第18話 手の中の闇

 書庫の更に奥。水晶とアンバーは、『妖神滅戦記』が保管されている部屋の前へとやって来た。

 そこへ来て、水晶は首を傾げる。鳥肌が立ち、部屋の中から何かを感じるのだ。


「昨日とは、気配が違う?」

「ああ。明らかに、俺たちを……水晶を誘っている。こっちへ来い、来いって呼んでるみたいだ」

「なら、行かないと。わたしたちはあの本を害あるものと考えているのではなく、この国のこれからのために必要な書物だと伝えないと」

「……心の準備は良いか?」

「うん」


 二人は前を向き、互いの顔を見ていない。しかし、触れた指が相手を鼓舞する。大丈夫、一緒にいると伝えてくれる。


「行こう」


 水晶の号令を受け、アンバーが扉に手を掛ける。右手には愛剣を携え、背中に水晶をかばうようにして。

 しかし、アンバーが戸を開けるよりも明かりのない部屋の中のの動きの方が速かった。二人の目の前が真っ黒に染まり、反応する暇も与えられない。


 ――どぷんっ


「水晶? ――っ、水晶!」

「アンッ」


 扉が中から勢いよく開き、何かが飛び出す。それがあの文字で形作られた巨大内黒い手だと理解する前に、水晶はその手に呑み込まれる。体が何処かに沈む感覚に恐怖を覚えながら、水晶は懸命に手を伸ばすアンバーを呼んだ。


(アンバー、アンバー! っ、口が塞がれて声が)

「諦めるなよ、水晶! 必ず──」


 ──とぷんっ


 互いに必死の思いで伸ばした手。あと一歩、数ミリという距離で、突然黒い手が動きを変えた。

 急速に膨張し、水晶の細い指が呑み込まれる。空振りに終わったアンバーは、呆然と竜の如く立ち塞がる黒い手と対峙した。


「水晶……」

 ──ヨミトクモノ、ワガウチニ。トリモドシタイカ?

「当然だ。あいつは、水晶は……俺の大切な人なんだからな」

 ──ナルホド。デハ、オマエノチカラヲシメシテミヨ。

「望むところだ」


 文字で創られた手が、形状を変える。尾の先端にはあの古書が開かれた状態で吊り下げられ、体は伸縮自在な細長いものとなった。そして頭は─手の形をしていた頭は─今や、伝説や物語にしかその存在を描かれない竜神の頭部と化す。

 黒き竜神はたった一人のアンバーを見下ろし、嗤ったようだ。


 ──ワレヲ、カツロヲミイダセ。ワレラノムネン、ソノミニキザメ。


 紅玉のような瞳は、闇の中でも光輝く。

 アンバーは騎士の剣を構え、その敵意に染まった瞳を睨み据えた。心に浮かぶのは、古文書に真っ直ぐ向き合い読み解く水晶の姿。そして、必死にこちらへ手を伸ばしてきた彼女の恐怖に染まった表情。


(こんなところで、諦めてたまるか。俺は二度と、同じ過ちを繰り返さない)


 大きく息を吸い、吐き出す。空気に淀みはなく、目の前の存在が、決して邪悪なものではないとわかる。だからといって、警戒を怠るつもりは毛頭ない。


 ──イクゾ。

「……っ!」


 咆哮と共に突進してきた黒き竜神を、アンバーは真っ正面から迎え撃った。

 ガキンッと金属音が響き、ようやく目の慣れた暗闇に火花が散る。火花は二度三度、幾度となく散り、その度にアンバーの腕に衝撃が伝わった。


(重いっ)


 ともすれば剣を取り落としそうな程、衝撃は強い。竜神とアンバーの体格差は、五倍以上。決して広くないはずの部屋で、どうして竜神はこうも自由に飛び回るのか。

 謎はすぐに解けた。いつの間にか、部屋は部屋でなくなっていた。


(これは……異空間!? だが、これを創る力は神話の時代に消滅したと)


 魔法がまだ存在した時代、様々な力を持った者たちがいた。その中には、こことは違う空間を創造し、操る者もいたらしい。

 そこまで考え、アンバーは「まさか」という思いを抱く。目の前で的確にアンバーの急所を狙って来るこの竜神の正体に対して、ある仮説が浮かんだ。


「あなたは……」

 ──……ダトシテ、オマエノスベキコトハカワラナイ。


 淡々とした口調で、竜神は言う。

 更に大口を開け、鋭利な牙を見せ付けてきた。その牙に、アンバーは過去の思い出したくない記憶が蘇る。

 ズクン、と腹の傷が痛む気がした。それは何年も前に完治し、痕が残る程度のものとなっているにもかかわらず。


(くそ、しっかりしろ!)


 冷汗が流れ、アンバーは己を叱咤した。あの時の自分とはもう違うのだ、と何度でも言い含める。

 しかし、その時気が逸れたせいか。竜神の尾が振られ、アンバーを横に殴り飛ばす。


「かはっ」


 異空間でも果てはあるのか、アンバーは見えない壁に激突してずるずると地面に伏せった。剣を握る手に入る力は減り、呼吸は荒い。

 問答を繰り返しながら、アンバーと竜神はぶつかり合いを続けていた。基本的に竜神優位のまま、なんとかアンバーが凌ぎ切る状況は変わらない。

 このままでは、水晶を助ける前に自分が倒れてしまう。そう危惧したアンバーだが、ふと竜神の言葉が頭を過った。


 ──ワレヲ、カツロヲミイダセ。ワレラノムネン、ソノミニキザメ。


(読み解く? 俺には、水晶のような異能はない。……だけど、目を凝らし、読み解こうと努力することは出来る!)


 アンバーは剣で竜神の攻撃をさばきながら、竜神の体へも目を向けた。すると、確かに文字のようなものが無数に見えてくる。


「それ、か!」

 ──……。


 応とも否とも言わず、竜神は体をくねらせた。そして今一度咆哮すると、黒いもやのような塊を幾つも吐き出す。

 アンバーはそれらを叩き斬ろうと剣を構えたが、ふと何かに気付く。心の中に、ふわりと浮かぶ言葉がある。


「……『われ、ら、ここに記す』」

 ──ナニ!?

「『悲痛なる願い。人間どもへの呪い。そしていつか、正しき我らの想いに気付く何者かへ残す文書なり。』……これは!」


 アンバーが言葉を呟く度、黒い塊が白く変色し、光となって消え失せる。

 驚きながらも心に従い言葉を紡ぎ続けるアンバーに、竜神は怒声を浴びせた。


 ──ナゼ、オマエガコトダマをヒモトケル!? ヨミトクモノデハナイ、オマエガ!!?


 激昂した竜神は、上空へ飛び立つと大きく息を吸う。そして、力の限りの波動を吐き出した。

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