束の間の幸せかもしれない

 帰ってきた慶一郎は険しい顔をしていた。私の知らない女性を連れていた。双葉のことを聞こうと思ったが、聞けなかった。

 俊介はバイクで立ち去ったが、慶一郎は気づかなかったようだった。


 取り上げられた携帯は見つからなかった。

 私たちは何も言葉を交わさなかった。その女性が、家の中を片付け始めた。



 テレビをつけると、報道されるのとほぼ同時に、若村さんが電話をかけてきた。

「今、会社に警察がきてる。工場の従業員が殺されて、何か知らないかって。名前は東村タクミ」

「おれそんな奴知らない」

「とにかく集まってくれないか」

「今日は困るよ」

 私は、何も言わなかった。テレビに今出ている人が、誘拐犯と同一人物か、そこまで判断するほど、私は成長していない。

 私たちが話している間に、家の中は片付いて、料理までできていた。

「お腹すいたんじゃない? 食べて」

「ありがとうございます」

 この女性は誰なんだろう。私は行動をじろじろ見てしまった。

「聡子、ゆっくりしていいよ」

「お姉さん、何か見たい?」

 私はテレビの前に座った。バラエティを見始めた私を見て、二人は安心したようだった。 

「おれ風呂入る」

 慶一郎が風呂に入ると二人だけになった。私は緊張したが、聡子は、テレビに出ているこの人の名前教えてと言ってきた。普段あまりテレビを見ていないようだった。


 二人の知らない間にいつの間にか慶一郎は入浴を済ませ、一人寝室にいた。

「ひなちゃん、そろそろ寝る時間よ」

「もうちょっとだけ」

 私はあくびをおさえた。

 双葉がいなくて、自分がこんなに嬉しいとは思わなかった。双葉には悪いが、そういう存在でしかなかった。

「パパ、明日新しい携帯、買いに行こう?」

「明日は仕事だよ」

「じゃあ土曜日」

「土曜仕事だから日曜日にしよう」

「わかった」

「私も帰らないと」

 慶一郎は、帰り際に聡子を抱きしめた。私は心配そうに二人を見ていた。

「パパ、双葉はどこ?」

「出産のために当分おれから離れたいって言って今は留守にしてる」

「赤ちゃんは?」

「わからない」

「新しいお母さんが来るかもしれない。さっきの人」

「さっきの人は新しいお母さんじゃない。お前のためにきてくれたんだ」

「本当のお母さん?」

「鈍いな」

 慶一郎は苦笑した。

「私は、パパと暮らしたいよ?」

「家が嫌いなくせに」

 父はどうして勘が鋭いのだろう。でも、わかっているなら、どうして改めようとしないのか。

「学校変わりたくないし」

「聡子は素敵な人だよ」

「両思いなのに、どうして結婚しなかったの」

「おれなんかと結婚する女じゃないよ」

 私は考え込んだ。

「おれが過去に刑務所に入ってたなんて、あいつ知らない。秘密にしてる」

「しょうがないから、ひなも黙っててあげる」

 私たちは、小指をからませた。

「とっくの昔に、結婚してると思ってたのに、独身のままらしい」

「好きどうしなら結婚した方がすっきりする」

「そうはいかないんだ」


 これから赤ちゃんと、三人で暮らすために、私を母に引き合わせたのかもしれない。私のために社長が建ててくれた家も、出て行かなきゃいけない。

 でも、双葉はそれだけで終わりそうにはない。さっき言ってた事件はなんだったのだ。そして、誰かが私を誘拐した理由は?

 週末、慶一郎が、代わりの携帯を買ってくれた。俊介に連絡をとって、私はそのとき初めて、誘拐犯が殺されたことが理解できた。若村さんと慶一郎が、何度も警察に呼び出された。しつこい理由は、二人に前科があるからだったようだが、私はそのことを聡子には何も話さなかった。タクミと慶一郎には接点がなく、殺す理由にもならなかった。何度も呼び出される二人を、工場長が心配して、警察に尋ねたが、警察は答えなかった。

「若村さん、過去に何をしたの? 慶一郎さんと、一緒の房だったというのは本当なのか」

「本当です。強盗です。生活が苦しくて」

 若村さんは、うつむき加減に話した。一方、慶一郎は足を組み、工場長を斜めから見下ろした。

「聞かないであげてください。かわいそうだから」

「ちゃんと座ったら?」

 慶一郎は無視したが、若村さんに肘打ちされ、慶一郎は座り直した。

「今日はもういいけど、聞かれたら答えるものだよ」

「もう、しません。迷惑かけません」慶一郎がつぶやいた。

「今なんて?」

「何も言ってない」

「聞かなかったことにしょう。もう、持ち場に戻って」

 慶一郎は礼もせず、けだるそうに立ち上がった。工場長は顔をしかめた。

「本当は、家の中のことなんかで、頭いっぱいなので、大目に見てやってください」

「十分大目に見てやってるよ。社長が、親会社の社長からの指示で、できないやつだけど雇ってやってというから、雇ってるだけに過ぎない」

「本当は肩身が狭くて辛いんですよ。自分ができないことは本人だってよくわかってる」

「要らないんだけどな」聞こえないくらいの小声で言った。


 内線電話が社長室から入ってきた。

「もう戻って」

 若村さんははい、と一礼して退出した。

「大沢君は、親会社の溝口社長の甥っ子で、退任された大沢専務の息子なんだ。専務の奥さんが溝口社長のお姉さんにあたる」

「教育のつもりでした」

「いい年齢だし、本人が悪いことはわかってるけど、扱いに気をつけて。彼が起こした事件のために、専務を退任された」

「はい。申し訳ありません」

「本人はそんなに多くを望んでいないだろう。モンスター社員でもないし」

「確かに」

「本当に扱いに困る時がきたら、その時はまた相談しよう。しばらくは様子を見よう」

「はい」


––ロットの数が合わない、数え直せ

––もうトラックが出る時間だ

––一つ、不良が出た。検品をすり抜けたみたいだ。検品したのは誰なんだ


「またお前か!」

「なんでもおれのせいにしやがって」

 工場の中はいつも誰かが言い合いしていた。責め立てるラインリーダーに、慶一郎が反抗した。

「落ち着け」

 若村さんが仲裁に入った。

「ケイ、一緒に昼飯食おう?」

 若村さんが、慶一郎の肩をポンポンと叩いた。


「お母さんには会ってるの?」

「あの女、おれを憎みながら育てた。好きなわけない。おれだって嫌いだ」

「本当に憎んでたら育てられない。腹違いの弟を育てるなんてなかなかできないよ」

「世話になった。感謝してる。けど、母さんとも姉さんとも呼ばせてくれない」

「本当のお母さんには会えたの?」

「老舗旅館の後妻に入っててこっそり泊まりに行ったけど、気づいてないみたいだった」

「そんなふりしてるだけだよ」

「そっちは今でも仕送りしてるの?」

「いや、母さん亡くなってから、今は深雪のために貯金してる」

「深雪は何も知らないのに、貯金したって仕方がないだろ」

「遺言書を書いておこうと思って」

「死んでからわかったって、遅くないか」

「いいんだ」

「深雪が結婚するときにでも話したら?」

「そうだな。あんたがそう言うなら」

 同じ工場の作業服を着た男たちが、不思議そうな顔をして、二人を見ていた。


 

 私は、双葉が急に現れるんじゃないかと心配した。

 三人でいるといい感じなのに、壊される。 

「ひな、お姉さんの家に行きたい」

「じゃあ来る? でも学校から遠いわ」

「たまにお泊まりでもいい」

「用意してきて。パパに車で送ってもらうから」

 私は、はーいと言って家の中に戻った。

「最初からそのつもりだったんでしょ?」

「お前次第だけど。最終的にはひなに決めてもらう」

 そのとき、友達が訪ねてきて、結局その日は行かなかった。転校したら、この友達と別れることになるとわかって、私はハッとした。

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