第2章 王宮
王宮からの依頼
第8話 噂の異能者
青々としていた草木の色が赤やオレンジに変わる頃、王都ではある噂が囁かれるようになっていた。曰く、国の何処かに古代文字を読むことの出来る異能を持つ者がいるらしい。地方に位置する博物館や図書館等の学芸員が密かに古文書をその者に預け、読み解いてもらっているのだとか。
噂は噂。そう言い切り放置するには、話には現実味があった。
ここは、エーデルフォレスト王国の中心部に位置する王宮。その王の間である。
決して豪奢ではないが、美しいステンドグラスが壁に幾つも嵌め込まれている。そこに描かれているのは、この王国が産声を上げた時の物語だ。
鮮やかな色を日の光が通過し、王座に腰掛ける男の姿を輝かせる。
男の名は、サフィーロ。精悍な顔つきと体を持つ、三十代の若き指導者だ。
「……して、その話はどの程度真実なのだ」
「はっ。幾つかの博物館や図書館に人を派遣し、事実を確かめさせました。こちらからは何の咎めも無いと説明した所、やはりその異能者はいるようです」
「そうか」
報告を受け、サフィーロは暫し思案に暮れる。
このエーデルフォレスト王国において、古代文字を読み解くこと自体、禁忌として遠ざけられてきた歴史がある。古代文字はこの国の歴史に深くかかわり、王国の混乱を避けるためだ。
しかし、サフィーロ自身の考えは少し違った。
軽く息を吐き、サフィーロは跪いたままの側近・フロートに向かって命令を下す。
「噂の異能者を王宮へ呼べ。一つ、その力を確かめよう」
「は……しかし、その者はこの国の者ではないと言います。なんでも、信じられない話ですが、異世界からやって来たとか」
「異世界か。益々面白い。その者を捜し出し、呼び寄せよ。咎めるのではなく、仕事を依頼したいのだと伝えろ」
「──はっ」
フロートが去った後、王の間にいた大臣たちがざわざわとさざめき立つ。サフィーロはそちらに目を向け、呼び掛けた。
「何だ。言いたいことがあるのなら、言え」
「では、僭越ながら」
そう言って頭を垂れたのは、文官長を勤める初老の男である。一歩進み出て、サフィーロの目を見た。
「古代文字を解読することは、代々この国において禁忌とされてきました。王よ、それをお忘れですか?」
「忘れてなどいない。ただ、古い慣習を壊すのが我が務めだと考えている。その一環であり、お前たちの目を覚まさせる一石になると期待しているのだ」
「……そう、でございますか」
渋々引き下がった文官長だが、その目はまだ若き統治者を認めていない。
サフィーロがこの国の王座を継いでから、十年。祖父の代、父の代をよく知る大臣たちは、若造のサフィーロに仕える素振りを見せつつも、何処か疑いを隠さない。
(慣習を大切にすることは、良いことだ。昔から伝えられ守られてきたものには、それ相当の意味がある。……しかし、歴史を省みずに未来を考え行動することなど出来ようか?)
サフィーロは眉間にしわを寄せただけで何も言わず、人払いを行なった。大臣たちを始めとした者たちが去ると、一人嘆息する。
「頼むぞ、フロート」
王宮での出来事から数日後、何も知らない水晶はまた別の依頼を受けて古文書を読み込んでいた。この本は依頼人の祖先が書き残した自伝であり、なかなかに面白い。
集中していたからだろうか、突然頬に触れた冷たいものに「ひゃっ」と悲鳴を上げた。顔を上げれば、アンバーが冷たいコーヒーに似た飲み物の入ったコップを水晶に突き出している。
水晶はアンバーに無言で差し出されたコップを受け取り、見上げて睨んだ。
「びっくりするでしょ」
「わるい。でも、そろそろ時間だ。──ほら、目が充血してる」
「う……。あ、ありがと」
前髪をかき上げられ、じっと水晶の目を見たアンバーに指摘される。確かに、目が痛い。
水晶は素直に礼を言って飲み物を飲むと、ほっと息をついた。少し苦いが、砂糖が入っているのかほんのりとした甘さを感じる。
水晶が落ち着いたのを見計らい、アンバーが「なぁ」と切り出した。
「少し、気分転換に付き合わないか?」
「気分転換にって、何処か行くの?」
「……王都。そろそろインクが切れてきてな、買いに行きたい。それに、毎日ここにいるんじゃ気も滅入るだろ」
「アンバー、王都には行かないって言わなかった?」
どういう風の吹き回しか。水晶が首を傾げると、アンバーは一瞬顔を曇らせた。しかしその表情はすぐに消し、フッと軽く微笑む。
「……別に、深い意味はない。何となく、このままじゃいけないって思っただけだ」
「アンバー?」
「いや。で、返事は?」
「アンバーが良いのなら、喜んで。この前はガートさんのお宅に行くだけで終わっちゃったから」
「そっか。じゃあ支度済ませたら……ん?」
とんとんとん。
風で閉まっていた扉を、誰かがノックする。営業中の木札は下げているはずだが、気付かないのだろうか。
水晶とアンバーは顔を見合せ、アンバーが無言で水晶に「ここにいろ」と指示する。水晶が頷き古文書を片付けるのを確かめてから、アンバーは店の戸を開けた。
「開いていますからどう……っ!?」
「やはり、きみの店か。アンバー」
「フ、ロート……。何故、お前がここに?」
驚愕の声を上げるアンバーの異常な反応に不安を感じ、水晶は恐る恐る彼の背後から顔を出す。
「アンバー? どうしたの?」
「──っ。水晶、隠れ……」
「はじめまして、秘文字読解士どの」
「フロート!?」
フロートと呼ばれた青年は、アンバーが止めるのも聞かずに彼を押し退けた。そして水晶の前に立つと、丁寧に腰を折る。
「あ、あの……」
「あなたが、噂に名高い秘文字読解士どの、でしょうか? 思っていたよりもお若く、そしてかわいらしい方ですね。……アンバーが連絡を寄越さないのも頷ける」
「え……?」
「フロート、お前何故ここへ来た!? 俺はもう、騎士団とは何の関係も」
「これは、国王命令なんだよ、アンバー」
「――なん、だとっ」
瞠目するアンバーと対照的に、冷静に水晶を見詰めるフロート。水晶は二人を見比べ、困惑の色を浮かべるしかなかった。
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