第17話
「覗きに行くわよ」
その日の夜。夕食を食べ終わり、次の日に向けてそれぞれの自由時間を謳歌している頃。僕は寝間着姿のリンシアに呼び出された。
そして、呼び出されてからの開口一番は、堂々たる犯罪行為だった。
「別にいいけど……」
呼び出されたエントランスには、暇を持て余した牧師見習いの姿しか見受けられなかった。
シスター見習いとの仲が悪いのか、はたまた異性と同室は居心地が悪いのか、モテない男達の感覚はよく分からないけど、この発言が堂々とできるぐらいの面子しかいない。
もしこの場にロニエやフィアといったシスター見習いがいれば、恐らく僕は肯定した時点で懺悔室だっただろう。
「大丈夫なの? この前、ロニエのバスローブ姿を見ただけで鼻血を出して死にかけたじゃん」
「あれは不意を突かれただけよ。頑固たる心の準備をしていれば大丈夫だわ」
女の子の裸を見るためにわざわざ頑固たる心を準備しなくちゃいけないのか。
「っていうか、覗きに行く必要なくない? 部屋にはシャワールームが個別で完備されてるし、わざわざ覗きに行かなくてもロニエの裸だったら見られると思うんだけど」
新しい部屋には、個室のシャワールームが完備されている。
配属研修の間はこのシャワールームを使ってもいいし、いつものように浴場で入浴を済ませてもいい。
ただ、フィアの話だと「やはり肩までゆっくりと浸かりたいです。皆さんも、そういった考えみたいですよ」とのことで、浴場を使用するシスター見習いが多いらしい。シャワールームは、用事で入浴時間を過ぎてしまった時だけ使うのだとか。
だから、覗きに行っても人がいないなんてことはない。誰かしらの裸は覗けるだろう。
けど、ロニエはリンシアの同室だ。言葉巧みにシャワールームに誘えばいつでも拝めるはず。
正直、覗きに行く必要性をあまり感じないんだけど───
「今日は違う女の子の裸が見たいのよ」
やだ、この子潔い。
「まぁ、行くなら一緒に行くよ。正直、同じ部屋に住んでてもフィアの裸なんて拝めないからね」
部屋が一緒とはいえ、直接突撃しない限りは
それどころか、風呂上がりで妙に色っぽいフィアの姿を見て悶々と苦しむだけだ。
せっかく友達からお誘いをいただいたんだ……これを断ってしまったら、友情に亀裂が入ってしまうかもしれない。それに、前回覗きを手伝うって約束したからね。
だから仕方なく。決して僕が拝みたいからお誘いを受けるわけじゃない。
「っていうわけなんだけど、皆も一緒に行かない?」
『へっ、その言葉を待ってたぜ』
『お前が誘わなかったら、俺から誘うところだったぞ』
『俺達に仲間外れはないもんな』
僕が口にしただけで、聞き耳を立てていた皆が寄ってくる。
それほどまでに覗きに行きたい人がいるなんて───配属研修でシスター見習いと同棲しても、結局根は変わらないということか。
将来、皆が衛兵のお世話にならないか心配になってくる。
「それじゃあ行くわよ。ちょうど今の時間はシスター見習い達がお風呂に入ってる時間だわ」
「具体的なルートは?」
「前回と同じよ。流石に、シスター見習いの女の子達も同じルートから覗きに来るとは考えていないでしょうから」
至極真面目に口にするリンシア。
この子も皆と同じように将来が心配になってくる。
「というわけだから皆、前回と同じルートで行くけど……ちゃんと覚えてる?」
一応僕はちょっとだけなら覚えている。あれは少し前の話だからうろ覚え程度には皆も覚えてくれているかもしれないけど、流石に具体的なルートまでは───
『牧師見習い寮の裏口から出て右だな』
『先んじて寮長の監視を逃れるために、窓を割って誘い出しておけばいいんだな』
『そのあとは見張りを七対三で振り分けて浴場の外壁をロープを使って登るんだよな』
「…………」
ルートだけでなく方法まで具体的に覚えている彼らを、僕は「記憶力がいい」だけで纏めてもいいものだろうか?
「なら作戦会議は必要ないわね。行くわよ、皆!」
『『『おう!!!』』』
皆はリンシアの合図で一斉に浴場へと向かい始めた。
その後ろ姿は、まるで戦場に向かう一兵のよう。己の目的を果たさんがために戦地に赴き、死をも厭わないと思わせるような覇気を纏っている。
僕もつい先日までは、彼らのように覇気を纏って
「……あー、うん」
しかし、最近近くに純真無垢な女の子がいるからだろうか───
「帰ろ」
そんな後ろ姿を見て、急になんだか馬鹿らしいなと思えてきた。
あれだけ人数がいればリンシアの手伝いも必要ないだろうし、ここで一人抜けても問題ないはずだ。
「行ったら、フィアに怒られそうだもん」
僕は皆の背中を見送ったあと、フィアが待っている自分の部屋へと戻った。
♦♦♦
「すぅー」
部屋に戻ると寝間着姿の天使が寝ていた。
そのまま寝落ちしてしまったのか、机の上で突っ伏して可愛い寝息を立てている。愛らしい寝顔の横には聖書とノートが広げられており、直前まで勉強していたのだと窺える。
「ほんと、勉強熱心だなぁ」
そんな彼女を見て、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
必要に迫られているわけでもないのに、こうして課業が終わったあとでも勉強する。こんな姿を、僕は彼女と過ごすようになって何回か見かけることがあった。
果たして彼女みたいに勉強熱心な人はどれぐらいいるだろうか?
「少なくとも、牧師見習いにはいないだろうね」
ノートと聖書の間に小さな紙を入れて続きが分かるようにすると、そっと閉じた。
そして、少し開いている彼女の部屋を一瞥すると、そのまま寝ている彼女を起こさないように抱き上げた。
(流石にこんなところで寝かせるわけにはいかないもん)
風邪でも引いたら大変だ。いつもの修道服じゃなくて寝間着なのは風呂上がりの証拠。なおさら、こんな場所で寝かせるわけにはいかない。
ただ、もしフィアが起きていたら顔を真っ赤にして「懺悔してください!」って言われるかもしれない行動ではある。
(ごめんね、フィア)
勝手に抱えたことを内心で謝りながら、フィアの部屋に向かった。
いつもなら南京錠がかかっているけど、今回はちょうどいいタイミングで開いていて助かった。そうじゃなきゃ、フィアを起こさなきゃいけなかったところだしね。
行儀悪く足でドアを開ける。
フィアの部屋は僕の部屋とほとんど似ていた。支給されているシーツも家具も同じものなのは分かりきっているから当たり前だろう。それでも「少し違うな」って思ってしまうのは、所々に並ぶファンシーな小物や、綺麗に整頓された本といった新しく追加されたもののせいだ。
あとはいい匂いがする。同じ空間にある部屋のはずなのに、彼女からたまに香る甘い匂いが充満しているような気がした。
だからからか、妙に緊張するし胸の鼓動が早くなってしまう。
女性経験が豊富だったらこんなにもドキドキしないんだろうけど、残念ながら僕は女性経験が皆無。ロニエとリンシアの部屋に行った時は大勢だったからよかったけど、一人で入るとなれば緊張せざるを得ない。
女の子の部屋に入りたいって気持ちにはなるけど、こうして入ると何故か抵抗感が生まれるんだよね。
(……さっさと出よ)
いつもどう寝ているのかは覗いてないから分からないけど、とりあえずベッドにフィアを下ろして寝かせる。
綺麗に畳んであったシーツを広げ、そのままフィアの肩までかけた。
しっかりと寝かせた段階でもう一度フィアの顔を見る。
年相応の、それでいて神が可愛さと美しさをふんだんに入り交ぜたような端麗な顔立ちは、どんな時でも魅入ってしまう。今、こうして見せている寝顔も例外じゃない。ここが女の子の部屋じゃなくてステージだったなら、僕はお金を払ってでも客席でずっと眺めていると思う。
整った鼻梁と潤んだ桃色の唇、薄く長い睫毛や小さな顔。それら全てが僕を立ち止まらせる原因だった。
「アレン……」
「ッ!?」
ふと彼女から聞こえてきた言葉に心臓が跳ね上がる。
(な、なんだ寝言か……)
心地よい寝息を立て始めたフィアを見て安堵する。
だけど一度跳ね上がった心臓は影響を残していくかのように、早くなった鼓動を更に早くさせた。
(もういい、本当に早く出てしまおう!)
顔が熱くなっているような気がするのは、恐らくフィアが寝言で僕の名前を呼んだからだ。
まだ出会って一週間ほど。それなのに、どうして彼女の言葉にここまで反応してしまうのか?
僕はそれが理解できなくて、逃げるようにフィアから背中を向けた。
その時———
「ん?」
机に置いてある一つの写真立てが目に入った。
写っているのは純白に宝石のような装飾をあしらったドレスを着ている小さな女の子。月のように儚くも美しい金髪を携えた少女には、どこか見覚えと面影があった。
「これって、フィアだよね?」
気になって写真立ての近くまで寄った。
フィアと思わしき少女の顔には無邪気な笑顔が浮かんでいて、この写真一つで「幸せなんだな」と思わせられる。いつも明るい笑顔を見せてくれる彼女だけど、この時の笑顔はまた違ったようなものだった。
ただ、着ている服も背後に映る庭園も平民が撮れるようなものだとは思えない。
(やっぱりフィアは貴族なのかな?)
フィアの所作は、ところどころ気品を感じさせるものだった。一番印象に残っているのは、やっぱり初めて紅茶を淹れてあげた時のことだろう。
ロニエやリンシアに出してあげても、きっとあのような上品な飲み方はしない。僕の知る限り、そんな飲み方をする人はフィアしかいなかった。家名を名乗らなかったから「貴族じゃないのかな?」って否定してきたけど、この写真を見ると再び脳内に疑惑が浮上してしまう。
でもおかしな話じゃない。ルシア教の聖職者になろうと足を踏み入れる人の中には貴族もいるって話は聞くし、結局「フィアもその内の一人なんだ」で終わる。
「あと、この人は……」
写真に写る人はフィアだけじゃなかった。短く切り揃えた金髪に整った顔をしている青年。何かのパーティーの写真だからなのか、フィアと同じくタキシードというドレスコードをしていた。
そんな青年の人は、フィアの頭に手を置いて楽しそうに笑っている。
それだけで、二人の仲のよさが窺えた。
「おっと、早く出ないと」
僕は写真立てから視線を外してそのまま部屋を出た。
これ以上、人のものを勝手にジロジロと見るわけにもいかないからね。フィアにもプライバシーはあるだろうし、共同生活を送るなら最低ラインはしっかりと守らないと。覗きをしていた野郎が何言ってんだって思われるかもしれないけどね。
(それにしても―――)
部屋を出る瞬間、ふと疑問に思った。
(どうしてフィアは自分が貴族だって言わないんだろう?)
僕の勘違いだったら言わないのは当たり前なんだけど、どうしても「そうじゃないか?」っていう思いが強い。
だからこそなんで言わないのか―――それだけが、僕の中でしこりのように残ってしまった。
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