第3話 この世界

 水晶みずきの言葉を聞いて頭を抱えたアンバーは、眉を潜めて腕を組んだ。


「すまない。詳しく教えてくれ」

「はい。……わたしは、こことは違う世界、地球という惑星にある日本という国で生きて来ました。そこで学生として生活し、学校から帰る途中で雷雨に会い、おそらく雷の影響でこの世界に。あの、ここは一体どういった世界なんですか?」

「ここは、エーデルフォレスト王国。セイントゲーテと呼ばれる惑星の一国だ。と説明しても、きみには説明不足だな、ミズキ」


 アンバーの言葉に、水晶は頷く。


「はい。おそらく、わたしの生きて来た世界とは違う点が多くあると思います。でも、少なくともここはわたしの知る世界ではない……それが知れただけでも豊作です」


 お世話になりました。そう言ってぺこりと頭を下げる水晶に、アンバーが慌てる。目を見開き、「え?」と立ち上がろうとする水晶の手首を掴んだ。


「何処か、行く所があるのか? 見た所、今さっきこの世界に来てしまったんだと思っていたんだが」

「その通りです。でも、アンバーさんのお世話になるわけにはいきません。麓に町があるんですよね? そこに行って、どうにか生きていこうと思います。元の世界に戻る方法も探したいですし」

「……そうか。困ったら、いつでも尋ねて来ると良いよ。店は毎日開けているから」

「はい、ありがとうございます」


 そっと離されたアンバーの手に名残惜しさを感じてしまった水晶は、慌てて首を振って顔の赤みを消した。そして改めてアンバーに頭を下げると、古書店内を通って外に出ようとする。

 背中に視線を感じつつ幾つかの本棚の前を通り過ぎていた水晶は、ふと視界の端に映った本に吸い寄せられた。周りの本よりも古いのか、手に取ると表紙が補強されている。更に、文字も形が違い読めない。


(これ、何か違う気がする?)


 首を傾げる水晶の傍に、アンバーがやって来た。彼女の手元を見て、苦笑する。


「気になるのか、その本」

「はい。何か、文字が他のとは違う気がして」

「そうだな。何であんたがこの世界の文字を読めるのかは知らないけど、この本の文字は俺たちの中でも読める奴はそういないだろう。所謂、古代文字なんだ」

「古代文字……」

「じいさんも読めない本が、この古書店にはたくさんある。俺も読もうとした時期があったんだが、専門書すらないし、研究者もいない。諦めて蔵に仕舞ったはずだったんだが、まだ店内にあったんだな」

「……」

「ミズキ?」


 じっと古代文字で書かれた本を見詰める水晶に、アンバーが声をかける。しかし水晶はそれには応じず、そっと表紙のタイトルらしき文字を指でなぞった。


「……。えーでる、の、むかし、ばな、し? これ、この国の昔話を集めた本じゃないんですか?」

「確かに、エーデルフォレストという国名の前、この大陸はエーデルと呼ばれていたというが。何で、読めるんだ……? 俺も、じいさんも読めなかったのに!」


 驚き目を丸くするアンバー。彼に両肩を掴まれ、水晶は赤面して首を横に振った。


「と、言われても……。頭に文字の意味が浮かんだというか口から転がり出たというか、わたしも説明出来ないです」

「そう、か。いや、すまない。驚かせてしまったな」

「いえ……」


 困惑する水晶に気付き彼女の肩から手を離したアンバーは、腕を組んで考える姿勢に入った。ぶつぶつと何か呟いているが明瞭ではなく、水晶には要領を得ない。


「異世界の……いや、でも実際……異能? 稀有な存在だと聞いたが……」

「あの、アンバーさん?」

「……調べ……しかし……」

「アンバーさんってば!」

「うおっ!?」


 熟考に沈んでいたアンバーは、水晶の大声にびくっと肩を跳ねさせた。それからじっと自分を見詰める水晶に、「うっ」となる。


「わたしにもわかるよう、話して下さい! アンバーさん含め、この国、世界のことをわたしは何も知らないんです!」

「ああ、すまない。じゃあ、一つの可能性について思い付いたことを話そうか」


 怒る水晶に苦笑を見せ、アンバーは彼女を店内の試し読み用の椅子に座らせる。自分もカウンターの奥から木の椅子を一つ持って来ると、それに腰掛けた。

 水晶がこちらの話を聞く体勢になったと判断し、アンバーは静かに語り始める。


「この世界、セイントゲーテには、ある特殊な力を持つ者たちが存在する。それは本当に一握りの人間だけが持つ力のために、一般的に『異能』と呼ばれているんだ」

「異能……」

「そう。異能を持つ者は、世代によっても数はまちまちで、法則性はない。ただ、この世界が生まれた時に神が戯れに創り出した力だという説が有力かな。力が発現すると、大人でも子どもでも一度国の検査を受ける必要がある。検査はこの世界何処でも受けられ、また受ける義務と権利が発生する」

「異能なんて魔法みたいな力、わたしの世界にはありませんでした。物語の世界のお話で」

「魔法、か。昔はそんな呼ばれ方もしていたようだが」


 水晶の呟きに頷き、アンバーは彼女が読み解いた本の表紙を撫でる。


「異能は様々だ。何もないところから火を起こす者、水を沸き立たせる者、空を飛べる者、触れたものを石化させる者。何でもありだが、その中でも伝説でしか語られていない異能がある」

「そんな特別なものが?」

「ああ。……『失われた文字を読み解く者』の能力だ。研究者の間で、その力を持つ者を『秘文字読解士』と呼ぶ」

「何故、『秘文字読解士』が特別なのですか? 文字ならば、それを研究する人がいるでしょう? わたしがいた世界でも文化や言語、文字を研究する研究者はたくさんいて、遺物等の手がかりを元に読み方を調べ発表しています」


 不思議だ、と顔をしかめる水晶。


「それに、文字を解くことが特別視されるものなのですか?」

「あんたの世界ならそうかもしれない。だけど、この世界では違う。……失われた古代文字を解き明かすということは、この世界そのものの形さえ変えてしまいかねない重大なことなんだ」

「この、世界すら?」


 水晶の顔色が変わる。蒼白な彼女に、アンバーは更に詳しくセイントゲーテという世界について教えてくれた。

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