第8話 子どもの頃のパーティの思い出
「何ですか、今のは?」
先生が尋ねた。
「私どもは名前を知りません。ウィザスプーン侯爵令息の恋人だそうですわ」
アリシア嬢が、代表して答えた。
そういえば、誰も家名を知らなかった。
ミス・ダントンは痩せてメガネをかけた、とても厳格な先生だった。
「あの、
声が小さくなっていく。
そうよね。
どう聞いても、最低限の礼儀すら守っていない。
むしろ暴言に近い。
暴言も犯罪行為とされることがあるのだ。
先生は黙ってしまった。
「ちょっと、授業は自習にします」
これ、どうなっちゃうのかしら……
私たちは自習になったのをいいことに、バラバラに教室を出てしまった。
「無理じゃない? あそこまでおかしいと修正効かないんじゃない?」
「それって退学しかないってこと?」
「さすがに侯爵家に失礼過ぎるでしょう? 誰にも示しがつかないわ」
王家ならとにかく、不敬罪などがあるわけでもないので、まさか処罰もできない。家から抗議するのがせいぜいだけど。
「それにしても、どうして誰もマリリン嬢の家名を知らないの?」
昼ごはんの時間になって、私とイザベラは食堂に向かった。
「もう、なんだか疲れたわねえ」
「本当よ」
私たちは椅子に座った。自習になったせいで時間が早かったので、人はあまりいなかった。
「やれやれよね」
「お茶をまず頼むべきよね」
お茶を頼もうと振り返った途端、目が合った。オーウェン様と。
「お茶は僕が……」
後ろにはイザベラの恋人のフィリップ様が訳知り顔に控えていた。
そして一言も言わずに、イザベラの手を取ると立ち上がらせた。
そして人気のない食堂に私たち二人、つまりオーウェン様と私は取り残されてしまった。
何がどうしてこうなったの?
だって、私にはわからない。
この前は、フィリップ様とイザベラが、私の名誉回復のためにフィリップ様と親しくて、みんなを黙らせるのにちょうどいいオーウェン様を連れてきてくれたのだ。
でも、今日は……そもそもそんなに何回もご一緒していただく必要はない。それに今日は時間が中途半端で、観客が少ない。
ああいうのって、やっぱり多くの方に見てもらうためのものだから……。
「人がたくさんいると、話す内容に気を遣ってしまって……個人的な話はできなくて」
オーウェン様が言いだした。
思わず顔に見とれてしまいそうになるところを危うく踏みとどまった。
婚約事情を気になさっているのね。
わざわざ食堂で声をかけてくださったのには理由があるのですものね。
私の名誉回復という。
「本当を言うと、まだ、正式には婚約破棄できていないと思うんです」
オーウェン様はそう言ったが、私はすっかり忘れていた。
手続き関係は兄に任せていた。
「兄にお願いしておけば大丈夫だと思っています。でも、そうですわね、おっしゃる通り、数日でカタが付く問題ではないでしょう。兄は損害賠償を請求するんだなんて言ってましたし」
「ええ、ですから、あまり頻繁にお誘いするのは問題かなと思って、学内で偶然会うだけに留めているんです」
え……と、何のお話かしら?
「婚約破棄がはっきりすれば、あなたはまた、どなたかと結婚を検討されることになると思います」
オーウェン様の灰青色の目は悩ましげだった。
「それは……そうかもしれません」
「前回は乗り遅れましたので、今回は一番乗りを果たしたく」
え……まさか、名誉回復のためのお芝居じゃないって言うの?
「名誉回復? なんの話ですか?」
オーウェン様は怪訝そうだ。
……と言うことは?
本気ですか? 本気なの? どうして?
「別に先着順ではないとわかっています」
オーウェン様がほのかに微笑みながらおっしゃる。
「でも、ウィザスプーン家からの申し込みは十年越しのお話だったとうかがいました」
「え?」
「ですので、涙を呑んであきらめざるをえませんでした。三年前のことです」
こんなところで話すような内容ではないのですが、と前置きして、イケメンの貴公子は語り始めた。
◇◇◇
「実は私も何の会だったのか、よく覚えていないのですが、子どもばかりが集められた会があったのです」
私は首を傾げた。そんな奇妙なパーティはあったのだろうか。
「古びた庭園で、大人たちは大きな四阿やテラスでお茶を飲んでいました。子どもたちは親たちの目を盗んで、庭の中を走り回っていました」
多分一つか二つ、オーウェン様の方が年上だと思う。いくつの時の話か、オーウェン様もはっきりわからないらしかった。
彼が覚えていないくらいだから、年のいかない私はもっと覚えていないだろう。
「初めて会う子どもも大勢いて、みんなで鬼ごっこかかくれんぼのような遊びをして走り回っていました。見つかってはいけないので隠れようと、庭師が道具を置いておく小さな小屋の中に入ったら、先客がいました。小さな女の子です」
あれ? そう言えば、そんな想い出、私にもあるわ?
オーウェン様はうなずいた。
「私はその子と二人で、鬼が来るのをドキドキしながら待っていました。二人で手を握り合って、建付けの悪い扉の隙間からそっと目を凝らしました。鬼が走って行ってしまうと、二人でほっとしたものです。でも、ついに見つかる時が来ました。乱暴な鬼がドアをガッと開けて、私たち二人は明るい光の中へ引っ張り出されました」
あれはオーウェン様だったのね。
オーウェン様はうなずいた。顔は微笑んでいる。
「子どもの頃の思い出は強烈だけれど、同時に嘘も偽りもないので、その時の印象は間違っていないと思います。僕はその女の子が忘れられなかった。次のお茶会の招待が来たとき、僕は絶対に行きたいと母に言いました。父は苦笑していましたが、次に行った時あなたはいなかった。三度目に行った時、あなたはいたけれど、その時には、すでに婚約者の候補がいたらしく……」
それはそうかもしれなかった。何しろ、ハーバートとは十年来の婚約者だ。婚約は、本決まりにこそならなかったが十年も前から話題になっていて、他の貴族からすれば、わざわざ自分の息子を近寄せるのは遠慮するだろう。
この話は、私たち二人とも、何の会だったのかはっきり覚えていないところを見ると、七歳とか九歳くらいまでの間の話だろう。
薄暗い納屋に隠れて、ドキドキしながら鬼を待っている時の緊張感はよく覚えていた。
同時に、その時の庭園の様子も思い出された。
いい匂い、草の匂い、花の香、そんなものも同時によみがえってきた。
ハーバートは髪の毛を引っ張ったり意地悪するので嫌いだったけれど、その時一緒だった男の子は優しくて好きだった。
私たちは思い出話で盛り上がり、周りが見えていなかった。
「今度、もしお父上の許可が出たら……」
貴族然としたオーウェンが言いだした。
「当家のお茶会に出席してもらえませんか?」
「両親に話してみますわ」
オーウェン様は顔がいい。態度も物静かで全く問題がなかった。公爵家だなんて、願ってもない。年回りもハーバートと同じ。
「きっと両親も賛成してくれますわ」
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