第7話 お呼ばれ

 ガートに依頼の本を返した水晶は、その午後ぼんやりと古書店内を掃除していた。そこへ、新たに仕入れた本を五冊程抱えたアンバーがやって来る。


「水晶、どうかしたのか?」

「アンバー……。ううん。ただ、古代文字を知っている人が他にもいるとは思わなかったから、びっくりしたなって思って」

「古代文字の研究は非公式だ。俺もガートさんが少なからず読めることは知らなかったし、彼女の旦那さんが研究者だったとは、って驚いてる」


 とんとん、と本を棚に収めながら、アンバーは書棚を整えていく。その慣れた手の動きに見惚れ、水晶は慌てて視線を外した。

 その水晶の仕草を何と勘違いしたのか、アンバーは首を傾げて彼女に近付く。


「どうした? 自分の異能が怖くなったか?」

「怖く……はないと思う。物理的に誰かを傷付けるものではないから。でも、扱いには気を付けるべきだって学んだかな」

「まあ、ここにいるならそんなに警戒することはないだろ。外に出た時、注意してくれたらそれで良い」


 誘われたんだろう? アンバーに言われ、水晶は笑みを浮かべて頷いた。


「うん。ガートさんが、危険なことをさせたお詫びにっておうちに招待して下さったから。明日が、とっても楽しみ」

「あの人、時々手作りの惣菜とかお菓子とか持ってきてくれるんだよな。うまいから、堪能してくると良い」

「アンバーも一緒に来られればよかったのに」


 残念。そう言って眉根を下げる水晶に、アンバーはすまなそうに後頭部を掻いた。


「ごめん。いつか話すけど……俺はまだ、王都に行く勇気が出ないんだ。店番もあるし」

「わかった。でも、いつか絶対話してね? 約束」

「ああ」


 水晶が小指を立てると、アンバーも心得たとばかりに小指を立てた。この世界でも、約束をする時には指切りをするらしい。

 小指同士を絡め、大切な約束が交わされた。


 翌日昼前。アンバーに見送られた水晶は、書いてもらった地図を頼りに初めての王都へと歩き出した。


(異能は使わない。ガートさんの家に真っ直ぐ向かう。王宮には、近付かない)


 水晶はアンバーとの約束を頭の中で反芻しながら、緩やかな山道を歩く。

 山道は街道とも重なり、王都に近付くに従って往来する人の数が増える。商人や旅人、旅行客と衣服も目的も異なる人々が行き交う道を、水晶は出来るだけ余所行きの顔をして歩いた。あまりキョロキョロと見回していても怪しまれるだけだ、とアンバーに言われている。

 やがて山道は終わり、麓の穏やかな傾斜の一本道を進む。そこまで来てしまえば、人通りも増えて来る。水晶は人を避けながら、真っ直ぐに王都の中へと入っていった。


「綺麗な町」


 王都に一歩入った水晶は、思わず感嘆の声を上げた。王都は王宮を中心に放射状に広がった町であり、その道路それぞれに沿って、住宅や商店が軒を連ねている。

 水晶は賑やかな町の雰囲気に圧倒されながら、鞄から取り出した地図を頼りにガートの家を探す。


「あの、ゲーテット通りはこちらでしょうか?」

「ゲーテット通りなら、この道を真っ直ぐ行って、果物屋を右に曲がった先にある通りですね」

「真っ直ぐで、果物屋さんを右……。わかりました、ありがとうございます」


 途中人に道を訊き、水晶は無事にガート宅へたどり着いた。

 何度か扉をノックすると、中からルーナの元気な声が聞こえてきた。


「今開けまーす! ……いらっしゃい、水晶さん!」

「お邪魔します、ルーナちゃん。ガートさん、おられる?」

「勿論。だって、朝から二人で待ってたんだよ!」

「ありがとね」


 ルーナに腕を引かれ、水晶はガートが待つ居間へと連れて行かれた。

 居間にはガートがおり、彼女とルーナが準備したというおいしそうな食事が置かれていた。サンドイッチや野菜の煮物など、水晶にとっても見覚えのある料理が多く、少しほっとする。

 台所にいたガートが、ルーナに呼ばれて振り返る。彼女は紺色のエプロンをつけており、水晶の姿を見てにっこりと笑った。


「いらっしゃい。待っていましたよ」

「お邪魔します、ガートさん。とってもおいしそうですね」

「ふふ、ありがとう。もうすぐお昼だから、食べながらお話しましょう?」

「はい」


 大皿を持ってやって来たガートが食卓に着き、団欒が始まる。

 主にルーナが話したいことを話し、それに水晶が応じていく。二人の話を聞き、ガートはただ静かに微笑んでいた。


「水晶さんって、何処から来たの?」

「えーっとね、ずっと遠い所」

「いつか、帰っちゃうの?」

「どう、かな……。帰れる方法があるかもわからないから」


 悲しそうに問うルーナに、水晶はそう言うのが精いっぱいだ。水晶自身、何故自分がこの世界にやって来たのか、そこに意味があるのかないのかもはっきりとしていないことに加え、帰り方もわからない。アンバーに出逢って和らいでいた寂しさを思い出してしまい、水晶の表情は曇った。

 水晶の顔を見て、ルーナはしまったという顔をして急いで頭を下げる。


「あ、ご、ごめんなさいっ」

「気にしないで、ルーナちゃん。ほら、美味しいご飯食べよ?」

「うん」


 話は変わり続け、ルーナの学校の話から、ガートと亡くなった夫との馴れ初めまで発展した。水晶にとっては物珍しく興味深い話が続き、ついつい食事の手が止まる。

 全員が食事を終えたのは、始まってから二時間後のことだった。


「水晶ちゃん、少し良いかしら?」

「? はい」


 喋り疲れはしゃぎ疲れたルーナを寝かせた水晶は、ガートに手招きされた。彼女について廊下に出ると、すぐにある部屋に通される。

 部屋は、本を始めとした紙で埋め尽くされていた。書棚で埋まった壁、本棚に挟まれた机の上にも本が積み上がっている。


「ここは?」

「……夫が研究室として使っていた書斎。きっと、あなたの『異能』に役立つものがある」

「どうして」


 思わず絶句した水晶に、ガートは本棚を探って取り出したノートを手渡した。古びたノートの表紙には、この世界の現代文字で『秘文字読解士についての研究』と書かれている。

 パラパラとノートをめくった水晶は、几帳面な文字の中に亡くなった研究者の危惧を見て取る。指でなぞり、何度もその記述を確認した。


「……『秘文字読解士は、この世界の人間からは出るはずがない。何故ならば、その異能を持つと判断された瞬間に別の使い方を教えられるからだ。もしくは、この世から消されてしまう。だからもし生き残っているのならば、守り切らなければならない。もし王宮に知られてしまえば』」

「――『その異能者は理由をつけて消されてしまうだろう。』……夫は、あなたのような人を心配していたの。そして、守るために何かしたかったようなの。だから、もしも貴女も困ったら、頼りなさい。私もルーナも、必ず貴女を助けるから」

「ありがとう、ございます」


 不意に、涙が溢れた。水晶がガートに渡されたタオルで涙を拭いていると、ガートは何かを呟いて微笑んだ。それを見付け、水晶は首を横に捻る。


「ガートさん、何かおっしゃいましたか?」

「いいえ。……あまり遅くなっては、アンバーくんが心配するわね。途中まで送って行くわ」

「あ、ありがとうございます」


 荷物を取ってきます。そう言って居間に戻る水晶を見送り、ガートはふふっと小さく微笑む。


「水晶ちゃんがアンバーくんの秘密を知ったら、どんな顔をするのかしらね? 水晶ちゃん、アンバーくんを頼るのよ」


 数分後、荷物をまとめた水晶は、ガートによって山道の前まで送られた。

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