「ねぇ、先生。私、この先どうしたらいいのかな。」

彼女は本当に暇そうに、髪の毛先を指でくるくると弄りながら目も合わせずにそう言った。

「良い加減、先生って呼ぶのやめてくれないかな。僕が君の先生だったことは一度もないよ。」

「じゃあ、何?皆森くんって呼ぶ?」

「できればその方がいい。」

「えー、私がやだもん。先生は先生でしょ。」

初めて会った時に先生だと勘違いされてから、僕は彼女に先生と呼ばれ続けている。ちなみに僕と彼女は同い年だ。こうして今日も何度目かわからない交渉は断られた。僕は呼び方に特別こだわりを持っているわけではないけれど、先生と呼ばれるのだけはいまだに慣れないので、できれば変えて欲しいと思っている。

「とりあえず、しばらくは今と同じような生活をするのが妥当な判断だと思うけど。君はどうしたいの。」

交渉をしても意味がないと判断した僕は、話を戻した。

「そう言われても…。妥当な判断、ねぇ…。」

煮え切らない返事をしてまた窓の外へ向き直る。その何秒か後にため息が聞こえた。

「ため息をつくと幸せが逃げてくよ。」

「あはは、何それ。本気で言ってる?…ため息なんてつかなくても、幸せは私のこと嫌いだから。」

僕はそれほど本気で行ったわけではなかったが、彼女の最後の言葉はどうやら冗談、と言うわけではなさそうだった。僕の知っている限り、彼女が自分のことを幸せだと言ったことはない。

彼女はいつも、自分の心に気付けない。


思えば、物心ついた頃からだったと思う。私には弟がいて、私はお姉ちゃんだから、いつもちゃんとしなきゃいけないと言われてきた。遊びたかったおもちゃも、弟が遊びたいと言ったら貸した。食べたかったおやつも、弟が食べたいと言ったらいらないと言った。弟が駄々をこねて泣き出してしまったりなんてしたら手もつけられなくて、私も気を悪くするし、お母さんやお父さんがそれはもう必死に宥めていたから。それだけでなんだか責められているようだった。今考えれば、きっともっとやり方はあったんだろう。でも幼い私には自分が我慢することが1番いい選択のように思われたのだ。

気がついたら私には、何もなかった。好きなものがわからない。何をいいと感じて、何を嫌だと感じるのか、自分でもよくわからなくなっていた。何だか、誰にも本当の自分の心を見せたことがないような、そんな感覚だけがぐるぐると回っている。

そしてつい先日、私は人生の大きな選択を迫られることになった。親が、離婚することになったのだ。そのこと自体は何度も話に上がっていて、衝撃は特になかったけど、親権の問題で、どちらについていきたいか私が選んでいいと言われた時は心底驚いた。まさかそんなことを自分で選ばなきゃいけないなんて。時間はもう少しあるから考えてと言われて、どうしたらいいかわからなくなった私は彼に相談することにした。

彼といると、本当の心に気づけるような気がしているから。


そんなことを、彼女から聞かされた。僕が思うに、というかきっと彼女は、自分の心に気付けていないだけだ。「好き」に、「嫌い」に、無意識のうちに蓋をしている。

そしてそれを開けられるのは僕じゃない。それは、僕が1番よくわかっている。

それでも、いつか彼女がその気持ちを見つけられるまでは、ただ、この関係を続けていたい。


『君のになりたかった』

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君の____になりたかった くらげ @curage-san_4257

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