第6話 持ち込まれた思い出

 古書店閉店後、ぼんやりとカウンターに座っていた水晶のもとにアンバーがやって来た。アンバーは制服代わりの濃緑色のエプロンを外しつつ、水晶の手元を見下ろす。


「お疲れ、水晶。それ、ガートさんから頼まれた本か?」

「そう。見たところ凄く大切にされてたのか、傷みがあまりなくて。でも、書かれた文字は古代文字ばかりだね」

「……確かに、蔵に眠ってる本たちの文字とよく似ているな」


 ふむ、とアンバーが腕を組む。彼に見守られながら、水晶は本に意識を集中させる。

 すると文字の一つ一つが淡く輝き出し、水晶にその意味を教えてくれる。しかしこの現象は水晶にしか見えないものらしく、アンバー曰く「俺には何かが起こっているようには見えない」のだといか。

 それでも、変化するのは水晶の目の前の文字だけではない。彼女自身、視界がとてつもなく明瞭になる。水晶には見えないが、アンバーは彼女の瞳が淡い青を含んだ白に変化するのだと言った。


(この一週間で何度も集中して力を使ったけど、この、全部がクリアになる感じはまだ慣れないな)


 わずかな車酔いのような感覚を味わいながら、水晶は手を動かしながら文字を読み進めていく。手にはペンが握られ、解き明かされた文字とその内容を紙に書き出す。


「『ある晴れた日、わたしは庭の花の手入れを』……って、これ日記?」

「日記?」

「そう。……読み進めるとわかる。これは、古代文字でわざわざ書かれた日記だ。しかも……日付が最近だと思う」


 水晶は集中を一旦解き、店に貼られたカレンダーに目を移す。そこにはセイントゲーテ歴三〇二四年の文字があった。


「この本、日記の書かれ始めた年は、セイントゲーテ歴三〇〇〇年。つまり、たった二十四年前。……でも、どうしてこんな古びた本にわざわざ日記を?」

「読み進めてくれ。そうすれば、きっとこの日記の意味も分かるだろうし」

「だね。よし……」


 アンバーのアドバイスを素直に受け、水晶はもう一度と集中する。

 あまり長い時間異能を使い続けると、翌日起きられなくなる程消耗する。だから、アンバーと共に水晶は一日のタイムリミットを決めていた。その時間、二時間。


(紙が部厚いから、ページ数はそんなになさそう。うん、読み解く!)


 水晶は気合を入れ、日記を読み解いていく。すると日記の書き手は、日常をそのまま写し取るように書き連ねているのだとわかった。

 庭で育てていた花が咲き、それを妻とじっくり見詰めたこと。妻の作る料理のおいしさ。娘が初めて話した言葉。そして、娘が成長して大切な人を見付けたこと。


(これ、もしかして……)


 確信があるわけではない。しかし水晶は、日記の書き手が誰であるのか、そしてどうしてこの日記が書かれたのかがわかってきた。それでも、解き明かすのを止めない。


 解読を始めて二時間が経過し、水晶は頭痛がピークに達して異能発動を解除した。ふらりと姿勢を崩し背中から倒れそうになった水晶だが、彼女の背中を誰かが支える。


「――あ」

「飛ばし過ぎだ、水晶」

「アンバー……」


 ほっと息をついた水晶は、心配顔のアンバーに「大丈夫、休めば起きられるから」と微笑むと、一つ頼み事をした。


「明日、ガートさん来るよね?」

「ん? ああ、来られると思う。何でだ?」

「来られたら、教えて。どうしても、訊きたいことが……」


 訊きたいことがある。それを全て言う前に、水晶は気を失った。

 アンバーは気絶するように眠ってしまった水晶をお姫様抱っこし、寝室へと運ぶ。異能をまだ使い慣れない水晶は、二時間を過ぎると必ずと言って良い程の割合で眠ってしまう。こうやってアンバーが水晶を運ぶのは、これが二度目だ。


「頼まれたからって、無茶しやがる。……水晶、心配する俺の身にもなれ」


 水晶の枕元で囁かれた言葉は、彼女自身には聞こえていない。

 アンバーは肩を竦めると、水晶を起こさないよう気を付けながら、ゆっくりと部屋の扉を閉めた。


 翌日の午後、予想通りガートがルーナを連れて古書店にやって来た。昼前には目覚めていた水晶は、アンバーに体を支えてもらいながら店に出る。


「ガートさん」

「ミズキちゃん!? 顔色が悪いけれど、大丈夫? 体調が悪いのなら休んでいた方が良いんじゃない?」

「そうだよ、ミズキさん! 顔真っ青だよ」


 カウンターの椅子に腰掛けた水晶に、ガートとルーナが駆け寄って心配する。彼女らの心配に礼を言い、水晶はガートを見上げた。


「ガートさん、あの本のことでお尋ねしたいことがあります」

「……!」


 くらり、と目眩がした。しかし水晶はそれを堪え、真剣な顔でガートに問い掛ける。するとガートは唖然とした後、ゆっくりと「何かしら?」と言って微笑んだ。

 もしかしたら、何を言い当てられるのか、ガート自身が誰よりもわかっているのかもしれない。


「あの本は……あなたの亡くなった旦那様が書かれたものですよね?」

「え……」

「お祖父ちゃん?」


 水晶の言葉に、アンバーとルーナが驚きの声をあげる。ルーナは特に水晶の膝に置かれた本を食い入るように見詰めた。

 ガートは孫の頭を撫でると、少しだけ表情を固くした。そして、迷いを断ち切るような意思の強い声色で問う。


「……どうして、そう思ったのか訊いても良いかしら?」

「最初に感じたのは、日付のおかしさです。古代文字を解読していくとわかりますが、この日記が書かれたのはごく最近。古くとも、五十年程前までしか遡ることはありません。記憶を辿るような形で書かれた本文ですが、どれにも奥様との優しい日々が綴られていましたから」

「そう……」


 水晶の話を聞き、ガートはふっと柔らかい表情を見せた。わずかに潤んだ瞳の奥に何を思ったか、ガートはポツポツと語り出す。


「……夫は、この国唯一の古代文字研究者だったの。もしかしたら、この世界唯一の、だったかもしれないけれど」

「古代文字研究者? でも、古代文字を研究すること自体」

「ええ。そうね、アンバーくん。少なくともこの世界では、古代文字は触れるべからずとして遠ざけられ忘れられている。それは、国家の威信にかかわり、人々の暮らしを一変させてしまう危険性があるから」


 どんなに周りに理解されずとも、ガートの夫は研究を止めなかった。何度国家から圧力をかけられようと、危ない目に合おうと。妻であるガートを支えとして、この世界の真実を知りたいと頑張り続けた。


「それでも、やはり限界はあったのよ」


 ガートの夫は、度重なる周囲からの嫌がらせや中傷、蔑みにどんどん心を磨り減らし、やがて病を患った。医者に見せ治療したかったが、大きな病院は全て国営のため、圧力がかけられ診察すら受けられなかった。


「唯一受け入れてくれたのは、夫の古い友人の医師だけ。彼は手を尽くしてくれたけれど、夫の体も心も、もう駄目だったの」


 亡くなる日の昼間、今晩かもしれないと伝えられていたガートは、夫の眠る病室へと駆け込んだ。

 眠っている夫は、昨日よりも更に痩せ衰えたように見えた。そっと黒ずんだ頬を撫でると、夫はぼんやりと目を覚ます。


「夫は、不自由な手で部屋の机を指差した。机には抽斗がついていて、それを開けろと言うの。私は抽斗を開けて、その本を見付けた」


 古代文字で書かれた本を、ガートは読むことが出来なかった。しかし夫は、自宅にある研究資料を読めばわかる、と言って力なく微笑む。


「……私は夫が亡くなり葬儀を終えてすぐ、夫の研究室である書斎に入った。するとね、現代の文字と古代文字を横に並べた表が置かれていたの。──自分が死んだ後に私が見付けられるように」

「ガートさん……」

「その表を元に、私も勉強したわ。ほとんどのページはそれで解読出来て、本当に幸せな日々の何気ない記憶が甦って嬉しかった。……でもね、最後のページだけがどうしても読めなかった。夫が残した資料の何処にもない文字で、メッセージが書かれていたの」


 ガートは悔しそうに微笑み、そして「でもね」と水晶を見た。


「貴女に出逢った。貴女ならばもしかしたら、夫の残したメッセージを読み解けるかもしれない。そう思って、この日記を託したの」


 何も話さなくてごめんなさいね。ガートの謝罪の言葉に、水晶は首を横に振った。


「良いんです。読んでいる間、わたしもとても幸せな気持ちになりましたから。……そして、ガートさんの依頼に応えられるので」

「じゃあ、読み解けたの?」


 目を見開くガートに、水晶は深く頷いた。そして、丁寧に言葉を紡ぐ。ガートの夫が残した、妻へのメッセージを。


「……『また、会おう。次も必ず君に恋をする。愛しているよ、ガート』」

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