第13話

「えー、フィアが男性に慣れるための方法として、僕は『恋人を作る』を提示させていただきたいと思います」


 ロニエ・リンシア部屋にて、一日のお仕事を終えた僕は正座をしていた。

 一日も経てばだいぶ部屋の雰囲気は変わり、飾りっけのない部屋も二人が住んでいる空気が滲み出ていた。ところどころにある家具や小物が女の子らしく、仄かな甘い香りが「女の子の部屋だぁ」などといった実感を与えてくれて妙に緊張する。今でもドキがムネムネだ。


「恋人ですか!?」


 同じくロニエの部屋で正座をするフィアが驚く。

 お風呂上がりの彼女は薄っすらと頬が紅潮しており、愛苦しい顔に色っぽさを見せていた。

 横に座る彼女は正に天使。並んでいるだけで聖域に踏み込んでしまったという幸福感が生まれて嬉しいです。


「ふむ、なるほどなんだよアレンくん……つまり、恋人を作れば意図的に相手の気持ちを尊重したスキンシップを図ることも可能。更に、好き合う者同士であれば接触したい感情も増え、徐々に抵抗がなくなっていく可能性がある。そう言いたいんだね」


 寝間着姿のロニエがソファーに座りながら小さく頷く。

 しっかりと浮かび上がった凹凸を見上げるような形になってしまっているからか、ロニエを見る度に自然と目線が誘導される。もしかしなくても、これはミスディレクションというやつなのかもしれない。

 ……なんて高等テクニックを身に着けたんだ。素晴らしい。


「一理あるわね。小さな頭で考えた方法としては悪くない気がするわ」


 褒めているのか罵倒しているのかはっきりしてほしいリンシアは何故かロニエとお揃いの寝間着を着て、ソファーに寝そべっていた。

 美人はどんな姿でも絵になる。だらしない恰好をしていてもまったく嫌な気はせず、目の保養としての効果が十全に発揮されるのは言わずもがな。

 ただし、一つのソファーで寝転がっていればスペースの確保は難しい。そのため、ロニエの膝の上にリンシアが頭を乗せているという構図ができ上ってしまうんだけど……羨ましい。妬みの視線が常時放射されているのに気がついてほしいところだ。


「い、いきなり恋人と言われましても……」

「もちろん、すぐに作れっていうわけじゃない。フィアが好きな人を見つけて、ゆっくりアプローチして、望む相手と結ばれることが最終目標なだけだよ」

「女の子の心情としても、好きでもない相手と練習して耐性をつけるより、好きな人と練習して耐性をつけた方がいいんじゃないかな? 私だったらそう思う!」

「それはそうなのですが……」


 チラチラと僕を見て難色を示しているような反応を見せるけど、確かにロニエの言う通りだと思う。

 今回、僕が同室で同じ環境だから僕を使って克服する……なんて考えていたのだろうけど、よくよく考えれば好きでもない相手を克服相手にするのは如何なものだろうか? 極端な話、こんなブサメン相手に手を繋がれたりするのだって嫌だと思うはず。

 どうせ繋ぐなら好きな人と。そう考えるのは自然だと言ってもいい。


「幸い、この配属研修のパートナーは交代が可能だからね。といっても、よっぽどの事情がない限りは不可だけど」


 パートナーになるのはいいけど、相性というものは必ずどこかに存在する。

 この人だけは絶対に無理。初めは知らなかったけど、一緒に生活していく上でそう思ってしまうパートナーは少なからず現れるだろう。

 そういう人達がいて、勉学や仕事に支障をきたしてしまえば本末転倒。そういったことの予防線として、こういった措置があるんだとか。

 よっぽどの理由としては弱い気はするけど、過去にこういう理由で交代が認められたパートナーは何人かいるらしいから、そういう解釈でよかったはずだ。


「パートナー交代、ですか……」


 何やらあまり乗り気ではない様子なフィア。もしかしなくても、ちゃんと交代できるか不安なのだろうか?


「およ? フィアちゃん……もしかして───」


 一方、ロニエは首を傾げて何やら悟った様子を見せる。

 何を悟ったのか分からないけど、とりあえずフィアの不安を解消しないといけないよね。


「安心して! いざとなったら僕が何かやらかしてよっぽどの理由をつけるから!」

「フィアがシャワーを浴びている時に突撃するのね」

「その通り!」

「んにゃ!? ざ、懺悔———」

「待って! 今のは誘導尋問!」


 僕は慌ててフィアの口を押える。

 危ない、リンシアの策謀によって懺悔室に送られそうになった。


「誘導尋問というより、即答で答えたあなたの願望のような気がするけど」


 なんて卑劣なことをするんだリンシアは! 男の純情を弄びやがって!


「せっかく考えてくださったお話ですが、やっぱり恋人を作るというのは……」

「どうして、フィアちゃん?」

「その、もうしばらく《・・・・》は恋人というのは遠慮したいんです」


 申し訳なく、そして少しばかりの陰りを含んだ顔でフィアは笑った。

 僕達としては、これはかなりいい方法ではあると思う。だけど、今のフィアの顔を見て「やれやれ!」って言えなかった。

 トラウマがあるのか、苦い思い出があるのか、はたまた付き合っていて別れたばかりなのか。僕には分からないけど、とりあえずこの方法では踏み込むなと言われているようだった。


「まぁ、どうせ先は長いし、僕達が言ったこともあくまで一つの方法ってだけだから、最終的にはフィアのやりやすいことでやってよ」

 フィアから手を離し、諭すように口にする。


「わ、分かりましたっ!」

「うん、頑張って」


 両手拳を握るフィアを微笑ましく思いながら、僕はゆっくり腰を上げる。


「リンシア、飲み物なんかある?」

「私の飲みかけがあるわよ」

「さんきゅー」


 僕はそのまま冷蔵庫のところまで向かい、中を開けて飲みかけだろう水を取り出す。

 そして、躊躇なくそのまま口にした。


「……あれ、抵抗ないのリンシアちゃん?」

「何がかしら?」

「そ、その……あれって、間接キスだよね?」


 確かに言われてみれば間接キスになる。

 相手は異性。片方が飲んだあとの飲みかけをなんの抵抗もなく口にすれば頬を染めてうぶらしい反応を見せるのも理解できる。

 でも、正直その感覚っていうのはあまりないんだよね。牧師見習いになってからしょっちゅうしてることだし。


「他の男だったら私も嫌だけど、別にアレンだったらいいかなーって思ってるの」

「そ、それはなんで?」

「なんでって言われても……そうねぇ、仲がいいからじゃないかしら?」


 僕の場合はリンシアを異性として見てないからだね。友達同士だったら抵抗なんかないし。

 女の子だったらかなり緊張して興奮しながら間接キスしちゃうかもだけど。


「それにこいつ、私をいやらしい目で見ないもの」


 それは僕に限った話じゃないと思う。彼女の残念な姿を見た途端、牧師見習い全員がリンシアを異性として見ることを諦めた。


「ロニエは私と間接キスするのに抵抗ある?」

「え? それはないかなぁ?」

「アレン、その飲みかけをこっちに寄越しなさい。今からロニエに飲ませるわ」

「そのあとは?」

「私が大切に飲むわ」


 なんだろう、邪な想いがあけすけに見える。


「そういうことよ。仲がいい《・・・・》相手とだったら、間接キスに抵抗なんてないわ。っていうより、その程度で何か思うほどの歳じゃないしね」

「そっかぁ、それなら納得なんだよ。うん、仲がよかったら間接キスも普通だよね!」

「じゃあ、是非とも僕と───」

「あ、ちょっとそれは……」


 つまり僕とロニエは仲がよくない、と? 地味に傷つく。


「仲良く、ですか……」


 そんな時、フィアが小さく呟いた。

 ロニエ以上に「間接キス」というワードで顔を真っ赤にしそうなのに、何やら考え込んでいるようだ。


「ア、アレンっ!」

「な、何かな?」


 いきなり顔を上げて僕を呼ぶフィアに思わずびっくりする。

 そして───


「私の飲みかけは、お部屋の冷蔵庫の中に入っています!」


「…………」


 その報告に、僕はどう反応すればいいんだろう?


(話の流れ的には完全に間接キス……だけど、あのフィアが間接キスをわざわざ自分から誘うなんて真似をするとは思えない)


 言葉の意図を探るため、僕は量子力学をも完全に理解しようと思えばできるかもしれない脳をフル回転して考える。


(となればなんだ? この話の流れで飲みかけを提示した意図は? 飲みかけを飲むな……それならまだ自然だけど、そうだったら否定的な言葉を添えて言うはず)


 くそぅ、分からない! フィアの言葉の意図はなんだ!? 僕の量子力学ですら頑張ったら理解できるかもしれない脳ですら答えが導き出せないなんて!


「(ね、ねぇフィアちゃん? どうしていきなり飲みかけの話をしたの?)」

「(私、アレンと仲良くなりたいんですっ!)」

「(なるほど、アズラフィアの中で『間接キスできる=仲がいい』という解釈になったのね)」

「(まぁ、間違ってはいないと思うんだけど……あれ? これってそういうお話だったっけ?)」

「(間接キスができれば、アレンと仲良くなれます!)」


 ヒソヒソと三人が何かを話している。

 その間、僕はようやくある答えへと辿り着いた。


(そうか、分かったぞ! フィアは飲みかけという言葉で「自分の飲みかけが冷蔵庫の中に入っている」って思い出したんだ! それで、僕に言ってきたということは処分してほしいってこと間違いない!)


 つまり、僕がここで口にするべき言葉は───


「安心して、きっちり捨てておくよ!」

「そんなぁ……」

「あんた、フィアの気持ちに対して結構えげつないこと言うのね」

「アレンくん最低」


 ……僕の脳よ。お前は一体どんな過ちを犯したの?


「フィアちゃん、こんな仲良くなりたい気持ちを文字通りゴミ箱ぽいする人とは仲良くしない方がいいと思うんだよ」

「あぅ……アレンと仲良くなりたかったです」

「待って、仲良くってなんの話!?」

「アズラフィアは「間接キスをするような関係は仲がいい」って解釈をして、それで間接キスをすればって思ったの」

「え? 間接キスっそういう意味があるわけじゃないよね?」


 間接キスはあくまで「仲のいい相手だから気兼ねなくできる」ってだけで、仲良くもない人とやれば嫌悪かドギマギの二択が生まれてしまうだけだと思うんだけど?

 こういう話は前提が「異性として見てない」であるから成立するのであって、「異性として見ている」場合は不成立だ。

 っていうより、僕の頭じゃそこまで曲解された言葉の最適解なんて出せるわけないじゃないか。


「アレンくん最低!」

「アレンはそんなに私と仲良くなりたくないのですか……?」

「えー……」


 シスター見習いの女の子二人から白い目を向けられた僕。凄く釈然としなかった。

 このあと、部屋に戻った僕はフィアの気持ちを汲んで彼女の飲みかけを口にした。

 すると、羞恥が蘇った彼女は顔を真っ赤にして口に───


 今日はチョークスリーパーだった。


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