第12話 殴れば記憶もなんとかなる (エンマ視点)

立花を目覚めさせる方法を画策していると、辺りの空気が一変する。

視界全体が濃霧に飲まれたようになにも見えなくなる。それは、俺が一度経験した危険な状態。この地下の記憶の洞窟で起こる先代より伝授された死後の世界での危険現象の一つである。


「まさか再びなるとはな……」


 先程までのガラス玉が敷き詰められた地下洞窟ではなく、目の前の光景は何故か亀裂の入ったガラス玉が広がりそれ以外が真っ白な世界であった。


「――記憶の洞窟の暴走。何でかわからねぇが記憶のガラス玉が割れてるのが原因だ。モース硬度でいえばダイヤモンドより硬いはずなのによぉ……」


 見た目がすぐ割れそうなガラス玉だが意外に頑丈である。これは俺の拳を受けても壊れなかったことからもその硬さが伺い知れる。


 「よりによって、黒玉と白玉どっちも壊れてるのは面倒だ。早く対策しないといけねぇな。あぁ、クソ! 立花も起こさないと駄目なのに面倒事ばっかり起きやがって! これも全部あの神が悪い!」


 最後のは完全に八つ当たり。いや、実際にあの神が関係してこのガラス玉に亀裂が入った可能性もあるのだ。この怒りは正当なものだろう。


「……全部は割れてるわけじゃないよな。あー、記憶の濃霧で何も見えねぇ確認しづらいわ。これは足元が危ない。労災案件だぜ、これは」


 ガラス玉には黒と白の2種類がある。黒は悪の記憶で、白は善の記憶。人間が生きている間に起きる全てを善悪で分けたときにガラス玉は最も比率の高い方に染まる。


 そして、浄化の泉はその善悪の記憶を洗浄・浄化して、透明なガラス玉に移す役割がある。

こうして、次に生まれ変わる時は罪の意識がない状態で生きることになる。前世の記憶があると何かと不便だから死後の世界では善意で消しているのである。尚、罪の意識は無くとも魂に刻まれた罪の重さ自体は消せないため、三途の川で清算されることに成るというのは別のお話。


「――あまり、この記憶の濃霧を吸いすぎると人格に悪影響が起きるからな……俺のTシャツは嫌だろうが、人まずはマスク代わりに付けといてくれ、立花」


 Tシャツを脱ぎ、未だ、目覚めぬ立花の口元にできるだけ呼吸が阻害されないように巻きつける。

いくら脳天気な女の子とはいえ、男のTシャツを口元に巻き付けられるのは嫌だろうという配慮で少し、汗の匂いとかも確認する。


「……すんすん。臭くねぇ……よな? ケルちゃんならわかるか? あ、いやそんな事はどうでもいいな。対処しよう対処」


 閻魔に就任してからこんな思春期のような事を気にするとは思ってもいなかった。


「にしても、この記憶の濃霧はまだマシだな。白玉――善の記憶が多いから人格に悪影響はない。善に傾きすぎた性格も考えものだがな」


 眼の前の状況は変わってゆく。様々な記憶が漏れ出す。

――溺れたの子供を助けた記憶。恋人を裏切った記憶。政権を立て直した記憶。命を投げ出した記憶。世界を救った記憶。そこに統一性は無く人種も年齢もバラバラである。


 それらすべての人々の記憶に包まれ、全てが重なりまばゆい光となり、黒い極光の世界を作り出す。それはどこまでも続くブラックホールのように果てしなく広がる亜空間に変容する。

この光っている世界は記憶が光の束となったもの。これらをすべてを元の記憶のガラス玉に戻して、なんとかしないといけない。なんとかしないといけないのだが。


「……うわ、思い出してきた新人の頃以来の光景だ。よく怒られたなぁ」


 先代閻魔との思い出が巡る。腹を殴られたり、顔を殴られたり、後ろから蹴飛ばされたり。忘れ物センターの施設の説明の時も覚えられなくて罵倒されたなぁ。こういう散々な記憶は神の立体映像を殴ったときの泉に浸かったときにようやく記憶を思い出せた。

さすが、浄化の泉。長年の記憶障害も浄化してくれる素晴らしい効能だ。


 ……まぁこのように思い出したくもない記憶が大半なのだが。なにせ、何千年とこの世界で暮らしているため、それだけ記憶も曖昧になる。そりゃ、記憶障害も起きる。完全記憶能力なんてものも持っていないし、元々は異常な権能を持って生まれただけの普通の人間だ。忘れるに決まっている。


「いや、思い出に浸ってる場合か。ガラス玉に記憶をもどさないと」


 ガラス玉に一つずつ記憶を収めていく。のでもいいのだが時間がかかりすぎる。こういう場合は権能を使う。

【八薙神】の権能。ではなく、【閻魔】としての権能だ。罪を裁き、罪を購う人々に罪悪感を感じさせるための鎖。

それを何千本を右の手のひらから生み出す。ジャラジャラと鎖は重なり合って音を鳴らす。

普通の鎖とは違い、俺の意識で自在に操ることができる。気持ちは完全に某少年誌の金髪の赤い目の少年だ。


「この鎖、意外と重量あるんだよなぁっと……!」


 眼の前の黒い極光の空間に密接に散らばっている記憶の光の束。その全てに鎖を紐づける。

もはや由緒ある古い神木に使われるしめ縄のように太い鎖のように見える。


「ふむふむ……、全部の記憶との接続が完了。んで、後は殴るだけっと!」


【閻魔】の権能。罪を裁き、罪を購う鎖。それらはあくまで罪人に扱われる代物。今回はそういう目的ではなく、記憶に紐づけるための鎖である。

例えるなら、夏祭りにある紐くじ。

あれは、いくつもの紐に景品がかかっており、一つを選べばいずれかの景品が貰えるというもの。

あれを想像してもらえればいい。あの紐を鎖に置き換え、全部の鎖を同時に引っ張ると不正をしていない限りすべての景品、すなわち記憶の束が手元に来るというわけだ。

そして、記憶の束がすべて手元に来ればやることは一つ。

先代はこう言った。『んなもん、殴られたら記憶なんざぁ怯えて元のガラス玉に戻るわ、ボケ』と。


 「ふぅ……」


 精神を統一し、拳に閻魔の権能を集中させる。拳はわずかに赤みを帯びて発熱と発光をする。

鎖で繋ぐのは漏れがないように、それとガラス玉に戻らない記憶を逃さないための漏れ対策の鎖だ。

殴る基本は先代より直伝。『殴るのにでっけぇ力なんざぁいらん。素早く殴り続ければいつかはくたばる。くたばるまで殴ってろ、クソ弟子』と。


 「オラオラオラオラオラオラッ!」


 叫び声は気合を入れるため、その後はひたすらに鎖を引っ張り持ちながら前に前に拳を叩き込む。風を切る音とジャラジャラと床に擦れる鎖の金属音だけがこの白亜の世界に響く。


「オラァ!」


 記憶を殴るたびに殴られた記憶は権能により次々にガラス玉に戻っていく。この閻魔の権能は自分でもわかっていなかったりする。それぞれのガラス玉のヒビは記憶が入ると自然と修復されていく。時間が戻るかのようにゆっくりと。


 これは記憶のガラス玉の自浄作用だの罪悪感によるものだとか言っていたが頭が痛くなったのでそこまで聞いていなかったことを少し後悔。――している間に黒い極光の世界は元の忘れ物センター地下である記憶の洞窟の姿を取り戻していた。


「ふぅ――、こんなものか」


 息を整え、汗を拭う。上半身には大きな汗玉が多く滲んでいる。もとに戻ればマスク代わりのTシャツも立花には必要ない。さっと、Tシャツを取り上げ、着る。しまった。汗を福タオルもないからベタベタである。


「うへぇベタベタだ。まぁなんとかなったしまぁいい……か?」


辺りは先程までの光景。のはずだ。浄化の泉があり、治りつつあるガラス玉があり、未だ目覚めぬ立花が寝転がっている。

――そして目の前に先代閻魔の爺さんが突っ立っている。


「は?」


「は? じゃないわ、ボケ。師匠に会ったら挨拶の一つもせんかボケナス」


 そこにいたのはエンマより以前の閻魔を担当していた先代閻魔。俺の師匠。

いや、そもそもだ。ここにいるのワケがないのだ。先代閻魔は死後の世界で【閻魔】としての役割を俺に移行してこの世から魂ごと消滅したはずの存在。そう師匠は言っていたし、そう認識している。


 見た目も師匠と一緒。灰色の髪をオールバックにしていて若々しさを感じさせ、決して歳を感じさせない。老いた爺さんなんて印象は無く、むしろ眼光が鋭い。その目は狼の目のように琥珀色にギラギラと輝いている。


 ――本物。本人であると断定したい。本来であれば、感動の再開である。死に別れたと言っても過言ではない分かれ方をしたのだから抱擁ぐらいは許されるはず。だが、あの享受の神が何か残している可能性もある。ここは【八薙神】の権能である、【八咫鏡】で真偽を把握するしかない。まずは、挨拶をしつつ探りを入れる。


「久しぶりです、師匠。お元気でしたか――」


「ふんっ!」


「痛ぇ!」


 言葉を言い切る前に蹴られた。目にも留まらぬ速度で近づき、その衰え知らずの健脚で俺の尻は二つつ目の切れ目ができるぐらいの痛みが走り抜ける。


「何すんだジジィ!」


「ふん! 辛気臭く考えおって。お前はもっと短絡的な人間じゃろう。直感で判断せぇ。わしが偽物に見えるか?」


「見えま――」


「即答か? はんっ! 感覚が鈍ったなっ!」


「痛いっての!」


 俺の尻は更に二つ以上に割れそうだった。この爺さんおそらくムエタイ選手よりもキック力があるのではないだろうか。だが、この感覚。懐かしい。が、あまり思い出したくない。お陰で【八咫鏡】を発動する暇もない。


 「権能で確信は持つなよ。それとも忘れたのか? エンマよ。神がワシらを欺けることを。ワシを神が装ってる可能性も考えろよ、ボケナス」


 「あ、はい」


 それもそうだ。その可能性もあるではないか。……いやいや何言いなりになってんだ。師匠はたしかに破天荒で見た目も怖かったが俺も今や閻魔の端くれ。もうあのときと同じ轍は踏まない。それを証明できればこの爺さんも本物かわかるではないだろうか。


 「……師匠。久々に手合わせできませんか」


 「――ほう? ワシに勝てる気でおるのかクソ弟子よ」


 「いえ、これで師匠が本物かわかるので。――いや、わかるからさ、俺はもうあのときの自分ではないってことを証明してやるよ、クソジジイ!」


 「ふん! 生意気に成長したなボケナス。いいじゃろう。来い、ボケエンマ」


 とはいっても、ここは地下。俺たちの手合わせは大変周りが大変なことになる。なので、一言添えておく。


「あ、でもここで戦うのは不味くない?」


「……人の興を削ぐのも相変わらず変わらんなお前は」


 この地下洞窟で戦うとせっかくもとに戻った記憶のガラス玉が割れて仕事がやり直しになる。それは避けたい。


 なので仕方無しで場所を変えることにする。

――にしても、記憶のガラス玉何で割れたのか。これがわからない。以前は、生成されったばっかの脆い記憶のガラス玉を次々に割った事であの記憶の亜空間ができる現象が起きた。あの時はこっぴどく怒られた。

記憶のガラス玉を割った影響で現世で生きる人々も記憶障害が起こって迷惑しただろう。あの時は申し訳なかった。反省と多少の後悔はしている。


「にしても、ガラス玉がもとに戻った時に師匠は忽然と現れた。偽物でも本物にしても一枚噛んでいる事はまず間違いない……か」


 次から次へと考えることが多い。妹の謝罪。立花の起こし方。先代閻魔の真偽。

最後のはこっそり【八咫鏡】を使えばわかるか。そう考え、目に力を込める。


「……おーい! さっさと行くぞ、ボケナス」


「あ、はい。……じゃなかった。今行くよ、ジジィ!」


 ……止めておこう。折角、久々に会えたんだ。これが偽物だったらぶん殴るし、本物だったとしてもぶん殴る。これが俺たち師弟の関係。殴り合いがコミュニケーション。殴ってからが挨拶の始まりだ。色々考えてもしょうがない。


 考え事をしている間には先代閻魔は、せかせかと歩き地上へと続く階段をもう半分まで登っていた。


 俺は爺さんに負けないよう早足でその後ろを追いかけた。恐らく今から起こる殴り合いコミュニケーションには危険が伴うと思うので立花にはここで寝ててもらうことにする。あくまで安全のためである。決して邪魔とかでは無い。


「――うっし! 行くか!」


 この時俺は過ちを犯していた。――あんなに謝りまくる羽目になるとは夢にも思っていなかった。

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