グリッチヘッド

エヮクゥト・ウャクネヵル・²テラピリカ

イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ナイト

メトロを降りて地上に上がると、消毒液のような臭いの空気が呼吸器に絡みつく。不快な清潔さというものが、この都市の環境デザインには浸透していた。

三ブロックほど進んで狭い路地を入り、荒廃して遺棄された低所得者用集合住宅の通りを抜けていく。徐々に街灯は減り、代わって月明かりが主張を強めた。

間もなくしてそれが見えてくる。経年劣化でささくれた塗装を茨のトゲのように纏う、鉄製の黒いフェンス。その隙間から伸びっぱなしの雑草が行き場を求めて無数の腕を突き出していた。この場所の由来を考えればそれは、不謹慎な皮肉か下品な隠喩のようだった。

フェンスを辿り行き着いた正門の脇に、メッキが剥がれてくすんだ緑青色の銘板が掲げてある。

表面の刻印は辛うじてこう読める。

高田第二保健所 臨時病床棟。

あの忌まわしい疫病が去ったあと、取り壊されずに今もこうして残っている。まだ皆恐れているのだ。この場所は汚染されているのではないかと。

ある意味でそれは正解だと思う。

建物脇から地下病床──元、ということだが──への階段を下る。雑草に覆い隠されたようなその階段の先に、黒く塗られた分厚い金属製の扉がある。

扉のすぐ横に取り付けられたリーダーに携帯端末をかざす。インターホンの残骸のように見えるリーダーは、IDと紐付いた端末から僕を問題なく認識した。ガコ、と無愛想な音をたてて扉が薄く開くと、その隙間から埃っぽく乾いた苦い空気が漏れてきた。

最低限の照明が床に無造作に放られた通路を進んでいく。打ちっぱなしのコンクリートの壁が僕の足音を四角形に反響させる。

通路の先に見えたのは、グラフィティやステッカーで埋め尽くされた鉄扉だ。その中央部に削り出しの金属製の小さなプレートが焼き付けられている。そこにこうある。

御門──ミカド。

それがこの場所の名前だ。


扉を開けた先はちょっとしたレイヴパーティーでも出来そうなホールになっていて、ここはその二階部分──ホール全体を一周する狭い通路──にあたる。眼下に見える下階の様子は半分闇に溶けている。

明かりは先ほどまで歩いてきた通路と同じく最低限の照明が無造作に転がしてあるだけだ。そこに数十人の人間が生む影がぼんやりと浮かんでいる。

囁き声のような会話のさざ波。

壁に寄りかかって置物か何かのように動かない姿。

放心したようにホール前方の虚空を見つめる瞳。

それらが生む静かで形のない熱気。

彼らは一様に何かを待っている。それだけが感じ取れるのだった。


ポケットの中で携帯端末が震える。画面には"スタンバイを"と簡潔な通知が表示されていた。

同時に空間に薄く流れていたミニマルテクノが徐々に音量を増す。分厚いコンクリートをハンマーで叩くようなキック、鋭利で神経質なスネアとハット、古いホラー映画のサントラを思わせるぎこちないシンセのパターン。聴衆を躍らせるには鈍重に過ぎるテンポでそれらがのっそりと回転している。

キックの音を受け止めて壁が不快に身動ぎし始めた。それに押されるように背中を離し、僕はフロアの前方に向かう。

小さなライヴハウスのステージのように一段落上がったところに"祭壇"がある。

鎖でフロアから仕切られた金網の通路の先、無骨な金属の杯にかけられた炎。

それを挟むように並んだふたつの扉。その片側の前に僕は立つ。

炎の後ろには黒い外套を纏った初老の男が立っている。

賭場を仕切る所謂元締めで、この場を作り上げたゲームマスター。"司祭"。


「大変永らくお待たせした。

わたしの教会、ミカドへようこそ。

そうだ、夜の訪れだ、ゲームヘッズ諸君。

あの甘美な闘争をまた見たいんだろう?

破壊の向こう側に突き抜ける高揚を。

いいだろう。

この夜の淵を走るのは、アンコ。そして、ガチャ」


司祭がいつもの向上を述べる。

僕は杯の炎を挟んだ向こう側の対戦相手──ガチャと呼ばれていた──にちらりと目をやる。

黒髪に黒のジャージのような上下の……若い女に見えた。長い前髪で顔が影になって表情は窺えない。辛うじて見える口元に銀のリングとボール状のピアスが鈍くきらめいていた。


「さあ、さあ、皆。

ベットはお済みかな?

それだけがこのゲームの参加条件だ。

締め切りまではあと五分。後悔するな。

……さて、闘士のお二方にはフェアプレイの誓いを立ててもらおう。これを」


僕と向かいの女は、司祭から小さなメモリーカードのような錠剤を受け取る。

タンジェリンと呼ばれているこの薬は精神安定剤の一種だ。効き目は強烈で、心因性の痛みや不安を素早く刈り取る劇薬。

僕らは受け取ったそれを炎にくべる。

使わない、という表明だ。

儀式的なパフォーマンスに過ぎないが、司祭はこういうことを好む。


「素晴らしい!

ありがとう、お二方。

では、では!

いよいよ決闘の始まりだ。

種目は"セブン"。

ブースへ入りたまえ。

精神を研ぎ澄ませ。

一フレームを奪い合え。

今宵のVRTAバーチャの始まりだ」


VRTA──バーチャリアルタイムアタック。

高度なVR技術を用いたビデオゲームのタイムアタックレース。

それが僕らの戦場だ。


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