第9話 婚約破棄実施中

自宅に帰ると兄が待っていた。


「なかなか難渋していてね」


忙しい兄が時間を取って、ウィザスプーン家と交渉しているのだが、うまくいかないのだという。


「チッ」


兄にしては乱暴に、手袋を脱いで椅子にたたきつけた。


「一体、何がそんなに手間取っていますの? 慰謝料の額ですか?」


「違うよ。婚約そのものを破棄したくないそうだ。あちらの両親が渋っている」


私は呆れた。


「だって本人が嫌だと言っていますのよ? あの場に大勢証人がいますわ。婚約破棄の意思は明らかですし、私だって、他の女性がいい男の人と結婚してもうまく行きっこないのに嫌ですわ。無理に結婚する必要はありません」


「その通りなんだが、どうしてもマリリン嬢とやらと結婚させたくないらしい」


「そんなことを言われても……」


私は今日見た風景を思い出した。ハーバート様は大勢の女の子に取り囲まれていた。


他に結婚する当てはいくらでもあるではないか。私でなくたっていいだろう。


「でも、お兄様。ハーバート様はとてもモテてらっしゃいましたわ? そんなにマリリン嬢と結婚させたくないなら、違う方と縁を結べば良いではありませんか」


そして、ハーバート様が大勢の?令嬢方に囲まれてらっしゃった様子を話すと、兄は事情を正しく理解して大笑いした。


「なるほどな。低位の令嬢ばかりとはハーバートも舐められたものだ。自業自得だがな!」


「マリリン嬢は、その令嬢方を私に追い払って欲しいと頼みに来ました」


兄は本気で不思議に思ったらしい。


「なんで? どうして助けてもらおうなんて考えたんだろう? 憎い恋仇じゃないのか?」


「そう言えば、おかしいですわね?」


「ハーバートはいつでもサラに頼っていたものな。恋人というより、飼い主みたいだった……それがマリリン嬢にも伝染したのかな?」


余計、不愉快ですわ!


「始末が悪いことに、ハーバートがマリリン嬢だけだと家が回らないとか言い出したんだよな」


兄が言いにくそうに教えてくれた。


私がギラッと兄を見ると、兄は言った。


「いや、わかっている。結婚する前から、浮気宣言みたいな言い分だ」


「お兄様、慰謝料は倍額にしましょう」


「そんなわけで、ウィザスプーン夫妻は土下座しかねない勢いで、ハーバートのは一時の気の迷いだからと……」


「それはウィザスプーン家のご事情ですわ。私には関係ありません」


「慰謝料の方は十倍をふっかけて、ハーバートのサインは取ってきた。ただ両親はどうしてもサラと結婚させたいらしい」


「でも、ダメですわ。他のおうちから私のところに縁談は来ていませんの? 他家を盾にしましょう。実は、クリントン公爵家のオーウェン様から、学園で直接お話をいただいたのですが」


兄がびっくりしていた。


「それはまた……ずいぶんと話が早いね」


「お父さまの書斎に参りましょう。お母さまもご存じのようですわ」


書斎に行くと、母が父を叱っている声がした。


「あなたはサラの将来をちゃんと考えているのですか?」


ノックして声をかけて部屋に入ると、父が小さくなっていた。


「こんなにたくさん、お申し込みがあるというのに」


驚くべきことに、すでに二十通近くの申し込みが届いていた。


母が考慮に値すると決めたのがそのうちの五件。


「年配の伯爵家からの、婚約破棄された娘にとってはいいお話だとか言う失礼な手紙には、マリリン嬢でも紹介しておやりなさい」


「いい考えかも知れない。せっかく婚約破棄を派手に発表したのに、ウィザスプーン家は渋っているらしくて、その案件は宙に浮きそうだから」


兄が冷たく母に同意した。


プライドが高いところはよく似ている。


「ルイ、とりあえず、婚約がなくなったことだけはウィザスプーン家に飲ませなさい。賠償金の件はその後でもいいわ」


「ウィザスプーン家が渋っておりまして」


「自分から破棄しておいて、今更渋るも何もないわ。サラの縁談に差支えが出たらどうするの」


「ですので、立派な家からの正式なお話が来ているのでと、それを盾に断ろうと思いまして」


「わかったわ。私が行きます」


母は宣言した。


なんだか地獄の審判って、こんな感じじゃないかしら?


途端に父が、アルバートの命がどうとか言い始めた。


「あなた。親友の命と娘の幸せ、どちらが大事なんですか?」


なかなか究極の選択だ。


「私が訪問したくらいで、ウィザスプーン侯爵が死ぬみたいなことを言いだして」


ちょっと本気で死ぬかも知れない。母の本気は怖い。


「とりあえず、訪問のお知らせは出しておけ。恐喝しておこう」


兄が執事のセバスに命令した。


恐喝なの?


それから、兄は山積みになった手紙の束の中から、クリントン公爵家の手紙をつまみ出した。


「これでいいだろう。実際にクリントン家と結婚するかどうかはとにかく、公爵家の名前を借りてウィザスプーン家を脅しておこう」


「とりあえず中身を読んでおきなさい。結婚の話でなくて、ルイをパーティに誘うとか言うお話だったら困りますから」


父宛ての封書を兄はペーパーナイフできれいに切って中身を改めた。


「大丈夫。サラ嬢との縁談をご検討いただけませんかになっている」


母が得意げに鼻の穴をふくらませた。


「昔から、お話を持ってきてくださいましたもの。ウィザスプーン家からしつこく頼まれたので、仕方なく承諾したのですわ。もちろん、クリントン家からお話は来ると思っていました」


「まあ、本人もまんざらではないらしい。学園でオーウェンから直接申し込まれたらしいから」


兄が説明すると、父が余計なところで反応した。


「オーウェンの方が好きだったのか?」


「お父さまったら」


私は父に向かって言った。


「私、学園内ではハーバート様以外の方とお話したことがございませんでした。婚約者以外の方と親しくするのは、ルール違反でございましょう。ですから、当然、全く存じ上げません」


「サラ」


母が言った。


「すぐに決めてはいけません」


「どうしてでございますか?」


「いいですか? サラ。女のお友達は相性もわかって冷静に付き合えるものです。でもね、男性は……わかるでしょ? ハーバートが全くふさわしくない女性に恋をしてしまったのよ。ハーバートは、あなたのことが好きだった。だけど、年頃になって出会った女性は特別なのよ」


母は私のそばによって、頬を撫でた。


「いろんな男性と会ってごらんなさい。まだ、決めてはダメよ。お兄様がうんと言いそうな方をお選びなさい」


「?」


私は、クリントン様で問題はないと思っていたのだけれど、兄を振り返った。


兄は苦笑いしていた。


「サラはもっと疑ってかからないといけないな。お申込みのあった男性とは、少し話をしてみるといい」


◇◇◇


そんなわけで、私は、学園に行こうとして、馬車を降りた途端に、男性から声をかけられた。


「おはよう! 偶然だね。今日はなんの授業なの?」


気軽過ぎる。


思わず顔をしかめて、誰だか確認したら、マーク・アラン殿下だった。


「お、おはようございます?」


第三王子殿下が朝から一体なにを?

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