第18話

「アレン、私はこっちをお掃除しておきますねっ!」


 二回目の当番の日。パートナーの少女は覗く金髪を揺らしながら礼拝堂の奥へと向かって行った。

 この日は前回とは違い配属研修でパートナーが成つ立した面々が多く、フィアと同じシスター見習いが何人かいた。そのため、久しぶりに話せる機会があるからかフィアはいつもより生き生きとしているようだ。

 更に今日はお祈りに来る信徒の方も多く、いつも以上に慌ただしかったように思える。今はようやく信徒の人達が捌け「今のうちに掃除を」ということで皆が一斉に掃除を始めている。


「暇は暇で嫌だけど、忙しいのもまた考えようなんだよね……」


 信徒の方の対応をしていた時の疲労感を味わいながら、僕は礼拝堂の入り口を掃除するために一度外へ出る。

 膨大な敷地が広がり、信徒の人が外からやって来るための一本道が真っ直ぐ見える。海の近くということでひんやりとした強い風が祭服を揺らした。


「……早く教育期間が終わらないかなぁ」


 そうすれば今みたいな時間に縛られることなく過ごせるというのに。あと、ある程度の自由が与えられ、シスターの「懺悔しろ」というワードに怯えなくて済む。後者は特に切実に望ませてもらおう。あの調子で懺悔させられたら、いつか退職者と死人が現れてしまうよ。


(でも、教育期間が終わったら皆と離れることになるんだよね)


 もちろん、同じ教会に配属されることもあると思う。

 だけど、教会に配属される聖職者の数は少ない。親しい者が全員同じ場所っていうわけにもいかないだろうし、大体の人は地元の近くの教会を選ぶから同じ出身じゃなければ配属先が被ることはない。

 そうなってくると、ここで知り合ったロニエやリンシアとは離れ離れになってしまう。

 もちろん、フィアも―――


「なんだかんだ、この生活って楽しいから寂しくなるなぁ」


 それでもあと一年以上。長い目で見れば、あっという間に終わる時間。

 若干センチメンタルな気持ちになりながらも、僕は手に持っていた箒で床を掃き始める。

 その時———


「ん?」


 ふと、一本道脇に立っている銅像の影に人影を見つけた。

 その人影は


 ・全身黒ずくめで

 ・バンダナで口元を覆っていて

 ・色の濃い眼鏡をかけていて

 ・深く帽子を被っていて


「…………」

「…………」


 目が合ってしまった。


「…………」

「…………」


 ……あー、うん。とりあえず―――


「衛兵に通報しなきゃ」

「待て待て待て」


 踵を返した瞬間に、目が合った人が駆け寄って来て思い切り腕を掴まれる。


「俺は決して怪しい者じゃない」

「怪しさしか備わっていませんよね?」


 素肌をほぼ全て隠しきっている人が不審者じゃなければ、この世界は怪しい人がどこにもいない平和な世界だろう。


「はぁ……覗きがしたいならもう少し遅い時間じゃないと。この時間は誰も入浴していませんよ」

「いや、別に覗きをしに来たわけじゃないからな!?」

「あとで覗きスポットを教えてあげますから、とりあえず帰ってください。流石に僕も不審者は庇えないんで」

「……なぁ、それを教えられる知識を身に着けているお前も中々だとは思わないのか?」


 失敬な。牧師見習いだったら誰かしらは必ず知っている基礎知識だというのに。

 眼鏡をかけているからよく分からないけど、向けられているであろうジト目が甚だ腹立たしい。


「ともあれ、不審者じゃないならなんなんですか? 礼拝とかお祈りでもしに来たんですか?」

「いや、お祈りじゃないな」

「…………」

「待て! 衛兵を呼びに行こうとするな!」

「いや、お手洗いに行こうとしただけですけど?」

「お前が足を向けている方向が、駐屯している衛兵の小屋じゃなかったらその言葉を信じたよ!」


 ちっ、鋭い。


「いや、でも考えてくださいよ。お祈りや礼拝目的じゃないのに怪しい格好をしてここにいれば通報するのは当たり前だと思いますが?」

「……そんなに怪しい格好か?」

「鏡いります?」


 アンケートをとったら百人が百人「怪しい」と答えるだろう。


「だが、俺は顔を見られるわけにはいかなくてな」

「余計に怪しい」

「か、勘違いをするなっ! 俺は一人の女の・・・・・・以外にだったら別に顔を見せてもいいんだ!」

「なるほど、ストーカーってやつですね」


 なおさら通報ものだ。


「どうしてそうなる!? ほ、ほらっ! 身元の保証はちゃんと持っている!」


 そう言って、不審者は懐から小さなワッペンらしきものを取り出して見せてくる。

 そして、そこには見覚えのない家紋が刻まれていた。


「……誰?」

「知らないのか!? これ、カラー公爵家の家紋なんだが!?」


 カラー公爵家って、どこかで聞いたような……?


「うん、よく分かんないからとりあえず衛兵のところに行きましょう」

「ま、待て! 騒がれると困るんだ!」

「そりゃ、ストーカーは騒がれたら困るだろうね」

「違う! ストーカーじゃないし、単に今日はお忍びで来てるからだ!」


 頑なに否定してくる不審者。

 まぁ、家紋も見せてくれたし本当に貴族なんだろうけど、見た目不審者に変わりはない。たとえ僕が見逃したとしても、誰かに見つかって通報されるのがオチだ。


「分かりましたけど……とりあえず、その格好どうにかしません? せめて顔だけは見せてくださいよ」


 僕がそう言うと、不審者の男は警戒するように周囲を見渡した。

 そして大きなため息を吐くと、顔に纏っていた怪しさ要因全てを脱ぎ───


「……その顔」

「ん? やっぱり俺のこと知ってたか?」

「いえ、見たことはないんですけど……」


 短く切り揃えられた金髪に、アメジストの双眸。嫉妬してしまいそうになるぐらいの整った凛々しい顔。

 全てを脱ぎ去ったあとに見せたそれらは、最近どこかで見たものと酷似していた。


「フィアと一緒に写っていた人だ」

「フィアを知っているのか!?」


 口に出した瞬間、思い切り肩を掴まれる。


「え、えぇ、まぁ。今は僕のパートナーですから」

「フィアはアズラフィアっていう名前のフィアだよな!?」

「あ、はい」

「パートナーとかいうやつは知らんが、知ってるんだな! ちなみに、元気でやっているか!?」

「元気にやってますよ。真面目で毎日楽しくシスターになるために頑張ってます」

「そっか……」


 その言葉を聞くと、不審者は心の底から安堵したように息を吐いた。

 心配だったのか、そのあとすぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。


「元気にやっているならいい。結構心配だったからな」

「そうですかね? ちゃんとしたいい子じゃないですか。目を離しても立派に生きそうですよ?」

としては、しっかりしていても独り立ちするなら心配になるものだ。騙されやすそうな純粋な子だし」


 それに関しては同意できる。


「だから……あんなことになったんだけどな」

「あんなこと?」

「あ、あぁ、いやっ、気にしないでくれ! こっちの話だ!」

「そうですか? とはいえ、やっぱりお兄さんだったんですね。写真を見てそうじゃないかなーって思ったんですよ」

「……フィアが写真を見せたのか?」

「いや、部屋に飾ってあったのを見かけただけですよ」

「そっか……ならいいんだが」


 一瞬だけ目付きが鋭くなったような? もしかしなくても「写真を見せ合うような仲なのか?」みたいなブラコン精神旺盛な意味でもあったのだろうか?


「……というより、まだ持っててくれたんだな」

「ん? 家族の写真ぐらい持ちません?」


 フィアが思春期で「お兄ちゃんの写真なんかいらない!」っていう人だったら話は変わるけど、多分そんな感じの子ではないはずだ。逆にそういう思い出もしっかりと残していくタイプだと思う。


「色々あったからな……正直、嫌われているんじゃないかって思ってたんだ」

「あのフィアが? それはないと思いますけど……」

「……気にしないでくれ、こっちの話だ」

「…………」


 苦笑い浮かべるお兄さんを見て、ふと思う。

 フィアっていう少女には、色々事情があるんじゃないかって。

 この人の言っていることが本当であるなら、フィアのお兄さんが貴族なら妹であるフィアも貴族だ。プライバシーに関わることだから言わないだけかもしれないけど、お兄さんの顔を見れば何か事情があって言わないんじゃないかって探ってしまう。


(しかも、この人『公爵家』って言ったよね? 公爵家の人間が、シスターになれる者なの?)


 もちろん、ルシア教は来る者拒まず。どんな立場の人間であろうが迎え入れる。

 貴族も聖職者になろうとしているぐらいだから、一見しておかしなことはないと思う。

 だけどそれはあくまで男爵や子爵といった爵位の低い人間で、家督を継げない三男や次女といった人が来るものだ。

 公爵家といえば王家に続く貴族の頂点。そういう人達は基本的に信徒で止まり、聖職者としてじゃなくて貴族としての生活を送るのが普通。

 それなのにシスター? いくら憧れているといっても、周りや立場が「許さないんじゃ」っていうぐらいは平民の僕ですら分かる。


(……いや、これ以上考えるのはやめよう)


 フィアが言いたくないんだったら、知られたくないことなんだと思う。自分から言ってくれたならまだしも、詮索するような真似はフィアに失礼だ。

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