第19話 赤き乙女

「ここ、は?」


 黒い手に呑み込まれ、気を失っていたらしい。水晶は上半身を両手で支え身を起こすと、ぼんやりとした表情で辺りを見回した。

 水晶が倒れていたのは、上下左右もわからない暗闇の中。何が起こったのか、ゆっくりと思い出す水晶は、唐突に覚醒した。


「──アンバー!?」

「お前の想い人は、ここには居ないよ。表の世界で、わしの分身と戦闘中……というところかね」

「誰……?」


 突然背後で聞こえた大人の女性の声。水晶はぶるりと身震いすると、呼吸を整えて振り返った。

 そこにいたのは、赤髪を揺らす少女。燃えるような赤い癖のある長髪は風もないのにたなびき、ゆらゆらと燃える炎のようだ。瞳は深紅の色をして、真っ直ぐに水晶を射抜いている。

 水晶が彼女の眼力に耐え切れずに視線をわずかに落とすと、少女が宙に浮いていることに気付いた。白い足がふわふわと上下し、真っ白なワンピースの裾が揺れる。


「お前は、読み解く者、じゃな?」

「異能として、『秘文字読解士』の力があります。そうおっしゃるあなたは一体……?」

「わしの話をする前に、お前にはやってもらわねばならんことがある」


 水晶の問いには応じず、赤髪の少女はパチンと指を鳴らした。すると暗闇の中に幾つもの古代文字で書かれた文章が浮かび上がり、水晶の周りをくるくるとゆっくり回り出す。

 戸惑った水晶は、目の前で腕を組む少女に向かって「これは?」と尋ねた。


「それらは、今表の世界でお前の想い人に向かって放たれようとしている言葉の刃じゃ。お前がここで読み解くことが出来れば、もしかしたら、表の彼を傷付けずに済むかもしれんぞ」

「……っ。なら、やります!」


 少女の言葉に、水晶は即答した。

 アンバーが現実に残って少女の『分身』と戦闘中ということは、あの黒い手が『分身』ということを意味する。幾ら斬っても倒れないあの手の攻撃からアンバーを守ることが出来るなら、と水晶は異能を解放した。

 水晶の瞳が青みがかった白へと変わり、目の前に来た一文に手を添えて指でなぞる。文字は震えて弾け、水晶にその意味を教えてくれた。


「……『われら、ここに記す』。『悲痛なる願い。人間どもへの呪い。そしていつか、正しき我らの想いに気付く何者かへ残す文書なり。』……これが、『妖神滅戦記』」

「そのまま、続けろ」


 少女の声に導かれるように、水晶は一つずつの文章を読み解いていく。全て読み解いたと思っても、絶えず文章が現れる。その全てを読み解いた時、『妖神滅戦記』の中身がわかるのだと水晶には理解出来た。


「『豊かなる実りの月、人間どもが我らの住む地域にやって来た。始め彼らは友好的に住まわせて欲しいと願い出てきたので、我々は許した。……時は流れ、人間はやがて我らとの契約を踏みにじった』……」


 水晶の前に現れた光る文字群は、始め人間と妖精との交流を描いていた。しかし時を経て、人間の中から妖精の土地を奪い取ろうと考える者が現れたのだという。

 勿論、最後まで妖精との共存を望む声はあった。妖精たちも彼らと結託し、異なる声に対抗すべく話し合いを何度も行なった。

 しかし時の流れと妖精を快く思わない者が人間のリーダーとなったことで、潮目が完全に変わる。彼らの命令により、妖精派と呼ばれた友好的な人々は殺されたり、捕らえられて拷問されたりした。

 更に妖精にも被害は広がり、決して人間には殺せないはずの妖精を殺す武器まで作られるようになってしまう。

 その時になって初めて、妖精たちは思い知った。もう、人間たちと相容れることはないのだ、と。


「……『妖精王、神々の世界より一柱の神を召喚す。彼に願い出、神と妖精とが協力して人間を滅ぼすことを決めた。』『だが』」

「だが、人間はただ愚かなわけではなかった。武器を造り、武器を扱える人間を訓練し、結託してわしらと対峙しおった」


 赤髪の少女は水晶が読む文字の後を引き取り、忌々しげに歯噛みする。


「わしらとて、初めからお前たち人間を敵視していたわけではない。共に暮らせるのならば、と思っていたのだがな。……どうやら、甘い考えだったようだ」

「その、後は?」

「これを読んでいけ」


 少女に示された文章が、水晶には悲しみに震えているように思えた。そっと指をはわせ、読み解く。


「『戦いは数日では終わらず、全面戦争となって数十年にわたって続いた。我らは消耗し、命を落とす者も数知れない。それは人間たちも同じであったが、彼らは我ら以上に貪欲に勝利を求めた。』……そして、『やがて神々と妖精は人間に敗北し、エーデルフォレストの地から我らの足跡は消え失せた。』――でも、この本だけは残ったのですね」

「この本には、歴戦を共に戦い抜いた友らの思いが染みついている。わしは本の守護者となることで、本を未来へと繋ぎ、偽りの歴史が語られ続けるのを見守ることしか出来なんだ」


 小さな手を握り締め、少女は目を閉じる。そして再び燃える赤の瞳を開いた時、彼女は水晶に尋ねた。


「お前は、我らの真実を虚実として物語るか?」


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