に力んじゃってさ、慣れないことするから結局ボロも出ちゃったし」

「ええと三上さん、すみません、慣れないことって……?」

「だから全部だよ。あの肉バル行ったのだって初めてだったし、こういうホテル入ったのも初めて」

「えぇ!?」

「だから! そこも不安だった! 『ずいぶん手慣れてますけど誰と来たんですか? 浮気ですか?』とか聞いてくれたらさ、『いやぁ頑張って調べてきたんだよ~』って気軽に白状できたのにさ! 絹枝ちゃん淡々と受け入れてるんだもん! 私に全然興味ないのかなって……本当は……付き合ってるのも……嫌だったのかなぁ……とか……思っちゃうじゃん」

 涙に潤む声。小刻みに震える体。そのすべてが……私が原因で彼女に芽生えた不安から生じているのは間違いありません。だからその芽を摘むのは、私の役目。

「三上さん、」

「なに?」

「交代しましょう」

「……へ?」

 呆気に取られているうちに抱擁から抜け出し、先程まで三上さんがしてくださっていたように、両腕で彼女の頭部を抱え込みます。

「…………や、ばい……幸せ過ぎて……し、死んじゃいそう……」

「不安にさせてしまってすみません。浮気のこととか全く考えてませんでした。……自惚れてましたね……」

「ううん、いいの。……その自惚れは……寂しさより……嬉しさが勝つ、かも」

「……私、三上さんと一緒ならそれだけで嬉しいんです。一緒ならどこでも楽しいですし、三上さんとなら、きっと――」

 初めて、彼女と重なった瞬間を思い出します。ほとんどの記憶は薄れてしまっていますが、ところどころ残った感触や暖かさ、香りや視線は、そのどれもが愛おしくて。

「――なんにも、怖くないんです。だから、離れることが怖くて仕方ありませんでした。私も、こんな私じゃ今にフラれるって……怖がってばかり。ふふ、矛盾してますかね」

「ううん、わかるよ。すごく……わかる。だから……ごめんね、嬉しい」

 私は三上さんを勝手に神聖視して、彼女なら出来て当然だって思い込んで、こんなにも追い込んでいたんですね。

「……唯那ゆなちゃん」

「!! えっ、今名前、名前呼んでくれた!?」

 彼女を不安にさせない第一歩目、それは私と彼女が対等であると、きちんと自分で認識することなのかなぁなんて考えて。自然と、その名前が零れ落ちていました。

「えへへ、なんか照れちゃいますね」

「敬語、敬語も撤廃して!」

「うぅ……わかり……わかった。……唯那、」

「な、なに? 絹枝ちゃん」

「時間、大丈夫?」

「あ、あ~……ん~」

「その様子じゃ大丈夫じゃなさそうですね、行きましょうか」

「もう直ってるし!」

「いきなりは難しいですよ~。ちょっとずつ、ね?」

 私が三上さんを解放するも、彼女は私の腰に腕を回したまま、離れる気配も起き上がる様子もありません。

「…………レイトチェックアウト」

「はい?」

「ここ、レイトチェックアウトにしたら14時までいられるの」

「……へ、へぇ~」

「昨日はほら……お互いあれだったじゃん? ニュートラルじゃなかったというか……」

「……んん?」

「だから、その……もう一回…………しよ?」

 紅潮した頬。一旦逸らしてからこちらへ向ける上目遣い。可憐さが強調される、自身の口元へ添えた指先。

「~~~~!」

 この完璧な可愛さは本当に天然なんですか!? もしかしてまた演技ですか!? だとしたらどこまで計算なんですか!?

「唯那、」

「ひゃ、ひゃい!」

「……レイトチェックアウトは賛成。でも、こうやってくっついてるだけじゃ…………ダメ?」

 昨日の夜は酔いとか雰囲気とか緊張で完全にトランス状態だったからできたわけで。

 かといって拒絶するのも何か違うので、仕草は無理でも言い方を少し、三上さんに寄せて打診してみると――

「ダメじゃない! それも最高!! フロントに電話してくる!!」

 ――あっさり折れてくださいました。あれ、これまた私まんまと引っかかりました? とりあえず私がレイトチェックアウトに乗るまでが計算だったりします??

「ねぇねぇ絹枝ちゃん、映画観ない? 結構新しいのも観られるんだよ」

 枕をクッション代わりにしてベッドの上でくつろぎ、私に全身を預けピトッとくっつきながらリモコンを操作する三上さん。

 そんな彼女を眺めていたら、ふつふつと込み上げてくる一つの感情。今まで憧れとか格好良さとか綺麗さばっかり目についていましたけど――

「唯那ちゃん」

「っ……ちゃん付け……しかもこんな……耳元で……!!」

「可愛いね」

「!! …………ま、待って絹枝ちゃん、ホントに死んじゃ「唯那ちゃんは映画観てていいから、私は唯那ちゃんのこと見てていい?」

 それから、リモコンを放り投げた三上さんが再び私の胸元に飛び込んできて。彼女の背筋をなぞって反応を楽しんだり、耳たぶや脇腹や内ももを弄んでいるうちに、そのうち私も、見ているだけじゃ、抱きしめているだけじゃ我慢できなくなって。

 お互いに隠し持っていたフラれるかもなんて不安を、ぬぐうように触れ合ったのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る