第2話

 用意したコウキの私室に彼を運び込むと、後をついてきたカエデが驚きの表情を浮かべているのに気づいた。


「ティ、ティアリスさんって、力持ちなんですね……」


 カエデより小柄なわたしが、コウキを軽々背負って、施設二階にあるこの部屋まで運び込んだから驚いているのね。


「魔法で身体強化してるのよ。

 この世界では筋力を魔道で補えるから、見た目が貧弱でも強かったりするから注意してね」


 もっともカエデが誰かと戦うところは、あまり想像ができない。


「あ、あたしはケンカとかできないですよ!」


 手と首を振って否定するカエデ。


 まあ、そう答えるニホン人の女性は多いけれど。


 コウキをベッドに寝かせ、廊下に戻ると、わたしはカエデに指を突きつける。


「カエデ、良い?

 ここでは女性も、そうは言ってられないの。

 平和で治安が良いっていうニホンと違って、残念ながら向こうから襲ってくる事もあるのよ」


 特にニホン人は、異世界の知識や技術なんかで一山当てる場合があって、それ目当てにマフィアや悪徳貴族に監禁されてしまう場合がある。


 なんせ黒髪黒目で、ニホン人は一目瞭然なんだもの。


 なんの対処もなく街をうろちょろしてたら、すぐに目をつけられてしまう。


 そういう連中から、ニホン人を保護するのもわたし達の仕事の一環なのだけれど、すべてに手が届くわけじゃない。


 最低限、自分の身は自分で守れるだけの、知識と技術を持ってもらいたいのよね。


 そういった事情を説明し。


「だから、カエデにも護身術を教えるの。

 ケンカじゃなく、自己防衛よ。

 わかるわね?」


 ちょっと強めの口調で言うと、カエデは顔を真っ青にしながらも、なんとかうなずいてくれた。


「まあ、自分から争えってワケじゃないのよ。

 ニホンでも犯罪はあったのでしょう?

 ここではその頻度が多くて、命の危険が多いから、対処法を学んでほしいってワケなの」


「……あたしにできるかなぁ……」


 カエデはコウキと対象的に、自分への自信が足りないタイプみたいね。


「それは学ぶ気持ち次第ね。

 カエデと同じ年頃でフォーティンに迷い込んで、それでも頑張って学んで、勇者認定された女の子もいるのよ?」


 魔道器官を持たず、魔法を使えないニホン人は、それだけでわたし達より戦闘能力が劣っていると言っても良い。


 けれどあの娘は、様々な技術や知識を身に着けて、並の騎士では敵わないレベルまで昇って行ったわ。


「その娘はね、元々は薬屋さんになりたいって言ってた娘なの。

 色んな人を助けられるようにって。

 でも、ここで学ぶうちに、不遇な人や他国でのニホン人の扱いを知ってね……」


 そういう人の希望になりたいと……救える立場になりたいって、あの娘は勇者を目指すようになった。


 今では陛下の特使として周辺諸国を巡って、ニホン人の保護を説いて回っているわ。


「……あたしにも、そういうなにかを見つけられるでしょうか?」


「別に特別を目指す必要はないのよ?

 ただ、あなたの前にも、様々な道が用意されてるのを知ってほしいってだけ。

 まあ、まだ講義すら始まってないのだもの。

 ゆっくり目指していけば良いわ」


 わたしは優しく笑ってカエデの肩を叩く。


「さ、それじゃお風呂にして、それからご飯にしましょうか?」


「お風呂!? お風呂あるんですか?」


 ニホン人はお風呂好き。


 彼らの気持ちを解きほぐすには、まず裸の付き合いから。


「あるわよ。それも露天風呂。

 ニホン人から教えてもらって施設内に造ったの」


 そうしてわたしは受付に居た職員に、コウキが目覚めたら風呂と食堂を案内するように告げて、カエデを連れて大浴場を目指す。


「……うわぁ」


 互いに裸になって浴場に出ると、カエデは歓喜のため息をついた。


 洗い場の横に大浴槽があって、その向こうは天井から床までガラス張りになっている。


 湯気でやや曇ったそのガラス壁の向こうには、大浴場よりさらに大きな岩造りの露天風呂。


 周囲を囲む木柵の上に望む空には、すっかり夜空が広がっていて。


 カエデはいそいそと石鹸で身体を洗い始める。


「うわっ、シャンプーも……コンディショナーまであるっ!?」


「ええ、元々洗髪剤はあったんだけど、ニホン人の持ち込んだ知識を元に改良されたの」


 今のように花の香りがつくようになったのも、改良されてからなのよね。


 わたし達は髪と身体を洗い終えて、露天風呂に向かった。


 横開きのガラス戸を開けると、カエデは息を呑んだ。


「――月が……三つも……」


 わたしも夜空を見上げると、そこには空の半分を覆うほどに巨大な緑の月ディトレイアが浮かんでいる。


 そこに影を落として並ぶのが、丸い白の月ディオラ


 そのやや上方に、小ぶりでひし形の赤の月モニアがあって。


「ああ、昨日まではディトレイアだけだったものね」


 わたしはカエデに、それぞれの月の名前を説明する。


「あたし、この世界の月は、大きいのだけかと思ってました」


 身体を冷まさないよう、露天風呂にカエデを誘い、ふたりでお湯に身体を浸らせる。


「時期によって、見える数が変わるの。

 全部が重なる時もあって、結構見ものだったりするのよ」


 わたしがそう説明すると、カエデはプルプルと肩を震わせた。


「……あたし、本当に異世界に来ちゃったんだぁ……」


 ここに来て、ようやく実感が湧いたというところかしら?


 こっそりカエデの表情をうかがうと、彼女は感動が交じったような笑みを浮かべていて、わたしはこっそりと安堵する。


 中には異世界に来てしまった事に悲嘆して、投げやりになってしまう人も居るから。


「ティアリスさん、あたしまだ、なにができるとか、なにがしたいとかわからないけど……

 この世界で生きていかなきゃいけないなら、なにかできるようになりたい」


 カエデは両手を握りしめる。


 それからバシャバシャと顔を洗って。


「うん。頑張る!

 ティアリスさん、ご指導、お願いします!」


 出会った時とは打って変わって、彼女の目には決意の色が浮かんでいた。


「ええ、任せて。

 それがわたし達、異世界ガイドのお仕事だもの」


 だから、わたしも微笑みを浮かべて、カエデにそう優しく返した。

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