第10話 どっちが禁忌なのかわからない

 ――私は立花ではなく、オリジナルと同じ遺伝子を持つクローン人間。あの解答は私の中にある疑問を抱かせた。

前提として人は皆等しくして生まれる。そこに階級的差別や貧富の格差を除くが、人は母から生まれるものだ。

父と母が愛し合い、子が成され成長し、またその子が親となり人としての遺伝子は受け継がれてゆく。

そうやって何千年、何万年と種族や形が変わろうと動物は、人間は繁殖を繰り返してきた。


 「――」


 そして、どうしても犯してはならない禁忌というものがある。それは種の存続を脅かす行為だ。

人が人を殺す、または殺される装置を作ればそれは禁忌である。人の法で裁かれる。許されざる罪である。


 「――――」


 では、殺すのではなく、生命を作り上げる。――人間を作り上げる行為は禁忌なのだろうか。

神にしか成し得ないとされた御業。奇跡。それが生命の誕生、創生である。

人々はもうこの世に神がいないと錯覚しているように、この世にそういう存在を生み出した者を神と定義するのか。


 否。現実には理解はされず、少数の称賛と非難と叱責を受け人の世から逸脱する。少なくとも今の時代では。

 それがこの世の理である。

作った存在は罰せられる。それは禁忌であると。であるなら。


 禁忌によって生まれた存在は許される存在ではないのではないかと――。


 「どうすればいいの? 私は?」


 「――……」


 その疑問には答えは出ず、その質問に解答者は存在しない。エンマも黙りこくっている。

頭の中でぐるぐると回る考えは果たして創造したものの設計通りの考えで私は動いているのか。それとも、オリジナルの思考回路で動いているのか。私は私なのか。私ってなんだ。立花ってなんだ。過

去を知れたって記憶が無いんじゃ何もわからない。

 

 それがわからないままこの世界にいる。死んだり理由もわからないまま。なぜコピーとして作られたのか。なぜ死んでここにいるのか。考えれば考えるほど、坩堝に嵌まる。思考は加速と減速と停滞を繰り返し、最初に疑問に戻る。


 「ここにいるのって本当の私じゃない……?」


 私の言葉に対して相変わらず、静寂がこの場を支配する。それは答えを言っているようなもの。私がクローンであるという真実を。

 だが、その真実を認めたくはなかった。信じたくはなかった。感情が胃のそこから湧き出してくる。強烈な吐き気。だが、それも人間としての機能を与えられただけの存在が人のように振る舞うためにこの吐き気があるのではないか。そう考えると背筋がゾッとする。この身体もこの魂も紛い物ではないのかと考えてしまう。気持ちが後ろ向きにか考えられない。


 「辛いか。苦しいか」


 エンマの問いに返す言葉も気力もない。もうなにがなんだかわからない。

目をつぶれば記憶が蘇ることなんてものもない。万一に記憶が戻ったとしてもその記憶は私ではない。オリジナルの記憶でコピーの私は今存在している私だ。半端な知識だけを持つ脳天気な女それが私だ。私のはずなんだ。


 「……辛いし、苦しい。でも」


 なんとか言葉を絞り出し。辛い感情を押し込める。

私は前向きに考えを進めることの出来ない人間なのだろうか。ただのコピーなのだろうか。


 「違う。私はコピーかも知れない。クローンでオリジナルとは違うのかも知れない。けど、私は私は!」


 ――ここで何かを言っても、真実は変えられない。過去はエンマ言った通りの事柄であってもそれは私じゃない。私のオリジナルの話だ。だから、ここで決意を、心の踏ん切りを付けてクローンの私は死んでから次へと歩みだす。


 「――私は私だ! 色々考えたけど。私はわたしでわたしなんだ。エンマ様。立花じゃないわたしなんだよ。だから付けてよ、わたしのだけの名前を。オリジナルのコピーの立花という位置づけじゃないわたしを認めてよ。これだけお願い。……いや、お願いします」


 背筋を伸ばし、頭を下げる。決して、目に溜まった涙を見せないように。くしゃくしゃになった顔を見られたくないから声も我慢する。泣くな。わたしは能天気で笑顔が取り柄なんだろ。笑え。笑え! もっと笑顔で。もっともっと笑顔で! エンマには馬鹿だと言われれたけどそれを短所ではなく、長所として私は活用してやる。新しい私を、人生を、死んでから堪能したやる。


 「――わかった。でも本当にいいのかい? 僕なんかが名前を付けても」


 「うん。だから、おねが――」


 言葉は詰まる。それは様々な感情が喉元からせり上がってきて言葉にできないとかそういうのではない。おかしい。気がつけなかった。この違和感に早く気づくべきだった。

 まずは言動。何かがおかしいとは思っていた。私のオリジナルの名前を読んだ時。いや、私が目覚めたときにはもう違ったのだろう。


「エンマ様。いいや、あんた。一体誰なんだ!」


「誰? そりゃあこの顔を見ればわかるだろう? エンマ、いいやあいつで言う所のクソ神さぁ」


 ――眼の前の人間はエンマではない。言葉も仕草も別人。纏う雰囲気も異質だ。この男は一体誰なのか。それはきっとエンマの記憶に出てきたあの男。私の記憶が途切れる前に現れた存在。

享受の神。自身を殺させる為にエンマの妹を殺し、殺意を抱かせようとした残虐な神。


「しかしまぁ、案外、誰かに成りすますってのは難しいもんだねぇっと……」


 ゆっくりと顔を上げ、こちらを覗き込むエンマもどき、もとい神の顔はモザイクの掛かったような異様な姿であった。先ほどまであった、エンマの長い白髪や服は消え去り、全体的に真っ白な存在に変わる。

 そして、顔を上げたその瞬間。ガラスが割れたようにパキッと音がした。眼の前の空間が歪み崩れある。

 あの地下洞窟の地面に広がる記憶のガラス玉や透き通った循環の泉がある世界が失われ、天井も地面もが塗り替えられ、そのはるか彼方の地平線も白く染まる白亜の空間が現れる。ここでようやく私はこの世界自体が夢と幻の世界である事に気づいた。


 口かどうかもわからない場所から声だけを発する。まるで、口の動かないマネキンが喋っているような異様な光景。


 「君にお別れを言わなくちゃいけないなと思い、この姿で接してみたんだ。なかなかうまく化けてるだろ? 服を再現し忘れて素っ裸だったのは失敗だったなぁ。いやぁ、でもまさか君の名前や素性をエンマ様が明かしてなかったとはねぇ。あれもあの子の優しさかなぁ」


「……あなたには、あんたには人の心がないのですか?」


「――ん。まぁ人様の心なんて、神様だから無いねぇ」


 十二分に間を開け、言葉に様々な感情を乗せずにできるだけ平穏に質問したのに返って来たのはのんびりとした答え。それは私の怒りの琴線に触れた。


 せっかく、覚悟を決めたのに。

涙を堪えて、悲しい感情も飲み込んで私はわたしでいようとそう決めたのに。新たな自分になろうとそう決めていたのに。

その全てを踏みにじっていく、エンマの言っていた通りだ。


 ――この神はクソ神。エンマが許さないのもあの朧気に見た記憶の断片の映像だけでなく実感として理解した。こいつは人の感情を逆撫でる悪神だ。


「まぁまぁ。怒らなくてもいいじゃあないか。僕はね、君にあのエンマに伝えてほしことが有っただけさぁ」


「……伝えたいこと?」


「僕を殺してほしいってことをさ。まぁ、エンマ様も十分わかってるだろうけどさ。ハハッ」


 そのためだけに私に記憶の断片を見せてこの白亜の世界に連れてきたのか。やはり、クソ神。自分の自殺の欲のためにしか動けない悪辣さは本当に腹が立つ。


 「さて、まぁ君を騙していたことは謝るよ。ごめんね。あとさっきまで言ったこと。君の過去についてはすべて本当のことさ嘘だと思うかい?」


「あなたを信じる根拠がない。あんたはエンマの妹を殺してエンマ様を陥れた。信用に値しない」


「ははは。辛辣だなぁ。でも安心してね。ちゃんと情報は安心できる所から入手したからさ」


「……?」


「――立花本人の記憶さ。ね? 安心できるし、情報も確かでしょ?」


「――」


 もはや言葉は出なかった。いや、少し考えればわかるか。この神が私のオリジナルのことを知っていというのも記憶を参照していたなら納得はできる。できるが、人の記憶を覗くなんて行為を容認できるほど私は出来た人間ではない。

そして、言わなければいけないこともある。


「もうその声で喋らないで。――虫酸が走る」


「おっと失礼。では、この声で」


瞬間、エンマそっくりの低い声ではなくなり、癇に障るような高い猫なで声に変わる。これもこれで虫唾が走りそうだったが我慢した。


「さて、この中途半端な姿からして、本来の姿でいこうか」


メキメキと枝葉がへし折れるような音が鳴り響く。眼の前の神は変幻自在に身体を変質させてゆく。先程まで、中途半端にエンマの姿を模していた存在は意外とガタイのいいエンマと違い細身の男の姿へと変化してゆく。そして、その体には太ましい黒大蛇が巻き付いており、神の顔は龍の顔を模したお面が付いていた


「さっきから気になったんですけど顔が無い?」


少し、疑問に思った。だが、仲良くするつもりはサラサラ無いので素っ気なく聞く。


「そうだね。僕は明確な姿も名前も持たないから友だちにもらった姿とお面を付けてるんだよ。案外、便利な機能があるからこのお面は重宝してるんだよ」


「……え? 友達いるの?」


「失礼だなぁ。いるんだよ、こんな性悪の神でもね」


 意外であった。友達がいて更には自分を性悪と自覚しているなんて。いや、自覚しているからもっとたちが悪いのか。

――あと、あの黒い大蛇には触れないでおこう。何でまとわり付いているのだとか知りたいがシンプルに怖い。さらにはこっちに鎌首をもたげているし。噛まれたら死んでしまいそうだ。死んでるけども。


 「ん~、もうそろそろ時間だね。記憶の残滓を通じて干渉していたけどもう無理そうだ。クローンちゃん。君と話していて楽しかったけどもう時間みたいだ。じゃあ君もエンマ様に協力しなよぉ。僕を殺すためにさ」


 「私は楽しくなかったし、もう喋りたくない。――さっさっとくたばれ! このクソ神!」


 「毛頭そのつもりさぁ。あっははは」


思わず出たクソ神って言葉は私が気を失い倒れるまでの間にエンマが叫んでいた言葉である。エンマの言う通りアイツはクソ神だった。

神はゆっくりと大蛇に包まれ消えていった。その顔は最後までわからなかったがきっと憎たらしい顔をしているのだろう。


 ――どこまでが本心でどこまでが本当なのかがわからない。神も自分の事も。本来は立花のオリジナルの記憶の居場所や諸々の事を聞きたかったがそれはどうしても心情的に出来なかったし、あの神が自ら別れを言い出してきたので結果的に言えば出来なかった。そして今私に一番大事なこと。それは。


「さぁて。ここにはエンマ様がいない。目覚めたけど目覚めていない白亜の世界。私だけここにいると。じゃあエンマ様は一体何処に? てか、ここはどこ?」


 エンマの所在と私の今いるところが一体全体どこなのかわからないことであった。

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