第1話

 ルシア教。

 世界総人口の七割に信仰されている宗教である。女神ルシアを主神とし、災い、病、瘴気や悪霊といった『人に対する害』を祓い退け、善行を積めば『人に対する幸』を運んでくれると云われている。


 実際にとある神父が災害の際に女神ルシアに助けを求めると、災害がたちまち止んだことがあったという話があった。それがたまたまか、はたまた祈りが届いたのかは分からないけど、そういった事例がいくつもあったからこそ多くの人間が『信仰したい』と思ったのだろう。

 そうやって信仰されてきたルシア教は七百年の歴史を誇り、現代にも根強く広がっていた。今や世界一の宗教と言っても過言ではないぐらいだ。


 どこかの街を歩けば、十人に七人はルシア教の信徒、もしくは関係者。きっとレストランで相席をした場合、高確率で胸元にルシア教信徒の証であるロザリオをぶら下げた人がやって来るに違いない。


 そして世界一大きな宗教であるルシア教の聖職者は、それなりの数であった。

 教皇を始め、大司教、司教、神父、シスターに牧師。全員をひっくるめれば、世界総人口の二割を超える。そのため、世界各地には大聖堂や教会といった施設が建ち、神の御使いが教えを広めるために勤しんでいた。


 ちなみに、教会関係者は有名で人気な職業の一つ。

 何せ、多くの人に信仰されているからこそ周囲から好かれる職業であり、給金も安定、将来経済が不安定になったとしても食いっぱぐれることがないからだ。他にも色々と人気の理由もあるだろうけど、人気だからこそ平民や家督を継げない貴族やらが続々と集まってくる。

 もちろん「なりたいっす!」と言っておいそれとなれる職業ではないのは言わずもがな。

 ルシア教は来る者拒まずではあるがちゃんとした試験も用意されているし、役職に合わせた教育期間というのも設けられている。

 その教育期間はおおよそ二年。親元を離れ、大聖堂や教会に住み込みで働き、学ぶことによって立派な聖職者となり、各地に配属される。


 ―――ここ、アレストロ大聖堂も未来ある卵を育て上げる場所の一つ。

 世界で三番目に大きいとされている大聖堂はミレルリア王国の海上都市に存在し、各所から試験に合格した若者が集う場所でもある。更に教育だけでなく、一般的な大聖堂としても機能しているため、関係者の数も礼拝に訪れる信徒も多い。故に、大聖堂に住む人間、足を運ぶ人間の数だけ言えば、恐らく世界で一番多いのではないだろうか?


 だからからか、朝のお祈りが終わったあとの食堂は席の確保が困難なほど人が溢れ返っていた。

 牧師見習いの僕———アレンは、人が溢れ返っている食堂で人混みの合間を歩きながら、空いている席へと向かった。


「まったく、昨日は酷い目にあったよ……」


 トレイに乗った朝食を置いて、僕は席に腰を下ろす。

 昨日の懺悔のおかげで、歩いておかないと足が震え始めてしまうぐらい退化してしまった。おかげで、トレイに乗せたスープが零れてしまうところだ。


「あら、おはよう」


 僕の横から声がかかる。

 ルビーの瞳と、燃えるような腰まで伸びる炎髪。美人寄りな端麗な顔立ちと、祭服越しからでも分かる、抜群のプロポーション。

 密かに男性陣の間で『美姫』と呼ばれるぐらい容姿が整った少女は、祭服を着ているところから分かるように、僕と同じ牧師……を目指す牧師見習いだ。

 牧師見習いは基本的に男性が多い。そのため、女性の牧師っていうのはかなり珍しくて、今の教育期間内で女性の牧師見習いは彼女だけ。

 同じ牧師見習いということもあるけど、何かと気が合って見習いになった当初から仲もいい。

 そんな彼女———リンシアは、平然といつも通りの朝を迎えていた。


「出たな、僕の足を小鹿にした元凶が」

「何よ、私は何もしていないじゃない。恨まれるようなことなんて、女神ルシアに誓ってしていないわ」

「嘘おっしゃい! 元々、昨日の浴場覗きはリンシアが発案者じゃないか!」


 そう、昨日シスター達が入っている浴場を覗きに行ったのも、懺悔室に送還されてしまったのも、全部目の前の女の子のせいなんだ。

 あの甘言さえなければ……具体的には「覗きスポットを見つけたから皆で一緒に行かない?」という言葉さえ言わなければッ!


 それで、浴場の外———天窓に上れる場所を見つけ、言葉巧みな甘言に惑わされた僕を含めた牧師見習いは昨日リンシアと一緒に覗きに行ったんだけど、上を見上げた入浴者に見つかってしまい、懺悔室に送還されてしまった。

 しかし、それは男性牧師見習いだけ。リンシアは、何故か「無理矢理案内させられた」ということで逆にシスター達から心配されていた。

 それで、彼女は結局一緒に入浴という結果に……なんて理不尽なんだ、一人だけ桃源郷に行きやがって。僕達は石抱きをしていたというのに、性別の壁が恨めしい。


「失礼ね。私は穢れを知らない少女達の裸を見に行きたくて誘っただけよ」

「それは発案者だと認めている発言だと思うんだけど?」


 そして、堂々たる変態発言だ。


「まさか見つかるとは思わなかったわ……失態ね。昔から、覗きは慎重に行わないとって、牧師さんが言っていたのに」


 誰だ、そんな変態的教訓を彼女に教えた牧師は。出てこい、説教してやるから。


「私、牧師見習いだからシスター達と一緒にお風呂は入れなのよね。いつも苦渋な思いだったわ」


 おっと、リンシアが遠い目をして何かを思い返し始めたぞ?


「本当に昨日は凄かったわ……純真無垢な彼女達の裸体。滴る水滴がきめ細やかな肌へ伝い、凸がはっきりとした胸部、楽しそうな笑顔を見せながらも生まれたままの姿で闊歩する光景、更に―――」

「これ以上の発言はよすんだッ! 深夜のラジオにはまだ早い!」

「はぁ、はぁ……ッ!」


 頬を赤らめ、口元から若干涎を垂らすリンシア。思い返して興奮しているのか、時折体がビクンビクンと震えていた。

 美人が大変残念なことになっていて失望を隠し切れない。


「リンシアって、美人なのにどうしてそんなに残念なことになってるんだろうね……」

「美人だなんて、照れるわ。でも惚れないでね? 私、基本可愛くて穢れを知らなさそうな女の子にしか興味はないから」


 リンシアは自分で言っていた通り、どうやら女の子にしか興味がないらしい。

 どんな過去があってそんな歪曲した性癖になってしまったのかは分からないけど、とりあえずそんな感じ。あまり信じられないかもしれないけど、彼女が本当に「女の子好き」なのは覗きに行こうと誘ってきたことで証明されていると言ってもいい。

 おかげで、男性が多い牧師見習いの中に一輪の花が咲いていたとしても、誰も見向きもしなかった。こういう女の子なのだと、半年かけて理解させられたから。


「まったく、僕には理解できないよ。同性を好きになるだなんて」

「あら、あなただって好きじゃない。分かってるわよ」

「僕の場合は異性が女の子だからね!」


 分かった風に言われても、そもそも前提が違うということを理解してほしい。でも女の子は好きだ、甘美な言葉に惑わされて思わず覗きに行ってしまうぐらいには。

 だから、少し気持ちも分からなくもな───


「汚したくなる気持ちもね」


 まったく分からなかった。


「それにしても、凄いわよね『強制懺悔措置機』。昨日、目の前から一瞬で皆が消えていったんだもの」


 そう言って、リンシアは僕の腕についているブレスレットを指差した。

 如何にも頑丈そうにできた鋼鉄のブレスレット。糸鋸や金槌を持って来てもビクともせず、地味に大きいサイズに作られているので、洗う時はそこまで苦じゃない。そんな気遣いが腹立つものだ。


「このブレスレットさえなければ僕は今頃、楽園アガルタを覗けていたというのに……ッ!」

「いや、バレた時点で覗けなかったでしょうに。そもそも、そのブレスレットって女性からの「懺悔」というワードに反応するんでしょう?」


 半月ほど前に男性聖職者に支給されたこのブレスレット───『強制懺悔措置機』は近年、男性聖職者によるセクハラ行為問題を解決するために開発され、支給されたものだ。

 女性から「懺悔」というワードを向けられると、強制的に指定した懺悔室に飛ばされる。僕達が浴場から姿が消えたのも、覗いているのが分かったシスターが「懺悔して!」というワードを向けてきたからだ。

 どういった原理で瞬間移動をしたり、言葉に反応するかは分からない。魔術協会と合作でこのブレスレットを生み出したみたいだけど、僕は生憎と魔術には疎いからよく分かっていない。

 とにかく、これのせいであの懺悔という名の暴力を厭わない大司教様がいる部屋に飛ばされるということだけ理解している。

 男性聖職者にとっての天敵───そう、これはそういった恐ろしいものなんだ。


「可哀想よね、男の子って。これがある限り、シスター達をめちゃくちゃにできないんだもの」


 流石の僕達も、シスター達をめちゃくちゃにしたいとまでは思っていない。

 そろそろ、彼女との付き合いも考えた方がいいと思った懺悔の翌日でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る