第19話

「そういえば、どうします? フィアなら今、礼拝堂の中にいますけど……」

「……姿だけちょこっと見せてくれないか? 声はかけなくていい、知られたくないっていう人間もフィアのことなんだ」

「なるほど」


 それ以上は聞かないで、僕は礼拝堂の入り口を少しだけ開けた。

 お兄さんは一度頭を下げると、続くように顔だけ出して礼拝堂の中を覗く。

 中にはそれぞれ清掃をしている牧師見習いやシスター見習いの姿。肝心のフィアは、一人せっせとステンドグラスを拭いていた。

 その姿を見て、覗いているお兄さんは───


「……よかった、元気そうだ」


 嬉しそうに、慈しむように、安心したように……フィアに視線を向けていた。

 僕は声をかけない。傍から見たら怪しい行動をしているように見えるけど、邪魔しちゃ悪いような気がしたから。

 その時、ふとお兄さん語り始めた。


「……フィアは、さ」

「はい」

「いい子なんだ、本当に。誰にでも優しくて、純粋で、真面目で。ちょっぴりドジなところもあるし、すぐ恥ずかしがったりするが、そこが可愛くて……色んな人からも好かれてきた」


 それは知っている。少しの間だけ過ごした僕だけじゃない、きっと関わった全ての人がフィアのその姿を知っているはずだ。


「だから幸せになってほしい。兄としても、一人の人間としても。でも、俺は守ってやれなかった……守ってやらなきゃいけない妹のはずなのに、何もできなかった」

「…………」

「ただ、一人の男に好かれなかっただけで、あのクソ両親はフィアを見限った。どれだけ反論しようとしても、家に泥を塗ったフィアに失望して捨てた。それで、俺も最終的には……首を縦に振ってしまった」


 なんの話をしているのか? 具体的な話が一切出てこないから、僕には分かりかねた。

 だけど言っている言葉に嘘はないように思えるし、理解できる部分もいっぱいある。


「もう妹は見限ったかもしれない、恨んでいるかもしれない。だけど……幸せになってほしい。二回目の人生では、悲しむことなく笑顔でいてほしいんだ」


 ひとしきり言い終わると、お兄さん顔を上げて僕の顔を真っ直ぐに見据える。


「なぁ、知らん牧師よ。パートナーというからには、妹を幸せにしてやってくれないか?」


 あまりにも真剣な眼差しに、僕は目が離せなかった。

 いや……目を離しちゃいけないような気がした。


「部外者だっていうのは分かってるし、突然何言ってんだって思うかもしれない。でも、頼む……あいつを、幸せにしてやってくれないか」

「…………」

「金ならいくらでもやる。助成してほしいなら、なんでも言ってくれて構わない。だから───」

「そこまで」


 懇願するお兄さんの言葉を、僕は遮った。

 断られたって思っているのか、お兄さんの瞳には落胆が映っている。

 けど、僕が遮ったのはそういう意味じゃない。


「言われなくても、幸せにしてみせますよ」


 根拠はないし、自信もあるわけじゃない。

 それでもこのお願いに対しては、こう答えなきゃいけないっていうのが分かった。

 自信がないからって上っ面の言葉を並べたわけじゃない。ただ、根拠や自信がなくても───


「今は決意だけです。正直、僕はなんの力もなければ頭もない。フィアには迷惑かけてばかりだし、教育期間の間でしか一緒にいられないからその先は分からない」


 だけど、と。


「彼女が幸せにならなきゃいけない人なんだっていうのは同意しますよ。だから僕はそのために、できうる限りのことはしてみせます」

「…………」


 僕が言い切ると、お兄さんは黙りこんでしまった。

 けど決して瞳は逸らさない。まるで真意と本気を探っているかのようだった。

 そして、それから少しの時間が経って───


「……お前、名前は?」

「アレンです」

「アレンか……」


 お兄さんは、小さく笑みを浮かべた。


「……ありがとう」

「別にお礼を言われることじゃないですよ」


 ただ僕がしてあげたいっていうだけで。勝手にそう思ってしまったっていうだけで。たまたまお兄さんに言われたから決意したっていうだけで。

 お願いされたからっていう理由で、僕はこんな言葉を言ってしまったわけじゃないんだ。


「かと言ってまだ手は出すなよ! そういうのは、フィアがアレンのことをちゃんと好きで、責任取れるぐらいの経済能力を示してからだからな!」

「そんな関係じゃないですけどね!?」

「幸せにするってそういうことだろうが!!!」

「広義的な解釈もあるじゃん!」


 確かにフィアみたいな優しくて可愛い子と付き合えたらいいなとは思うけど、実際にそんな関係じゃないし! っていうより、そもそも出会って一週間やそこらで恋が芽生えるわけないじゃん何言ってんの!? 劇的なイベントがあるならまだしも、まだ一緒に過ごして懺悔室に送られたりっていうイベントしか発生してないのに!


「はぁ……フィアの幸せを願うならそういうこともあるかもとは思っていたが、やはり胸にのしかかるものはどうしても───」


 入り口を覗き、ブツブツと呟き始めたと思った矢先……唐突に、お兄さんの体が固まった。


「どうしたんですか? 何か面白いものでも?」


 急に固まってしまったことを疑問に思い、僕も礼拝堂の中を覗く。

 すると、その中には───


「おにい、ちゃん……?」


 布巾を落とし、信じられないようなものでも見るかのような顔をしてこちらを見ている……フィアの姿があった。

 そして彼女は、ゆっくりと僕達に向かって歩き始める。


「お兄ちゃん、ですよね?」


 その足も徐々に速さを増し、やがて駆け出し始めた。

 礼拝堂では走らないが原則。真面目でルールをしっかりと守ろうとするフィアが、それを気にする様子もなかった。

 いきなり走り始めたことに礼拝堂にいた面々も驚き始めた。

 一方で、駆け寄ってくるフィアを見たお兄さんは、慌てて立ち上がって背中を向ける。


「ど、どこ行くんですか?」

「俺はフィアには会わねぇ! だから今日はここで失礼する!」

「あ、待って!」


 二人の事情はよく分からない。

 どうして会ってあげないのか? そう思ってしまうけど、お兄さんは逃げるかのようにこの場から離れようとする。

 だけど、姿が完全に見えなくなる前───フィアが礼拝堂の扉を思いっきり開け放った。


「お兄ちゃん!!!」


 姿を現したフィアは息を荒らし、真っ直ぐに僕じゃなくて先にいるお兄さんを見た。

 お兄さんは振り返らない。けど、見られてしまったからか、その場で足を止めてしまった。


「お兄ちゃん、ですよね!?」

「…………」

「あの、私……」


 フィアの声が震える。

 手を伸ばそうとしているけど、その手が伸ばし切ることはなかった。

 衝動的に飛び出したのはいいけど、いざ現実に戻ってみたら何をしていいのか分からなくなっている───それはまるで、答えが分からない小さな子供のようだった。

「わ、私……ずっとお礼が言いたくて、見捨てられた私が生きてこれたのも、こうしてシスター見習いとして今があるのも、お兄ちゃんのおかげで……」


 震える声は伝染するかのように瞳に移り、次第に目尻に涙が浮かび始めた。


「…………」


 だけど、お兄さんは何も言わない。振り返らない。


「ごめん、なさい……会ってはいけないのに……いっぱい、迷惑かけたのに……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」


 フィアは泣き崩れるということはしなかった。

 無理矢理にでも立とうと、泣いているけどこれ以上は泣かないように、浮かび上がる涙を拭おうとはしなかった。

 言葉通り迷惑かけたくないからなのか? それは僕には分からないけど、あまりにも今のフィアは───弱々しく、折れてしまいそうだった。


「…………今日のことは、互いに忘れようぜ」


 それでも、お兄さんは抱き締めることもなく、ただ突き放すような言葉だけを残す。

 そして頑張って立とうとした妹を残し、今度こそ走り去って先に停まってある馬車へと向かってしまった。

 この場に残されたのは、僕とフィアだけ。礼拝堂にいたはずの見習い達は、状況をなんとなく察したからか、扉から姿を見せることはなかった。


「……ごめんなさい、変な姿をお見せしましたね」


 涙を拭い、フィアは僕に向かって笑う。

 心配をかけるまいという気持ちがありありと伝わってくる表情だった。


「さ、さぁ! お仕事の続きをしましょう! 礼拝堂で走ってしまいましたし、あとで懺悔しないとですね!」


 フィアは背中を向ける。

 馬車に乗り込むお兄さん姿がまだ見えているというのに、追いかけることもなく。

 お兄さんの言葉通り、なかったことにしよう……そう、彼女は纏めたいんだと思う。

 でも───


「ねぇ、フィア」


 もし、僕が言った言葉を嘘としないのなら。


「何ができるかっていうのは分からないけど」


 ここで彼女を放っていつもの日常に戻るのは、違うと思う。

 そう思った僕は、礼拝堂に戻ろうとするフィアの腕を掴んだ。


「話してくれないかな? 自分のことだし、部外者な僕だけど……きっと、そのまま溜め込むのはよくないと思うんだ」


 他でもない彼女だから、きっと僕はここで掴んだ腕を離しちゃいけないんだと思う。


「アレン……」


 それは、振り返ったフィアの顔を見て確信した。


 だって彼女の顔には、今でも溢れ出しそうな涙がいっぱいに溜まっていたんだから。

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