第5話 母、盛り上がる

しかし、家に帰ると、母が仁王立ちになって待っていた。



「お母様がお呼びです」


侍女のアンが小さくなって呼びに来た。


アンが縮こまることはないと思うのよ? 呼ばれたのは私なんだから。


でも、縮こまる気持ちもわからなくはない。


母は気が強いのである。


母は……公爵家の令嬢で、現国王陛下の従姉妹に当たる。


今日も今日とて、マーベリーフィールドに住まう国王陛下の伯母上(つまり母の伯母様でもある)のところから帰ってきた。


母は、昔は病弱だったそうで、子どものいなかった伯母様に可愛がられていたそうだ。

今は見違えるように健康で、それだけならいいのだが、強引で威厳あふれる侯爵夫人である。それがどうもよくなかったのではないかと。


姉のオフィーリアが、家を出てマーベリーフィールドの伯母の家に行ってしまった理由である。


姉のオフィーリアはコッツウォール公爵の未亡人だ。仲のいい夫婦だったが、公爵は落馬事故で亡くなってしまい、姉は若くして未亡人になってしまった。二年ほど前の話だ。


以来、母は陰になり日向になり、姉のオフィーリアに再婚を迫り続けている。


姉はおとなしい人で、同じく未亡人のマーベリーフィールドの大伯母の下に身を寄せて、静かに隠遁生活を送っていた。再婚する気なんて、全然ないらしい。

二人は、趣味がガーデニングと同じなので、仲良く暮らしている。

これがまた、母の気をイラただせるらしかった。


「社交界に出ないだなんて、チャンスもないではありませんか」


確かにガーデンニングが趣味では、外には出ない。


母は、本日も姉の説得には失敗したらしい。機嫌が悪いらしい。




「サラ」


母は言った。


「どこの男爵家の娘に負けたのですって?」


負けた……負けたつもりはないのだけど。


「まあ、勝ち負けはどうでもいいけれど、そのなんとか言う男爵家、覚えておくがいいわ」


出た。


母の「覚えておくがいい」は結構こわい。

恩は遠くから返すとか言っていることもあるし。

仇の場合も、遠くても返す気なのよね?


とにかく母は顔が広い。

その上、出自が出自だ。


私は侯爵家の娘なので、公爵家のオーウェン様くらいなら、確かにコンニチワくらいで済む。


だけど、マーク様は別格。王子様ですもの。


でも、母はマーク様だろうが親戚の子ども扱い。怖いわ。


「おかけなさい」


「はい。お母様」


「それで……あなたはウィザスプーンのハーバートのことはどう思っているの?」


これを言うと、父が怒られちゃうのよね。まずい縁談を持ってきたとかで。


でも、仕方ないわよね。だって、ハーバート様はちっとも好きじゃなかったんだもの。


「婚約破棄していただいて、せいせいしましたわ」


母の黒い目が大きく見開かれた。


わああ。怒ってる?



「ホホホホ!」


突然、響き渡る母の笑い声。


母が笑うだなんて、思ったこともなかった。しかもこんなに愉快そうに。


母は椅子に座ったまま、爆笑してから言い出した。


「第三王子のマークがあなたのところにわざわざ来たのですって? 忙しいのに、公務を抜け出して」


まあ! 今日のお昼のことなのに、どうして知っているのかしら?


早耳にも程があるわ!


「それも、クリントン公爵のオーウェンに取られるまいと大急ぎで出かけたらしいわね!」


「ああ、お母様、それは違うんです」


二人の動機に関しては間違っている。


「オーウェン様は、私の親友のイザベラに頼まれたのですわ」


「何を?」


「私がきっとこの婚約破棄で困っているだろうから……あの、評判に傷がつくといけないので」


母がキッとなった。


しまった。余計なところで火をつけてしまった。母は燃え上がりやすいのよ。特に私のことになると、逆上しやすいの。困るのよ。


「あんなバカ者のせいであなたの評判に傷がつくなんて!」


後のセリフは大体わかります。いつも言われつけているもの。


「同じ侯爵家なら、気楽で良いのではないかなどと……しかも、私の娘にむかって感想を述べよなどと、その泡沫男爵家の娘などが!」


ところでここで問題が発生した。

マリリン嬢の家名がどうしてもわからないのである。


泡沫すぎて誰も知らなかった。


「まさかウィザスプーン卿に聞くわけにもいかないし……」


どう言うわけか、ものすごくやきもちを焼いて欲しそうだったし、気にして欲しそうだった。それも二人とも。


こちらとしてはどうでもいいので、全然誰も話題にしなかった。


「学園でお友達にでも聞いてみますわ」


「私は聞く当てもないので、そうしてちょうだい」


母はそう言ったが、母が聞こうものなら、母の評判を知っている貴族なら悶絶しそう。何を企んでいるのかわからないもの。


「まあ、仕方ないわね。元の話に戻っただけよ」


「元の話?」


「もう十年ほども前の話だけれど、ウィザスプーンの侯爵夫妻がハーバートがどうしてもと言うので、婚約を頼みに来たのよ。フランシスとアルバートは仲が良かったしね」


十年? 婚約したのは三年ほど前だけど?


「すぐにはOKしなかったの。だって、そんなことであなたを縛らなくてはならない理由なんかどこにもなかったから。それに、あなたなら他に誰でも相手ができるだろうし、好きな人と結婚したらいいと思って。でも、フランシスが心配したのよ。変な男に引っかかるよりはと」


もちろん、ハーバートが熱心に頼むものだから、理由としてはそちらの方が大きかったんだけど、と母は言った。


「こんな人をバカにしたような結末で終わるだなんて、うちも舐められたものね。でも、ご覧なさい。噂を聞きつけて、あっという間にオーウェンが来たわ」


「ですから、お母様、彼は多分、イザベラの婚約者のフィリップと仲がいいので、クリントン公爵家の嫡子のオーウェン様に声をかけられていれば、多分、そちらとのお話があると、皆さん考えられて、惨めな婚約破棄……」


「誰が惨めな婚約破棄ですってえ?」


間違った。また地雷を踏んでしまった。


落ち着いてから、母は言った。


「違うわよ。オーウェンはあなたがフリーになったので、とにかく一番になりたくて声をかけに来たのよ」


「あのう、それ、間違っていると思いますわ。イザベラとフィリップが気を利かせてオーウェンに頼んだのだと思います」


「そして、マーク・アレンも慌てて公務を放り出してきたんだわ」


「多分、それも間違いで、オーウェン様とばかり話していましたから、オーウェン様に嫌がらせをしに来たんじゃないかと……」


「さあ、これから忙しくなるわよ、サラ。面白いわ。誰がどんな活躍をしてくれるか、楽しみにしているわ」




どうしよう。


母はいつでもわかってくれない。


私がそんなにモテるはずないのに、何考えているんだろう。母みたいに莫大な持参金や、王家との強いコネクションなんか持っていないのに、モテるハズがないでしょう!


変な期待をして落胆させたら、また愚痴が始まるのだわ、すごく面倒臭いのよね……

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