秘された本
第14話 戦意
「ここが、呪いの書が保管されている部屋」
水晶とアンバーが入室を許されたのは、薄暗い部屋だ。唯一の明かりは手に持ったランプであり、それをかざして室内を照らすと、奥に水晶の胸の高さくらいの木製の台が置かれているのが見えた。
水晶は真っ直ぐにその台の前に歩き、アンバーは一度出口を振り返った。
フロートは出口となる扉の前から動かず、二人を見守っている。アンバーは旧友に頷くと、台の前で立ち竦む水晶の傍に駆け寄った。
水晶の傍に立ってもう一度振り返ると、フロートの姿が扉の向こう側へ消えるところだった。鍵をかける音はなく、ただ遠退く足音が聞こえる。
アンバーは軽く息をつき、真剣な顔で何かを見下ろす水晶に声をかけた。
「水晶」
「アンバー。これ、見て」
水晶が指差したのは、一冊の古文書だ。
古びているのは、黒ずみや黄ばみが見られることから一目瞭然。しかし、それ以上に本それ自体から威圧感にも似た気配を感じる。
アンバーがそれを口にすると、水晶も頷いた。
「こんな感覚、幾つも古文書を読んできたけどこんなこと感じたこともない。……だけど、呼ばれてる気がする」
「呼ばれてる? 水晶が、か?」
「うん。もしかしたら、この本を読み解くことが、わたしがこの世界に来た理由なのかもね」
「……」
わからないけれど。そう言って微笑む水晶に、アンバーは微かな胸の痛みを感じた。思わず胸元で拳を握り締めたアンバーは、痛みを呑み込んで本の表紙を覗き込む。
表紙に書かれているのは、勿論現代の文字ではない。
「書名、読めるのか?」
「……うん。よ……『妖神滅戦記』」
「妖精と神が滅ぶ戦いの記録……?」
「素直に読めば、そうなるよね。でも、どうしてこんな悲しい題名に──」
その時だった。
丁度、水晶が本のページをめくろうと触れた瞬間だ。何かの強い敵意・戦意が水晶の手を駆け上り、思わず手を離す。同時に、アンバーが腰の剣を抜いた。
とさり、と呪いの書が床に落ちた。ページがめくられ、適当な所で止まる。そして黒煙が舞い上がり、天井まで達した。
「何だ、これ」
「わかん、ない。だけど……」
呆然とした水晶とアンバーの目の前に、本の中から溢れ出した黒い煙が形を変える。
音もなくそれは確かに形作られて行き、やがて大きな黒い片手となった。
──サレ、ニンゲン!
何処からか、怨念が音を発したような声が轟く。水晶がハッと顔を上げた時には、黒い拳が目の前に迫っていた。
「──っ」
「固まるな、バカ!」
ガキンッという金属音が響き、水晶は思わず瞑っていた目をそろそろと開けた。
水晶の目の前に、見慣れた大きな背中がある。アンバーが拳と水晶の間に滑り込み、剣で巨大な拳を受け止めていたのだ。
「アンバー!?」
「長くはもたない、早く下がれ!」
「──っ、はい!」
見れば、アンバーの剣が拳に刺さっている。しかし巨大な拳を斬ることは出来ずに、進行を押し留めるので精一杯だ。
水晶は慌ててもつれそうになる足を叱咤し、アンバーの後ろへと走る。
それを横目で確かめ、アンバーは剣を振るう。拳から剣を引き抜くが、拳が痛がる様子もなく、何かが溢れることもない。つまり、この拳は生き物ではない。
「ちっ」
アンバーが後ろの跳ぶと、彼がいた場所に拳が叩きつけられる。しかし部屋が揺れるだけで床は傷付かず、起き上がった手がグンッと伸びた。
巨大な手は、手拳を扱うようにアンバーを上から襲う。絶え間ない攻撃に対し、アンバーは剣で応戦する。受け止め、弾き、斬りつけるが、効果があるようには見えない。
「……っは、はっ。何だ、こいつは」
まるで手応えがない。アンバーが奥歯を噛み締めた時、不意に黒い手が向きを変えた。
(何を? ――っ、まさか!)
アンバーは手が向かう先を察し、全速力で駆け出した。
拳からの攻撃からどうにか逃げおおせた水晶は、じっとアンバーの戦う姿を見詰めることしか出来ないでいた。
「……っ」
誰かに助けを求めるために大声を出したいのに、喉が塞がったように言葉を発してくれない。それが得体の知れないものへの恐怖なのだと気付いても、両手を胸の上で握り締めることしか出来なかった。
アンバーの剣と謎の手がぶつかり、火花が散る。ランプの明かりだけが頼りの中、火花は明るく輝いて見えた。
(アンバー、王国騎士だったって本当だ。疑ってたわけじゃないけど、あの剣技は古書店の店主の技じゃない。でも、あの手には効いてない……!?)
自分にも何か出来ることはないか。水晶は自分の異能が戦うためのものではないということを少し恨みながらも、黒煙の手をじっと見詰めた。すると、手を形作っているものが煙ではないことが見えてくる。
(もしかして、あれは……)
よく見て、役に立たなければ。懸命だった水晶は、自分のもとにその巨大な手が迫っているという事実に気付かなかった。
手の指が水晶の首を掴みかけた時、アンバーの悲鳴に似た叫びがこだまする。
「――水晶に触るな!」
――キイィィィィィッ
渾身の力で振り下ろされた剣の刃が黒い手を直撃し、この戦いで初めて奇声が上がった。耳をつんざくような叫びに、水晶は我に返って現状を直視する。
ドスンッという音がして、黒い手が倒れ伏していた。
「アン、バー……」
「水晶、無事か?」
「うん。――っ、ありがと」
「……ああ」
水晶が腰を抜かして座り込むと、アンバーは苦笑して彼女の傍に立った。とんっと水晶の頭の上に置かれた青年の手は温かく、水晶の心までも溶かす。
しかし、ふんわりとした柔らかな空気は、倒れて動かなくなったはずの黒い手が動き始めたことで瓦解する。
アンバーは再び剣の柄を取り、水晶も立ち上がって身を引く。
「……」
「……」
――オマエ、ヨミトクモノカ。
ゆっくりと浮かび上がった手が問う。水晶は一歩前に出て、頷く。
水晶の答えを聞き、手はズズズと音を出しながら本へと戻っていった。完全に本が閉じた時、ようやく二人は息をつく。
水晶は胸を撫で下ろし、笑みを浮かべてアンバーを見上げた。目元が熱くなり、声が震える。
「アンバー、護ってくれてありがとう。アンバーが一緒にいてくれてよかっ……」
「――寿命が縮む」
「!?」
感謝を伝えようとした水晶の手が引かれ、アンバーに抱き留められる。思いがけずぎゅっと強く抱き締められ、水晶は顔だけでなく体をも真っ赤にして息を呑んだ。
「あ、んばー……?」
「お前を守れなかったら、俺は……っ」
「……」
何かに怯えるアンバーの背中にそっと手を回し、水晶は自身の心臓が激しく拍動する音を聞いていた。そして、恐る恐るアンバーを抱き締め返す。
(アンバー、ありがとう。……わたし)
緊張すると同時にほっと安心する体温に包まれ、水晶はしばし身を委ねていた。
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