第7話

「なんだか不思議な気持ちです……こうしていると、本当に男性の方と一緒に暮らすのだという実感が強く湧いてきます」


 唐突に、紅茶を嗜んでいたアズラフィアさんがそんなことを言い始めた。


「それは僕も同感かな。目の前にアズラフィアさんがいるっていうのはとても不思議な感じだよ」


 不思議=幸福、ではあるんだけどね。そして眼福とも言う。

 むさ苦しい男だらけの寮にいたものだから、目の前に映る一輪の花には目が洗われる。心なしか室内に甘い香りが漂っているようにも感じるし、扉一枚挟んだ先には女子部屋エデンが広がっているのだと思うと興奮する。

 こうして女の子一人になるだけで誘惑と幸福が増えるのだから僕の世界も単純だなと思う。


「自己紹介でもしておく? ほら、僕達一応一昨日知り合ったばかりだからさ」


 これから一緒に住むのであれば、互いのことを知って損はないだろう。向こうも見ず知らずである僕のことを知りたいだろうし、僕も知りたいことがたくさんある。


「そうですねっ! お互いを知るのはいいことです!」

「ふむ、では胸のサイズから―――」

「ふぇっ!?」


 しまった、知りたいことの筆頭が口から出ていた。


「ざ、ざん―――」

「待つんだ! 先んじて冗談だと伝えておかなくてはならない!」


 僕は身を乗り出してアズラフィアさんの口を塞いだ。

 正直、僕の股は一昨日の懺悔の影響がまだ残っているんだ。これ以上は流石に今後の生活に支障をきたしてしまう恐れがある。


「じょ、冗談ですか……そ、そうですよね。アレンさんみたいなお優しい方がいきなりそんなことを―――って、どうして頭を下げているのですか?」


 罪悪感が凄くて。


「それじゃあ、気を取り直して。アズラフィアさんは―――」

「ちょっと待ってください」


 僕が頭を上げてもう一度仕切り直そうとしたところで、アズラフィアさんが待ったをかけた。

 もしかして、僕がまたレディに対して失礼なことを聞いてしまうかもしれないと思ったのだろうか? 流石の僕でも自重するよ。さっきは自重する前に本音が主張をし始めてしまったというだけで。


「アズラフィアさんという呼び方はやめませんか? なんだか距離があるような気がして」


 距離があるような、と言われても実際に知り合って二日しか経っていないのだから当然ある。けど、アズラフィアさんはこれから一緒に過ごす者同士、そういった壁はなくしていきたいのだろう。

 僕は正直、徐々に仲良くなってから呼び方を変えたかったら変えるつもりではいたけど……。


「うん、分かった。アズラフィアさんがそう言うんだったら。でも、なんて呼べばいい?」

「仲のいい人達は、私のことを『フィア』って呼びますっ!」

「じゃあ、これからはフィアって呼ばせてもらうね」

「はいっ!」


 呼び方を変えると、フィアは嬉しそうな笑みを見せた。

 愛称で呼ばれることがそんなに嬉しいのだろうか? でも、その喜ぶ姿はどこか妹ができたようでなんだかほっこりする。


「じゃあ、僕のことも……って、僕は愛称にするほどの名前でもないね」

「で、では『アレン』って呼んでもいいですか?」

「ん? 別にいいけど……」


 呼び捨てに変わっただけだし、許可を求めるようなことじゃないと思うんだけど。リンシアも、実際に出会った当初から呼び捨てだしね。


「アレン、アレンですか……ふふっ」


 しかし、フィアにとっては大きなことだったのか、何度も僕の名前を呟きながら口元を綻ばせていた。それも、醸し出される雰囲気が先程よりもどこか嬉しそうな感じがした。


「それで話は戻すけど、聞きたいこと聞いてもいい?」

「あ、はいっ! 大丈夫です!」


 声をかけたことによって、フィアは慌てて姿勢を正した。その時、両腕で挟まれてしまった双丘が見事にその存在を主張し、僕の視線をブラックホールがよろしく吸い込み始めた。


「…………」

「どうかされたのですか?」

「いや、聞きたいことを忘れちゃって」


 どうしても胸の大きさが知りたいという質問しか浮かんでこない。

 くそ、一度視線を奪われたからといって脳裏に自重がどこか飛んでいってしまった。これじゃあまるで変態だ。


「では、私から聞いてもいいですか?」

「ん? いいよー」

「では、どうしてアレンは牧師になろうとしたのですか?」

「そうだなぁ……」


 どうしよう、お金と女の子との出会いを求めて入ったからなんて言いづらい。


「め、女神ルシアの教えを広めていきたかったから、かな……?」

「わぁっ! それはとても素晴らしいことですね! 私、アレンが一人前の牧師になれるよう応援しますっ!」

「ははは……」


 この子と相対していると、僕の心が如何に汚れているのかを自覚してしまうからかなり辛い。

 なんだろう、一緒に過ごすにあたって新しい問題が浮上してきたように思える。


「フィ、フィアはどうなの? シスターになった理由とか」


 僕は汚れた自分を直視したくないので、話を切り替えた。


「私、ですか……? そうですね、私は憧れなのかもしれません」

「憧れ?」

「はい、昔……私が家の事情・・・・で塞ぎ込んでしまっていた時に、私はシスターをやっている女性の人と出会ったんです」


 フィアは懐かしむように紅茶に視線を落とした。


「その時言われた言葉は、今でも覚えています───」


『塞ぎ込んでもいい、立ち止まってもいい。なんだったら、後ろに下がってたっていい。前を向く必要なんて、時にはないこともあるんですよ。大事なのは、塞ぎ込んでいる自分を満足できるか。それだけです、あとは勝手に自分の気持ちが「どうしたいか?」という言葉を出してくれるのですから』


「結局、私は塞ぎ込むことをやめました。立ち止まっている自分が嫌で、結局前を向くことを選びました。といっても、決められたレールの上から逸れた選択をしてしまいましたが」

「それでも……いい言葉だね」

「はいっ! 今でもあの人は私の憧れの人です! だからこそ、私は私みたいに塞ぎ込んでしまっている人を導いて助けてあげたい……だから、私はシスターになろうと思ったんです」


 なんて純粋で真っ直ぐとした理由なんだろうか。

 きっと、あの時フィアがそのシスターに出会っていなかったら、今の彼女はなかったかもしれない。

 時折司祭様や大司教様から「人との出会いは自分を変える」と教えられるけど、彼女は正にその言葉の体現者だ。ずっと右から左へと聞き流していたけど、事例をこうして目の前にしてしまうと、教えも大切なんだなと思ってしまう。


「(あとは、もう私の帰る場所がなくなってしまったからですけど……)」

「ん? 何か言った?」

「い、いえっ! 何も言ってませんよ!?」


 フィアは慌てて首を横に振る。

 おかしいな、確かに何か呟いていたような気がしたんだけど。それに、どこか表情も暗く―――


「ごほんっ! そのためには、その……私も早く男性の方に慣れないといけません」


 だけど、そんな僕の違和感ごと切り替えるようにフィアは話を戻した。


「まぁ、信徒も礼拝者の方も女性オンリーってわけじゃないからね」

「こうして話す分には問題はないのですが、あまり踏み込んでしまうと……」


 話すことが問題ないのであれば、業務に差し支えはないのではと思うかもしれない。

 だが実際には、街のボランティア活動や巡礼といったことも業務ではある。男性との接触時間も多いし、過度な反応を見せて関係を悪化させてしまうのは望ましくない。

 加えて、牧師とシスターは同じ教会で暮らすことになる。職場環境を悪くさせないためにも、いずれ克服はしておかなければならないだろう。


「大丈夫、任せて! ロニエにもお願いされたけど、男性に慣れるよう僕も協力するから!」

「ありがとうございます、アレン!」

「といっても、具体的にどうすれば克服できるかは思いついていないんだけどね」


 ここは話し合って要相談だろう。リンシアやロニエにも話を聞いて、早いうちに克服できる方法を考えておかないといけない。でないと、僕の日常に「懺悔」という習慣がついてしまうことになる。


「よしっ、善は急げだ! 紅茶を飲み終わったら、早速ロニエ達のところにご挨拶と作戦会議をしに行こうじゃないか!」


 僕が立ち上がると、フィアもつられるようにして立ち上がった。

 そして、着痩せしている胸を強調するかのように胸を張り、大きく敬礼のポーズを見せる。


「了解ですっ!」


 やだ、この子可愛い。

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