第10話 呪いの書

 しん、と静まり返った室内で、初めに我に返ったのはアンバーだった。


「フロート。『呪いの書』なんてもの、俺は聞いたことが無いぞ?」

「僕も、王の側に仕えるようになって初めて存在を知ったんだ。おそらく、機密事項なんだと思う」

「機密事項って言ったって……」


 水晶を置いて話すアンバーとフロート。二人の間に親しさを感じていた水晶は、思い切って尋ねてみることにした。


「あの、今更なんですけどお二人って……?」

「ああ、僕たちですか? 以前同じ……」

「昔馴染みだ」


 フロートは水晶の疑問に応じようとしたが、それをアンバーが阻む。

 そんなアンバーの態度に不審を抱いた水晶が一言言おうと口を開くと、アンバーは彼女の口を手のひらで塞いだ。


「……っ!?」

「ごめん、水晶。後で必ず話すから、ここでは退いてくれないか?」

「僕こそ、勝手に言おうとして悪かったよ。水晶さん、そういう訳だから、僕が帰ってからでもゆっくり聞いてあげてくれないかな?」

「――わかり、ました」


 アンバーの愁いを帯びた瞳に見詰められ、水晶は渋々引き下がる。胸の奥がどきどきと痛いのは、きっと呼吸を阻害されていたせいだ。

 軽く息をついて心を落ち着かせると、水晶は改めて『呪いの書』についてフロートに尋ねる。


「それで、『呪いの書』とはどんな書物なんですか? 内容はわからないにしても、何か伝わっている話等あったら教えて頂きたいんですが……」

「王家に伝わっているのは、呪いの書がこの国の未来を予見したものだという伝説だけです。誰にもページを開くことは出来ず、中身を確かめることも叶いませんでした。しかし、噂に聞く秘文字読解士ならば、それも可能なのではないか、と王は考えられたようです」

「王……サフィーロ陛下か」

「ええ。面白い方だよ、あの方は」

「……」


 黙ってしまったアンバーの様子を気にしながらも、水晶はフロートの提案について考えた。禁じられた異能を持つ自分を罰するのではなく、力を使い役立てる場を提供してくれるという申し出は、決して悪いものではない。


(もしかしたら、その『呪いの書』に日本に帰る方法とか書いてあるかもしれない。……やってみる価値はあるよね)


 フロートが水晶を見詰めている。水晶は、一つ大きく息を吸い込んだ。


「――やります。やらせて下さい」

「水晶」


 心配する風のアンバーに、水晶は「大丈夫だよ」と微笑む。


「折角提案して頂いたんだもん。それに、この力が誰かの役に立つのは本当に嬉しいから」

「ありがとうございます、水晶さん」

「宜しくお願い致します、フロートさん」

「では、今後の予定を……」


 フロートが鞄から手帳のようなものを取り出し広げた時、水晶の横にいたアンバーがたまらず口を開いた。


「……だったら、俺も行く」

「アンバー?」

「俺も、水晶と共に行く。店はその間休業させておけばいい。良いだろ、フロート?」


 きょとんとする水晶ではなく目の前のフロートを見据え、アンバーは言う。

 フロートは彼の顔を見て、本当に楽しそうに笑った。


「断る理由はないね。それに、きみなら水晶さんの護衛も務められる。水晶さんもそれで良いかな?」

「はい、勿論です! 王宮に一人で行くと思うと不安ですけど、アンバーが一緒に来てくれるのなら、心強いです」

「だそうだよ、アンバー」

「……黙ってろ、フロート。こいつは人のためなら出来ることを何でもしようとする。危なっかしくて、見てられないだけだ」

「そこまで訊いてないんだけどな? 過保護だね、アンバー」

「……」


 わずかに赤く染まった顔でフロートを睨んだアンバーは、咳払いをしてから水晶を振り返った。ただ、まだその頬はわずかに赤い。


「決まりだな、水晶」

「うん。宜しくお願いします」


 ただアンバーが同行することに安心している水晶は、素直に頭を下げる。アンバーはそれに対してわずかに微笑み、「ああ」と頷いて見せた。




「それでは、また。当日、お迎えに上がります」

「はい。お願いします」


 段取りを決め終え、フロートは王宮へと帰って行った。

 店の前で手を振りフロートを見送った水晶は、休憩中の札を準備中に取り換えているアンバーを振り返った。

 結局、全ての予定を決めるために数時間使ってしまったのだ。もう客も来ないだろうというアンバーの判断で、早めの店仕舞いをする。


「何見てるんだ、水晶」

「え? あ、ごめん」

「別に良いけどな」


 ぼんやりとアンバーを見ていたことがばれ、水晶は顔を赤くする。彼女に苦笑を見せたアンバーは、水晶を手招きして店の中に入れた。


「手伝ってくれ、飯にしよう」

「うん」


 手を洗い、食材を用意する。そして、調理。

 その流れはいつもと何も変わらないにもかかわらず、水晶は言い知れない不安のような感情を持て余していた。フロートと話した時から、アンバーの様子が何処かおかしい。

 今日は、根菜のグラタンだ。ホカホカと湯気がたち上り、チーズがとろりと溶けておいしそうなにおいがする。

 二人で「いただきます」と手を合わせ、普段以上に無言で食事をする。グラタンはホクホクと口の中に入っていくが、水晶は落ち着かない気持ちだった。


「アンバー」


 後片付けの際、水晶は我慢出来ずに彼の名を呼んだ。

 スポンジを持つ手をぴたりと止めたアンバーは、気まずそうに目を逸らした後でため息をついた。そして腹をくくったのか、手を洗って水晶を見る。


「全て話すには、俺の気持ちがまとまらない。だから、あいつとの関係だけ話させてくれないか? 全ては、いつか必ず言うから」

「……わかった。わたしも、アンバーが苦しむのは見たくないから」

「ありがとう」


 苦しげに微笑んだアンバーは、水晶に「ここで待っててくれ」と言ってキッチンを後にした。

 何もせずにいるのも忍びなく、水晶は残りの洗い物を済ませてしまう。彼女が食器棚に全てを収めた頃、ようやく何かを持ったアンバーが戻って来た。


「それは?」

「……俺は、フロートと同じ騎士団にいた。これは、その時の勲章だ」


 アンバーの手のひらに乗っているのは、赤いリボンのついた金色の勲章だった。

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