第12話 おかえり
仕立て直したばかりの伊草の香りが立ち込めていた。御簾の向こうに人の姿が透けて見える。その鋭い眼光に捕らえられると、明神は持っていた小さな鏡を前へ差し出した。唐衣姿の采女が三方を持って来たので両手で丁寧に鏡を置く。采女が深々と頭を下げて長い廊下を歩いて行くと、明神は御簾の向こうへ視線を戻した。
十年前からこっちへ来ていた明神の幸御魂は、色んな所を彷徨いていた。神の次元へ迷い込んだ時にここへ流れ着いたらしい。割と皆、気質の良い神々で、またどっかの子供が迷い込んだのかと微笑み返してくれたらしい。その時にここの女神に手酷く怒られたので、それからはここへ近付いて居なかったのだが、その怒られた理由がよく解らなかった。
「僕何もしてないのにね、頭に角が生えてね。般若みたいに怒ったんだよ。噛みつかれてそのままあの世の岸に追い返されたの」
両手の人差し指を立て、それを自分の頭にのせて説明していた。子供相手にそんなことをする神様なんて聞いたことがなかった。まあ神様にも色々あるのだろう。元々神には嫌われる質ではあったが、噛み付かれた事はなかった。
明神の瞳には背の高い女の人が御簾の向こうに立っている様に見えた。
「一体どの面下げて来たのかしら」
玲瓏の澄んだ声だが、憎しみが言葉に滲んでいる。明神はそっと目を伏せた。
「知らずして犯せる罪であれば許しては頂けないだろうか」
荒々しく御簾が上がり、真っ黒な長い髪が棚引いた。黒曜石の様な真っ黒な瞳に明神の姿が鏡の様に映っている。白い衣裳に、赤と橙の縞模様で出来た倭文布帯を腰に巻いている。淡い桃色の比礼が、光の加減で赤や青い色を反射させていた。
「私の娘を今すぐ返しなさい」
胸の辺に、翡翠で出来た勾玉や碧玉が揺れている。石に刻まれた一つ一つの装飾に明神は視線を泳がせた。
「何の事か……」
「しらばっくれるのも大概になさい。人質が居るからとのこのこここ迄来たのでしょうが、お生憎様。どうせ娘を返す代わりに寿命の挿げ替えを頼みに来たのでしょう?」
明神はそっと女が身に着けている首飾りに手を伸ばした。真ん中の碧玉だけ、ブルーサファイアだが磨かれていないので光っていない。
「私の娘が握っていた石よ」
明神はそれを聞くとそっと手を離した。
「俺には貴女の娘が何処に居るのか解らない」
「そんな戯言は聞きたくないわ」
声に怒気が混じっていた。
「何が何でも返しなさい。出来なければ貴方も、貴方の兄弟も全員殺して二度と転生出来ない様にします」
「美しい神なのに、恐ろしい事を……」
「そう見えるのであれば貴方の目は節穴ね」
女神が指を弾くと、御簾が上がった。屋敷の奥まで広く板張りの部屋が続いている。伊草の茣蓙が行儀よく並べられ、緑の草原の様だった。
「私の名はね、磐永姫と云うのよ」
女の姿が大きな岩の龍へと姿を変えると、明神は不思議そうにそれを見上げた。天井まで届くほどに伸びた角も、蛇の様にうねる体も、体に生えた掌大程の鱗も、黒々としている。災いを齎す邪悪の化身と言われるその姿を見ても明神は表情を変えなかった。
「綺麗だな」
明神の言葉に龍は牙を剥き、マズルに皺を寄せた。
「この鱗は黒蛋白石の様だ。闇の様な黒色でありながら、虹色の彩色が混ざっている。その爪は黒金剛石の様だし、角は磨き上げられた黒翡翠の様だ。これだけ美しければ、他の男に取られるのが嫌で、ふられた男が醜かったと吹聴したくなる気持ちも解る」
明神がそっと龍の背中を撫でながら言うと、龍は元の女の姿に戻った。
「本当、嫌な男ね」
女神はつんと顔を背けた。
「少しは驚き、怖れれば良いものを……」
「ご期待に添えなくて申し訳ない」
呆れた様に嘆息する女神の瞳が何処か悲しげだった。
「貴女の娘であればそれこそ美しい女神だったのだろう」
女神の脳裏に、笑っている自分の娘の姿が思い起こされた。自分に似たあどけない姿を何度探し求めた事だろう。
「貴女の中で、ずっと生き続けて居るんじゃないのか? その瞳に映る全てのものの中に、娘の息吹がかかっているんじゃないのか?」
明神の言葉に眉根を寄せたが、嘆息して目を伏せた。
「貴方が隠したのは私の娘では無くて、私の娘を殺した自分の兄だったのね」
女神の言葉に明神は首を傾げた。
「今の貴方を見ているとそう思うわ。私に、娘は生きていると希望を持たせたかったの? それとも、兄の行いを自ら被って八つ裂きにされるのが望みだった?」
明神はそれを聞くと目を伏せて溜息を吐いた。
「それとも」
明神の両眼が碧く光っていた。
「私の娘を殺したのは別の誰か?」
明神はゆっくりと再び目を伏せた。
「普段はとても温和な方なのですよ」
唐衣姿の采女が、細い階段を降りながら呟いた。明神は瞳を宙へ泳がせながら、快晴を泳いでいる小さな龍を眺めた。
「娘さんを亡くしたの?」
「さて、生きておられると貴方は最期に言い残しましたよ。現し世の何処かへ隠したと……」
明神は采女の話を聞きながら階段を一つづつ降りた。
「方々探しましたが、見つかりませんでした。神代の時代が終わり、人の代へ移り変わった時に磐永姫様もこちらの次元へ引っ越されました。後ろ髪引かれる思いだったでしょう」
一面青かった空が、降りていく度に白く変わっていく。
「磐永姫に娘がいたの?」
「公にそれを残すと命を狙われる可能性がありましたからね。表向きは私達と同じ采女としていましたが、今思えば、誰かに気付かれたのかもしれませんね。
ある日突然、お姿が見えなくなりまして、それから数日して貴方のお兄様が、あの碧玉を持って磐永姫様の元へ来られたのですよ。怒り狂った磐永姫様が貴方のお兄様を八つ裂きにしようとした最中、貴方は姫様は生きていると言った。現し世の何処かへ隠したと……磐永姫様は頭に血が上ってしまっておられました。誰にも止められず、貴方は八つ裂きにされてこの世を去りました。貴方が死んだ事で磐永姫様のお怒りは静まりましたが、本当、迷惑なお話しです」
采女は切れ長な目で明神を睨んだ。
「姫様を一体何処へお隠しになられたのですか?」
明神は何も言わず、蓮の花の咲いた池の方へ視線を向けた。
朗らかな光の中を左慶の手を引いて明神は歩いていた。不意に足を止めると振り返る。後ろには蓮の花が咲き乱れた広い川が広がっていた。
「一人で逝けますよ」
左慶が不意に声をかけた。明神はそっと目を伏せると再び川に背を向けて歩き出す。青い袴姿の左慶はそんな明神の手を引っ張った。
「まだ、やり残した事があるのでしょう? あの頼りないお兄様では、何を仕出かすか分かりません」
「俺には関係の無い事だ」
「関係無いのに、私をお兄様の式神に充てがったのですか」
左慶が聞くと、明神は座り込んで左慶の額に自分の額をくっつけた。
「辛い役目を押し付けてしまった」
「今更何を仰いますか。私は幸せでしたよ。考えようによっては、主人のお兄様があれでなければ、私達は出会うことが出来ませんでした。そういった意味では感謝していますよ」
左慶がにこりと笑うと、明神は溜息を吐いた。
「ここを真っ直ぐ歩いて行くと門がある。その先に右慶と清が居るから……」
「了承しました」
言葉を終える前に左慶は明神に頭を下げた。
「これは私の独り言です。
主人が生きていてくれたなら、私達はずっと主人の心の中で、記憶の中でずっと生きていられます。主人が思い出してくれた時、風になって寄り添う事も出来ますし、同じ景色を見る事も出来ます。主人が幸せだと思えば、私達も幸せでいられます。
だから、主人には生きて幸せになって欲しいです」
左慶はそう呟いて言われた方向へ足を進めた。独り言だと言われた手前、明神は返事に困った。
「左慶」
名を呼ぶと、左慶が振り返った。
「また現し世で会おう」
明神の言葉に左慶はにこりと笑い、手を振った。明神も手を振り返すと、左慶が歩き始める姿を見て踵を返した。
刀の切っ先が小刻みに震えている。雲に隠れていた月が顔を出すと、月光が部屋に差し込んだ。百合が自分に向けた刀を、彼がそれ以上百合の胸に刺さらない様に押し留めている。百合が驚いた様に見つめるその先に、彼の優しい眼差しがあった。
「俺が、お前を大切に思っている事はお前に伝わっていると思っていたのに、そうやって安易に自分の命を投げ出すのであれば……それは俺の配慮が足りないからなんだろう」
百合が刀から手を離すと、首を横に振った。
「違うよ。私が死ねば、明神くんの傍にずっと居られると思って……」
不意に押し倒されて畳の上に転げた。見上げた彼の表情は変わらないが、怒っているのだと思う。
「ずっと傍に居ただろう?」
彼の体が小刻みに震えていた。百合は意味が解らなくて彼を見つめ返す。
「お前の頭の中に、俺が教えてやった事は残っていただろう? 俺の事を覚えて居なかったとしても、俺から学んだ知識は、お前の中で生き続けた筈だ」
「それは……そうだけど……でも、辛い時や寂しい時に傍にいて欲しい」
「その相手は俺で無くても事足りるだろ」
百合は眉根を寄せると彼の腕を掴んだ。
「明神くんじゃなきゃ嫌だ」
「お前にとって俺が特別だと思うのは、お互いに育んだ時間のせいだ。お前が俺に好意を抱いてくれるのは嬉しいが、それを引き合いに自死を選ばれるのは本意でない。だから、もう一度記憶を消してやる」
明神の言葉に百合の顔が青ざめた。
「今度は屋敷も焼き払っておく。この体も土に還る。だから、もう思い出す必要なんて無いし、悲しむ必要もない」
「嫌だ……」
百合が首を振ると、そっと目を細めた。
「大海の底を深めて結びてし妹が心は疑ひもなし」
百合の頬に触れると百合は唇を噛み締めた。百合が身動ぎすると、不意に彼の体が蹴り上げられ、床に転げる。起き上がろうとした彼の体を神崎が抑えた。
「大丈夫?」
椿に声を掛けられ、百合は何が何だか分からず困惑する。手から離れた刀が、部屋の隅に転がっていた。神崎は少年の額に御守りを押し付けるが、体が痙攣している。
「おい! こっからどうすりゃ良いんだよ!」
神崎が喚くと、智弥は少年の右手を掴んだ。
「祐、蘇って。人間として、また兄弟として一緒に生きよう」
彼の目の端から涙が一滴流れ落ちた。けれども痙攣が止まらない。体のあちこちに切り傷が現れて赤い花弁が吹き上がると、神崎は眉根を寄せた。
「やっぱり無理だ! 完全に壊れるぞ!」
「名前を! 隱神の正確な名前で体に魂が定着するはず!」
椿が叫ぶと、智弥は優しく少年に話しかけた。
「祐。君の名前は明神 祐だ」
智弥がそう言うが、状況が変わらない。
「駄目だ。これ以上は……」
神崎が手を離そうとすると、百合が呟いた。
「明神 祐弥」
ぴたりと体の震えが止まった。
「遠つ神、笑み給え」
椿が声を上げると、百合がゆっくりと立ち上がった。椿が手を引いて百合を彼の傍に座らせると、百合はそっと頭を撫でた。
「行く末の秋を重ねて九重に千代まで巡れ菊の盃」
百合が呟くと、眠るように明神の目が閉じた。神崎は明神の体から離れると、智弥は明神を抱き締めた。心臓の鼓動を噛みしめる様に聞くと、ほっと息を吐く。
「さばへなす荒ぶる神もおしなべて祓うることを聞こし召し給え」
椿が和歌を唱えるが、刀が小刻みに震え、黒い靄が立ち込める。神崎が刀を掴むが、刀は鍔を鳴らし、切っ先が湾曲するように揺れている。神崎が畳に刀を突き立てると、抜けない様に抑え込んだ。銀の輪が刀を包むように現れるが、刀の震えは止まらない。神崎が刀に押し返されそうになると、椿が刀を抑えた。
「祓え給え清め給え、惟神守り給え幸はえ給え」
刀の周りに結界が現れ、それに押し退けられるように神崎の体が弾かれた。神崎が再び立ち上がろうとするが、刀と椿の姿が忽然と消えてしまうと、畳に拳を打ち付けた。
「くそっ」
神崎の悔しげな声が部屋の奥へ響いた。
障子の向こうが仄かに白んでいる。どうやら日が明け始めているらしい。ふと、手を握られている事に気付いて隣へ視線を向けると、百合が寝息を立てていた。明神の手を握ったまま、畳の上に寝転んでいる。そっと抱き上げて自分が寝かされていた布団に移動させると、掛け布団を被せた。疲れているのだろう。不意に「行く末の秋を重ねて九重に千代まで巡れ菊の盃」と百合が唱えたのを思い出して目を細めた。
「千代見草か……」
長寿を願う賀歌が、寿命を挿げ替えたらしい。眠っている百合の髪を撫でようと手を伸ばすと、不意に障子が開いた。視線を投げると、白い狩衣姿の狛が、琥珀色の瞳に涙を溜めて立っている。明神はそんな狛の顔を見たことが無かったものだから、胸が苦しくなった。
「狛」
狛が明神の眼の前までやってくると、明神は狛に手を差し伸べた。
「心配かけ……」
「腹が減ったのじゃ」
狛のお腹が大きな音を立てた。心配かけてすまなかったと言いかけていたのに、何だか拍子抜けする。けれども相変わらずの狛の言動に思わず笑った。
「お前らしいな」
やれやれと体を起こすと、今までよりもずっと体が重く感じられた。
「狛、取ってきて欲しい物があるんだが」
明神の言葉に狛は眉根を寄せた。
物音に気付いて神崎は目を覚ました。椿を探したが見つからず、疲れ果てていつの間にか眠っていた。智弥も今目覚めたのか、目を擦りながら周りを見回している。布団に寝かせた筈の弟の姿は無く、百合が布団に横になっている。六畳程の畳部屋だが、仕切りの襖を開け、隣の部屋で寝ていた智弥は伸びをした。
「おはよう」
小声でそう言うと、神崎は黙って部屋を出た。音のする方へ向かうと、どうやら台所に誰か居るらしい。そっと覗くと、中学生くらいの少年が、鶯色の作務衣を纏い、何かを作っている様だった。
「おい」
声をかけると、明神は振り返ったが、何も言わずに手を進める。炊飯器の蓋を開けると、炊けた栗ご飯を茶碗に盛った。
「祐?」
後から来た智弥が声をかけると、明神は溜息を吐いた。お盆に三つご飯の盛られた茶碗を乗せると、狩衣姿の子供がいそいそと居間へ運んで行く。
「取り敢えず話は食ってからにして」
明神に言われ、神崎と智弥は視線を合わせた。
「いらんのなら、俺様が頂くのじゃ!」
狛が箸と茶碗を持ち、嬉しそうに声を上げる。智弥と神崎もお腹が空いていたので卓袱台の前に其々座った。
茶碗に盛られた栗ご飯、菊の花びらが浮いたお吸い物、焼き茄子、露草のお浸し、南瓜の煮物、鮭のホイル焼きには茸や野菜が一緒に包まれている。狛が早々に自分の分を平らげてしまったのを見て二人は慌てて箸を取った。狛は台所へ行くと、栗ご飯のおかわりと、明神が剥いた柿と梨と葡萄の盛り合わせを持って直ぐ戻って来た。
「美味い」
栗ご飯を一口食べた神崎が思わず呟いた。
「祐もこっちで一緒に食べよう」
「悪いが、数日何も食べていなかったから取り敢えず今日は白湯で様子を見る。腹が減ったら勝手に食べるから俺の事は気にしなくていい」
そう言われ、智弥は申し訳無さそうに俯いた。
「ごめんね」
「どうせなら美味しそうに食べて貰った方が作り甲斐があるんだが」
明神の言葉に智弥は柿を夢中で食べている狛を見やった。嬉しそうに食べている狛の表情に思わず顔が綻ぶ。
「美味しいよ。作ってくれてありがとう」
明神はそれを聞くと、台所にある椅子に腰掛けた。少しして百合も起きて来ると、狛が自分が食べ終わった食器を流しへ持って行き、百合の分を卓袱台へ並べた。
「明神くん、おはよう」
百合が声をかけると、明神はその姿を目に焼き付ける様にゆっくりと瞬きした。
「……おはよう」
そう呟いて目を伏せると、百合は明神の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「片付かないからさっさと食べて」
明神が指し示した先に百合は座り込んだ。神崎と智弥はもう既に半分程食事を終えている。百合は手を合わせた。
食事を終えると、明神と百合は台所で食器を洗っていた。智弥も手伝うと言ったが、台所に三人も居たら鬱陶しいと言われ、渋々居間に戻る。神崎は考え事をしながら、卓袱台に残った巨峰を一粒ずつもぎ、口へ入れている。智弥はそんな神崎の隣に座ると、肩を落とした。
「椿の事は仕方ないよ。君だって、こうなるって解っていたら、祐の蘇りに加担したりしなかったんでしょう?」
「当たり前だ」
神崎が怒った様に言うと、智弥は肩を竦めた。部屋の隅みでは、満腹になって満足そうに寝ている狛の姿があった。
台所で食器を洗っていた明神は二人の話を聞きながら、隣で洗い終わった食器を拭いている百合を一瞥する。百合はそれに気付いてにこりと笑って見せたが、明神は表情を変えなかった。
「怒ってる?」
「ああ」
百合の問いに即答すると、百合は困った様な顔をした。
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら最初からするな。お前に死なれたら、お前と過ごした俺との時間が無駄になる。俺の事を大事だと思ってくれるのなら、自分の事をもっと大事にしてほしい。俺にお前を嫌いにさせないでくれ」
明神が静かに話すと、百合は目を瞬かせた。
「え、それってずるい」
百合が少し驚いた様に言うと、明神は百合を見つめ返した。
「惚れた弱みに漬け込まれてるみたいでなんか悔しい。明神くんらしくない」
「嫌いになったか?」
「大好きだよ」
百合に言われ、明神は目を反らした。
「何で俺みたいなのに惚れたのか解らん。思い出した所で、過去の男だったと諦めれば良いものを、物好きな……」
「私の事が嫌い?」
百合の問いに明神は瞳を宙へ投げた。
「そうだと言ったらどうする?」
「また好きになって貰えるように努力する」
「お前のそういう前向きな所は好きだが、何処までも追いかけて来られると落ち落ち死んでいられないな」
明神はそう話すと目を伏せた。
「仕方がないからお前の気が済むまで付き合ってやる」
「じゃあ私は明神くんのことをずっと好きでいる」
明神が百合へ視線を戻すと、百合が真剣な表情でこちらを見つめている。二人が見つめ合っていると、不意に智弥が声をかけた。
「二人共、ラブラブな所を邪魔してごめんね」
智弥にそう言われ、百合が恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。
「そう思うのならこっち来んな」
「だから謝ってるじゃない。百合ちゃん、どうして祐の本当の名前を知ってたの? 僕だって知らなかったのに……」
「神崎さんの名前です」
百合が呟くと、居間に居た神崎が眉を潜めた。
「は?」
「私、ここに居た頃の記憶を思い出したんです。智弥さんの事も……それで、神崎さんと似てるなと思って……そう考えた時に、もしかしてと思ったんです」
「似てるって……」
「ご兄弟ですよね?」
百合が左右の手で神崎と智弥を指し示すと、智弥は頭をかいた。
「……そう見えたなら少し心外かな」
「こっちの台詞だ」
二人の掛け合いを聞いていた明神が鼻で笑った。
「何だ。まだお互いに気付いていないのか」
明神が片付けを終えると、百合の手を引いて居間に座る。
「名前って? 神崎さんだよね?」
「神崎 和弥だ」
それを聞いて智弥は目を丸くした。全員の名前に、弥が付いている。
「親父の前妻との子供が双子で、双子の兄貴が智弥、弟が和弥だ。俺は後妻との子供だから、腹違いの兄弟」
明神の説明に、智弥と神崎はお互いの顔を見やった。確かに背格好は同じだし、顔もよく似ている。神崎がサングラスを取ると智弥と同じ顔だが、瞳が碧味を帯びていた。
「夜でもサングラス外さないから何かと思ってたら、瞳の色を隠してたの? その格好、ヤンキーみたいだから辞めてほしいんだけど」
「他人の趣味に文句付けるな」
「僕と同じ顔でそんな格好で彷徨かれたら迷惑なんだよ」
「どんだけ自意識過剰なんだ。そんなに周りはてめぇのことなんか見てねぇよ」
智弥と神崎が口喧嘩するのを明神と百合は不思議そうに見つめていた。神崎はそれに気付くと、サングラスをかけ直して明神を一瞥する。
「で、お前の寿命は一体何処から生えてきたんだ?」
「僕もそれ気になってたんだ。僕の寿命を挿げ替えるつもりでいたから……」
智弥の言葉に明神は瞳を宙へ泳がせた。
「椿が呼んだ神が上手く挿げ替えたんだろう」
明神の言葉に百合は首を傾げた。
「神様?」
「この土地で寿命を司る神と言えば……」
「大山祇の娘の磐永姫かな?」
智弥が問うと、明神は軽く目を伏せた。
「けど、それなら和歌が
行く末の秋を重ねて九重に千代まで巡れ菊の盃
ではおかしいと思う」
智弥がそう話すと、神崎は腕を組んだ。
「和歌も神話も詳しく無いから俺は智弥の言っている意味が解らん」
「国歌くらいは知ってるでしょう? 君が代。磐永姫を別名、苔牟須売神と言って、君が代の元になった和歌は磐永姫の歌だという話があるんだ」
「……それで? その和歌じゃ無かったら何なんだ?」
「僕は、しっくりこないなって思ったんだよ」
智弥の話に神崎は考える様に顎を触った。
「思い出した。瓊瓊杵尊に妹と一緒に嫁いだけど顔が醜いから実家に追い返されたんだったか……腹いせに人間の寿命を短くしたとかって話があったな。それなのに延命してくれるのもよく解らん」
「多分その話もね、権力者のいいように書き換えられているんだと思うよ」
智弥の話に神崎は目を丸くした。
「例えば、磐永姫が木花咲耶姫よりも別嬪で、磐永姫の方が瓊瓊杵尊をふった。なんて話になると、瓊瓊杵尊の方からしたら格好つかないじゃない。それに磐永姫が呪いをかけたなんて話だけど、そもそもそのずっと前、伊邪那岐と伊邪那美の夫婦喧嘩の折に人の生死について触れている。
人に寿命があるのは伊邪那美の呪いなのに、もっと後になってから同じ人間の寿命に関して磐永姫のせいにするのは無理があるんだよ。神の子孫である天皇に寿命があることを正当化する為の話だという説もあるけど、そもそも伊邪那美だって、火の神を産んだ火傷が元で亡くなっているんだ。それは神様にだって寿命があり、死んでしまうことの証明でしょう?
だから多分、僕の想像だけど、木花咲耶姫も子供達も若くして亡くなってしまって、自分が死に逝く事さえも磐永姫のせいにしたんじゃないかな?」
智弥の話に明神が鼻で笑った。
「何かおかしかった?」
「いや、大体合っていて驚いた。あの世に居る間に磐永姫に会ってな。とても綺麗な人だったが……」
明神はそう言ってちらりと百合へ視線を向けた。百合が首を傾げると、再び智弥の方へ視線を投げる。
「怒られた」
「一体何したの?」
「どうも神代の頃に磐永姫の娘にちょっかいかけていたらしい」
「それでよく寿命の挿げ替えしてくれたね」
「まあ……それはまた今度詳しく話す。それより今は、御魂伏の方をどうにかしたい」
明神の言葉に神崎は眉根を寄せた。
「どうにか?」
「椿が今、隠世に刀を持って行って抑えている。その刀を再び隠世から引き出すのに少々力が必要になる」
神崎と智弥は視線を合わせた。
「それで椿は助かるのか?」
「お前の考えている助けると云う意味が、三歳児の姿の椿の事を指しているのであればそれは出来ない。
元々人として生きられるようには作っていない。俺が死んだ後、智弥にかけられた呪詛の解除が終われば、そのまま智弥の式神として智弥の加護が出来るようにと作っていたんだ。本人が自分で、もう一度誰かの子供として生まれ変わることを望んだ時に転生がしやすい様にと準備していた。
それなのにもう一度刀の封印に身を投じられてしまうともう元に戻せない。刀の呪詛から引きずり出して人間の子供として転生させてやるのが彼女にとっては一番の方法だと思う。
もう、真盛への恨みも消えているから、前世の因縁に引っ張られる必要も無いだろう」
明神の話に神崎は唇を噛み締めていた。
「それから、刀を壊すの?」
智弥の質問に明神は目を伏せた。
「可能であれば……けれども今の段階では無理だろう。かといってこのまままた椿を封印の楔にしておくのも俺としては本意ではない。だから、力を貸してほしい」
明神はそう言うと、畳に手をついて頭を下げた。
「大昔の縁の為に、今の貴重な人生を割いてくれないだろうか」
智弥は直に明神の肩を掴んだ。
「何言ってるんだ。兄弟じゃないか! 僕に出来る事なら何でもするよ」
「俺は今、兄弟云々の話を知ったからそこまでは言えんが、まあそれで椿が呪詛から開放されるのなら協力する」
明神は顔を上げると、二人の顔を見比べてにやりと笑みを浮かべた。
「言質とったからな」
明神の言葉に神崎は智弥を見た。
「この兄貴あってのこの弟か……」
神崎が呆れた顔をすると、その様子を見ていた百合が声を殺して笑っていた。
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