アリスの国の電気椅子

ごりごりと骨を削るような音を立てて扉が開く。その奥がプレイングブースだ。

工業用途の型落ち品を思わせる無骨な照明器具が、太いケーブルに繋がれて頼りない光を放っている。

その中に浮かび上がるのは、床に固定された一脚の椅子だ。くすんだ赤いクッション地と金属製のフレーム。手首足首の箇所に何かを固定したらしいボルトが嵌まったままになっていて、古い映画で見た処刑用の電気椅子を思い出す。

椅子の脇にキャスターのついた黒いラックがあり、幾つかの機械端末が収まっている。緑やオレンジのランプが時折瞬きながら点灯していた。ラックの天板の上には埋め込みで固定されたキーボードと、小さなディスプレイが設えてある。ディスプレイ上でシンプルなログインフォームが入力を待っていた。

僕が手早くユーザー名を入力すると、ラックの下段が開いて両手足に装着するセンサーデバイスが現れる。と、同時にゆっくりと頭上から下りてきたのはヘッドセットデバイスだ。ある種のクジラやサメの頭部──もしくはその骨格──を思わせる、のっぺりとした灰色のヘルメット状端末。僕はその下部に開いたスリットにデッキケースを挿入する。デッキケースは手のひらに収まるサイズの薄型のケースで、中に何錠かの錠剤が収められている。

一通りの準備が済むと、椅子の脇のハンガーに上着を預けて、椅子に掛けた。

不快な固い感触が背中と腰に返ってくる。

一度深く息を吸ってから浅く目を閉じて、ヘッドセットを装着する。

ゲームの始まりだ。


RE:7。

通称、セブン。

一世代前にVRデバイスフル対応ソフトウェアとしてリリースされたサバイバルホラーゲームだ。消えた妻を追って片田舎の巨大な農場を訪れた主人公が、そこの主たる奇妙な一家と対峙する。その過程で様々な恐怖と危機に直面することになる。ホラーのクリシェのようなストーリーだが、実際、様々な過去の作品からの引用が詰め込まれた作風は、ホラーの一大テーマパークとも言える内容だ。

このソフトは十年前のリリースから何度かの大型アップデートでゲーム内容が更新されていったが、このVRTA競技で使われるのは最新のヴァージョンではない。不具合修正パッチが未実装のヴァージョンだ。オンラインアップデートでの自動更新を切り不具合を残してある。ソフトを制作販売するメーカーやデベロッパーにとってみれば害悪でしかないが、こうしたヴァージョンにこそ深く楽しむ余地を見出す者たち──あの司祭や僕らのような──がいて、愛好目的でそれを保存しているのだ。

僕は視線誘導の具合を確かめるようにアイコンを動かしてから、設定画面コンフィグを開く。競技の公平性を期すためにほとんどの項目は固定されているが、幾つか変更可能なものがある。

そのうちのひとつ、操作感度センシティビティのスライダーを一番右側──いわゆるマックス──まで動かす。操作感度を高くするほど、ゲームは入力された操作を大げさに追従する。特にこうしたVRゲームでは、操作感度を上げ過ぎると疲労の元になり、いわゆるVR酔いを引き起こしやすくなるので、こうした設定はあまり推奨されない。マックス設定では、普通なら三十分も遊べば頭痛と目眩でプレイできなくなり、悪くすれば失神ということもある。

普通なら。

しかし、これは僕ら走り屋──タイムアタッカー──にとっては基本デフォルトの設定だ。


「準備は済んだか、走り屋。そうなら"ニュー・ゲーム"を。こちらのモニターはもう繋がっている。オーディエンスは暖まっているぞ。両名のスタンバイを確認した時点で、そちらにコントロールを戻す」


司祭の声がヘッドセットから入ってくる。

余談だが、任意で対戦相手との音声通話も可能だ。ほとんど利用されることのない機能ではあるが。この競技は結局というものであり、対戦相手の存在に興味があるプレイヤーというのは稀だ。

賭けとして成り立たせるために対戦という形態をとっているのだとすれば、なぜオフラインで──同じ場所に集まって──戦う必要があるのか。そう思われるかもしれない。

その答えはシンプルで、この競技は違法だからだ。

違法だから、完全にネットから切断された場所で、クローズドな環境を構築して行う必要がある。

それだけの理由だ。


「始めるぞ」


司祭の短い声とともに、暗黒に沈んでいた視界がぼんやりと明るくなる。

次いで始まったオープニング・ムービーを最速のタイミングでスキップする。

わずかなローディングを挟み、僕は虚構世界に降り立つ。

この瞬間にいつも少しの恐怖を感じる。

VR世界の手触りは本物だ。

寂しく乾いた空気。冷たい風が運ぶ沼地の農場の饐えたにおい。

錯覚だとしても、それだけではないと感じさせる何かがある。

目の前に現れたのは、視界を遮る迷路のような植え込み。

枯れた葉をぶら下げた枝は鋭くごつごつと絡み合い、その上方、遠くに木造家屋の屋根の先端が僅かに見える。そこが目的地なのだとまずは自然に理解できる、うまい導入だ。


僕はそれを無視して、右方向を塞ぐ壁のような植え込みに向かって


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