第16話 夜闇に紛れて

 水晶とアンバーがそれぞれの部屋で眠りについてしばし、月が天上にかかる頃。王宮の裏庭では、見回りの衛兵の目を掻い潜った数人の影が浮かび上がった。


「おい、ここか?」

「らしいぞ」

「らしいってお前……。それでも暗殺を生業とする男か?」

「そんなこと言われても。標的の部屋は王によって秘匿されているんだ。だが、我らが雇い主は大臣の職にあるからな。ほぼ確実な情報しか伝えんだろう」

「まあ、間違っていても相手の口を塞げば良いだけの話か」


 月明かりに照らされ姿を現したのは、闇色一色の服に身を包んだ男三人。とある雇い主に乞われ、二人の標的を殺しに行く途中だ。

 口元を布で隠し、見えているのは二つの目だけ。隠し武器は幾つも持ち合わせているが、戦闘能力を持たないという少女相手には不要だろう。


「だが、片方は元騎士だと言うぞ。そっちはお前の領分だな」

「ああ、任せろ」


 一人が水を向けると、目つきの悪い男が頷く。彼は以前騎士団に所属していたが、喧嘩やカツアゲなどの諍いを度々起こしたために追い出されたのだ。その後、暗殺者集団に招かれ、闇の世界で暮らしている。

 アンバーという名に聞き覚えはないが、それは彼が追放された後に入団したためだ。


 三人はそれ以上の会話を交わさず、裏庭に面したある建物の傍で二手に別れた。一人は向かって右の部屋に、もう二人は左の部屋の窓の下に隠れる。頷き合い、二人が先に動いた。

 窓枠に手をかけ、中の様子を探る。どうやら標的は寝ているらしく、照明は一つもついていない。

 これは楽な仕事だ。どちらがそう思ったかは定かではないが、二人は同時に立ち上がると、雇い主が人を使って細工したというガラスの一部を外した。そして、極力音を抑えて窓を開ける。

 ギギッと思いの外大きな音がしたが、中で寝ている御仁は気付かない。二人は気配を消して室内に入り、素早くベッドを目指した。

 しかし――


「忍び込むとは、良い度胸だな」

「くっ……仕損じたか」

「兄貴ッ」


 元騎士の男を背後から羽交い絞めにし、アンバーが「クッ」と喉で笑う。


「お前ら、誰の差し金だ? 大方、大臣の内の誰かだろうけどな」

「教える……わけがないだろう!?」


 自慢の筋力で無理矢理アンバーを引き剥がした男は、相方が短剣でアンバーの気を引いている間にと窓枠に手をかける。顔を覗かせれば、驚いた顔の同僚が目に入った。


「お前、何が……っ」

「気付かれた。さっさと済ませろ」

「了解」


 一人で任務を仰せつかった男は、無理矢理窓の枠をハンマーで叩き割ろうとした。彼はわざと事件を起こしていると周りに気付かせ、人が集まって来るまでに仕事を終えて死体を発見させることを趣味とする変質者である。

 男がハンマーを振りかざした時、隣室では二対一の戦闘が佳境を迎えていた。


「死ねえっ!」

「――っ、ふざけんな!」


 飛び道具が頬をかすめ、アンバーは痛みに歯を食い縛って剣を抜く。相手の男は戦い慣れているらしく、大振りの剣を横薙ぎに振る。幾つかの調度品が破壊され、アンバーはシーツをかざしてそれらから身を護った。

 しかし飛んで来た短剣がシーツを突き刺し、アンバーは横っ飛びにベッドから離れる。そして向かって来た背の低い男の追撃を躱し、足を引っかけて転ばせた。

 そして窓枠から体を乗り出していた男の襟首を掴み、引き倒す。首が絞まってしまい、男は「ぐっ」と呻いて気絶する。


(力が強過ぎたか。――だが、そんなことはどうでも良い)


 アンバーは二人の男を放置し、素早く廊下側の扉を開ける。その瞬間、隣で大きな物音がした。王宮の至る所で音に気付いた衛兵たちが動き出す気配がするが、間に合うはずもない。

 鍵がかかっていないことを幸いに思いつつも、かけておけという苦言が脳裏をかすめる。しかしそんなことを深く考える余裕もなく、アンバーは水晶の部屋に飛び込んだ。


「水晶!」

「あ……あんばぁ」

「くそ、もう来たのか!」


 アンバーが見たのは、壁際に追い詰められ涙目の水晶と、彼女の首を絞めている細身の男。男は慌てて水晶を殺そうと、手にしたナイフを彼女の胸に突き立てようとした。

 ナイフの刃先が月光に輝いた瞬間、アンバーの中で何かが切れる。瞬時に動き、水晶と男の間に滑り込む。


「水晶を離せ!」

「ぐはっ」


 剣を取るのではなく、アンバーは無自覚に拳で暗殺者の鳩尾を殴りつけた。水晶の目の前で、男は痛みに顔を歪めて仰向けに倒れる。その男の姿から水晶を隠すように、アンバーは彼女の前に立ち塞がった。


「あん……けほっ」

「喋るな、水晶。もう、大丈夫だから」

「う、んっ」


 喉が自由になったことで空気が一気に入って来て、水晶は勢いよく咳き込んだ。彼女の背中をさすったアンバーは、よろめきながらも立ち上がる男と対峙する。


「お前ら、誰の差し金だ?」

「げほっ。だ、誰が言うか!」

「だろうけどな。……悪いが、お前たちをここから無傷で帰すほど、俺には余裕がないんでね」


 覚悟しろよ。アンバーが低い声で言うと、男の顔は蒼白になった。

 しかしそこはプロの暗殺者である矜持があるのか、ナイフを二刀流にしてアンバーの出方を窺っている。二人が睨み合う時間は、実際数分もなかっただろう。


「――はっ」


 先に飛び出したのはアンバーだ。気迫を保ったまま、たじろぐ男の胸を剣の底で突き、床に沈めた。相手の敗因は、アンバーの怒りに呑まれたことに尽きる。

 反撃を許さず、暗殺者を止めたアンバー。彼の背中を頼もしく感じながらも、水晶は何処か危うさのようなものを感じていた。


「アンバー、大丈夫?」

「……ごめん、水晶。間に合って良かった」

「あ……」


 振り返ったアンバーは緊張の糸が切れたのか、安堵の表情を浮かべている。そして、倒れ込むように水晶の肩に額を乗せた。

 水晶の心臓がどくんと音をたてる。動くことを許されず、水晶は硬直してアンバーを支えることしか出来ないでいた。

 しばらくして、外が騒がしくなってきた。衛兵たちが集まり、アンバーの部屋で伸びていた二人が回収されているらしい。

 すぐに、水晶の部屋にも衛兵が入室許可を求めてきた。水晶は反射的に「はい」と返事したものの、現状をどう説明したものかと悩む。

 水晶の悩みを察したのか、アンバーは水晶から離れると、自ら部屋の入口に行って衛兵たちを迎え入れた。衛兵はこちらでも伸びている男を捕らえると、二人の衛兵を残して部屋を出て行く。


「アンバー殿、水晶殿、遅くなりまして申し訳ございません。お怪我はありませんか?」

「はい、大丈夫です。ただ、部屋が……」


 水晶を背に隠し、アンバーはぐるりと部屋を見回した。幾つもの調度品が壊れ、窓も破壊されている。この状況で朝まで過ごすのは難しい。

 衛兵もそれに気付いていたのか、冷静に「新たなお部屋を用意致します」と頭を下げた。


「ただ、支度が整うまで別の部屋にてお待ち頂けますか?」

「わかりました。……行こう、水晶」

「あ、はいっ」


 アンバーに手を引かれ、水晶は衛兵について別の部屋に移動した。部屋が用意されたのは、それから五分程後のことである。



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