デモン☆ぶらいだる!

ことと

デモン☆ぶらいだる!

 魔界から出でし魔王軍の侵略により世界人口が2/5まで減少、全国土の7割が支配された暁と黄昏の大地セレネス。


 この地獄のような世界を救うため立ち上がったのは、若干15歳の男子であった。


 青年の仲間はわずか5名と言う少数であるにもかかわらず、次々と魔王軍の幹部を打ち破り各都市を解放。ついには魔王との一騎討ちの末勝利。魔王軍の野望を打ち砕いた。


 3年にも及ぶ大冒険を終えこの世界を救った彼らは、英雄の称号と共に人々から語り継がれる存在となり、勇者である青年は妻を娶り元の日常に戻っていった。


 しかし勇者であるこの青年、娶った妻は他の一般市民とは一味違う。






 何故なら勇者の妻は、かつて世界を襲った魔王そのものなのだから。





 ~~~~~~~


 セレネスの大陸の中でも最北部に位置する山岳地帯。数多くの山脈が立ち並び、その勾配も非常に急である。山歩きに長ける旅人でも、この周辺には近寄るものはまれだ。

 急なだけならまだまだ。山肌には生い茂っている木々などは全く無く、岩肌や土がそのまま露出している。標高自体も高く、夏にもかからわずどこか肌寒さも感じてしまう。おまけに空を見上げると厚い雲が覆われ、周りは灰色の模様を呈している。


 そんな生命の営みなど全く感じられないこの土地に城はあった。数多くの石畳を積み上げてできている立派な城だ。おそらく、昔どこかのモノ好きが俗世間から離れる為の別荘として建てたが、周りの環境の過酷さに耐えかねてそのまま放置されてしまったのだろう。


 しかし誰もがそう思うであろうこの城には人がいるのだ。

 事実広間には大きなテーブルが置かれており、そこには椅子が理路整然と並んでいる。テーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれている、食卓と言うのにふさわしい場所だ。


 その椅子に座っているのは青年だ。背丈は同年代の男性より大分高く、細身ながらも筋肉はしっかりついている。その姿は冒険家、多くの修羅場をくぐってきた偉丈夫と言うにふさわしかった。

 茶髪の髪を肩甲骨まで伸ばしているその姿は、一見女性のような印象も受けるが、斜め上に吊り上がっている鋭い目つきからは、男性特有の力強さを感じさせる。


 彼の名はレオン・バルトゥース。セレネスの平和の為に立ち上がり、世界に平和をもたらした勇者その人である。

 彼は魔王軍との和平交渉を成し遂げた後妻を娶り、この城に居住を構える事になった。それからもう半年になっている。


 今の彼は一城の主となり、麗しの令嬢と共に優雅な生活を送って平穏に暮らすようになった。そう捉える人が大多数であろう。


「う~ん♡レオン~大好きじゃ~」


 しかしそこには、幼女が膝に乗っかり首に手をまわしてじゃれつかれているという、優雅な貴族生活とは程遠いレオンの姿があった。

 濃い赤色をしている髪は外側が少し跳ねているショートボブ。街中のティーンの女学生の間で流行っている髪型だ。そこには容姿は幼くとも少しでも大人っぽくありたいという少女心が感じられたし、枝毛の無いその髪は全身から若さが感じられる。

 服装は黒を基調に所々白の模様が入っているワンピース。これだけ聞くと、都会の町娘という印象しか持たないだろうが、背中には蝙蝠のような大きな黒い翼が生えており、彼女が人間で無い事は一目でわかってしまう。



「あぁ…うぜぇ。飯時なんだからくっ付くんじゃねぇ!」

「よいではないか。我らは夫婦なのじゃから」

「夫婦だからって時と場合を考えろ…!今はうっとおしいだけだ」

「なんじゃ~おぬしは照れているのか~ほれほれ~」


 暑苦しいので引っぺがそうとするレオンだが、彼女は離れようとしない。むしろからかいの表情で頬をツンツンとつつくなど余裕な態度である。


 彼女の名前はレティシア・ラムスウィート。そう彼女こそがレオンの妻であり、かつて世界全土を混沌に包み込んだ魔王軍の長「魔王レティ」その人だ。


 かつてのセレネスにとって災厄の象徴でしかなかった彼女が、今は勇者の生涯のパートナーとして共にしているのだ。




 なぜそうなったのか不思議に思う者もいるだろう。事実かつては間違いなく敵同士であったのだ。

 魔王軍の全ての幹部を倒し、世界を一つにまとめたレオンを筆頭とした世界連合軍と魔王軍の一大勢力の激突。

 大陸の大平原で行われた大戦争。そこが二人の出会った場所であった。


 何もせずとも迸る強大な魔力を有し、腕を振るえば運河の水ですら一瞬で蒸発させ、息を吹きかけるだけでどんな万物をも凍らせることができる絶大の魔力を誇る魔王である彼女を相手にするのは、歴戦の戦いを繰り広げ勇者としての貫録を身に付けたレオンですら命がけであった。

 しかし最終決戦と言う場での最後の意地、何より自分をここまで来させてくれた仲間の絆により、彼はレティと互角以上の戦いをすることができたのだ。


 その姿を見初めた彼女はこう言った。「わらわはお前が気に入ったぞ!お前の嫁にしてくれ!」と。

 彼に一目惚れをしたレティはあれよあれよと戦いを中止、レオンとの婚姻関係を結ぶことを欲したのだ。


「こやつと結婚できるならば、地上への侵攻などすぐに止めるぞ!」

 そう豪語する彼女はこれまで人間側が被った被害を全て魔族側で保障、復興活動に全面的に携わるという人間側に非常に利がある条件を、彼と結婚することを条件に提示し、講和を望んだのであった。


 こうしてレティと残った部下たちは強大な力を封印された上で、人間社会の元で共に生きていく事になった。

 因みに幹部を倒してきたことに対しては抵抗が無いのかとレオンが尋ねた事があったのだが

「別に構わんぞ、そもそもあいつらは過激な奴らが多すぎて元々好かんかった」との言葉が返ってきただけであった。

 どうも元々彼女が「わらわは日の当たる大地の元で暮らしたいぞ!」と願望を口にしたところ幹部連中が勝手に行動していただけであり、彼女自身は平和主義らしい。


 因みに部下についても「レティ様が惚れた相手ならば俺たちにとっても大切な人です!ついて行きますよ、兄貴!!」との事であった。どうも彼女は人望があるらしい。


 そんな訳でレオンはレティと結婚し、彼女の居城であったこの城に居住を構える事となった…と言うのが事の顛末である。

 とこんな感じで半年が過ぎたのだが、この生活に彼が慣れたと言ったらそうでもない。先に述べたように城の周りは人間にとっては劣悪な環境ではあるし、レティのお付きの部下も人間とは違う異形の生物で見慣れている訳でもない。住めば都と簡単に言える訳でも無いのだ。



「ほら、もうすぐ飯が来るからさっさと離れろ」

 レオンはレティを持ちあげて向かい側の椅子に座らせる。レティはむ~と頬を膨らませて不満げだったが、お腹がすいたのか素直に席に着いた。


「申し訳ありません兄貴…。飯の用意が遅れてしまい手間を取らせてしまって…」

 彼女の付き人である部下が答える。身長は10歳前後の子ども位しかなく、肌は緑色、頭の上に大きな尖った耳をつけており、瞼が無い大きな眼球がレオンをすまなそうに見つめている。彼はいわゆるゴブリンと呼ばれる種族だ。


「別にお前があやまることじゃねぇだろ。それより早く飯を運んできてくれ」

「へい、今日はレティ様が手作りした料理もありますからね!楽しみにしてください!」

 えっ…とレオンは一瞬不安がよぎった。しかしその様子に気が付かないゴブリンは張り切って厨房に戻っていった。


「なぁ…お前の手作りが並ぶって話だけど、大丈夫なのか?前回は人食い芋虫のレアステーキとか出されて酷い目に合ったんだぞ」

「失礼な。流石のワシも同じ失敗は二度とせん。今回は作ったのはこの地上に生えている植物を利用したサラダじゃ。見た目の不気味さも全く無いぞ」

「へぇ、ガキなのにいっちょ前に気を使えるんだな」

「ガキでは無い!これでもわらわは930年も生きておる!」


 彼女の特徴的な口調は、外見よりも実年齢がかけ離れている事からきている。魔族と言うのは100年で人間の1年分しか年を取らない種族であり、寿命も遥かに長寿なのだ。

 しかしレオンから見たら唯の子どもにしか見えないので、どうにもこのような対応になってしまう。因みに前回の料理を食した時は1日中厠から出られないという大惨事に見舞われた。




「お待たせしました」

 そんなことを考えている内に、ゴブリンがサラダを運んできた。どうもこれがレティの作った料理らしい。

「ふぅん、確かに見た目は綺麗だな。緑の葉っぱを中心に、透明な刻み野菜のアクセントがきいてやがる」

 確かにこれは美味しそうだ。とレオンは思った。


「そうじゃろう、わらわが言うのも何じゃが痺れんばかりの美味しさじゃ!たっぷりと食すがよい!」

 ウェルカムと言った感じにレティは両腕を広げながら言った。


 そこまで言い切るなら食べてやろうじゃないか、レオンは魔物を前にするのと同じ位に気合いをいれた。

「いただきます」レオンは目の前のサラダを口に入れ咀嚼する。

 天然の葉特有のほろ苦さが口の中に広がるが、添えられている刻み野菜の甘さも合わさる事でどことなく上品な味わいになっている。

 なるほど、確かにこれは痺れるような旨さがある。その証拠に痺れが手と足にも広がってきた…手足?


 そう感じたとたん彼は椅子から転げ落ちる。痺れは手足だけでなく胸も中心に広がってきた。もはや立ってはいられなかった。


「なんじゃ、痺れんばかりうまさとは言ったが倒れなくても良かろう?まぁそこまで痺れてくれたのなら作った身としては嬉しい限りじゃが」

「なんじゃじゃねぇ…!お前俺に何を喰わせやがった…!」

 何とか舌は回ったレオンは必死になってそう答える。


「地上界の植物『ポイソリア草』のサラダじゃ!見た目もキレイじゃったし、人間は薬草にも使うと聞いていたから体に良いと思うぞ!」


(毒草じゃねぇか!)

 ポイソリア草は、一度食べると痺れが3日は取れないと言われている毒草だ。確かに薬草にも使われる事があるが、薬膳の知識を身に付けた医師が毒素を抜いた上で初めて使われる。間違っても人間が普通に口にしてよい物ではない。


「ふむ、どうやらお主には刺激が強すぎたようじゃの。ちょっと気付けの飲み物を取ってくるから待っておれ。何、ウェアウルフの生き血を飲めばたちどころに元気になるじゃろう」

「そんなものより、俺に解毒魔法をかけろぉぉぉぉ!」


 レティが珍妙な飲み物を取ってこようとする最中、城中にレオンの悲痛な叫び声がこだました。





 ~~~~~~~


「ひどい目に合った…」

 あの後コックに解毒魔法をかけてもらい九死に一生を得たレオンは、肩で息をしながら城の廊下を歩いていた。

「今度アイツの料理を食べる時は、作っている時の様子を観察する必要があるな…」


 レオンはそう決意しつつ、風呂場に向かって歩き始めていた。

 彼は風呂が好きだ。一日の疲れを熱い湯につからせて癒すこの瞬間こそが何よりかけがえのない瞬間だと常に思っていた。風呂と言う環境が何も身に付けていない裸一貫である事こそも、自身が全てをさらけ出す事が出来る唯一の空間だと、そう思っている事も理由なのかもしれない。


 とりあえず今回の惨状は風呂に入って忘れよう。そしてさっさと寝ちまおう。そんな風に考えて脱衣所に入ったのだが、

「何でお前がここにいるんだ…」

 そこには風呂場の入り口で腰に手を当てて仁王立ちしているレティがいた。何かに気合いを入れている為なのか鼻息も荒い。まさにふんすふんすという擬音が似合いそうな姿であった。


「なぁに!日頃お疲れのお主の疲れを少しでも癒すために、湯を用意しておいただけじゃ。妻の心意気に感謝するがよい!」

 もうこの時点で嫌な予感しかしない、先ほど料理でひどい目に合ったというのに。レオンはそう思った。


「…一応聞くがマグマの風呂にしたとかそんなことはないだろうな」

「勿論じゃ。わらわ魔族には問題が無いが、人間がそんなものに浸かってしまえば死んでしまうからの。ちゃんとぬるま湯にしておいたぞ」


 まぁぬるま湯なら大丈夫だろ。俺は42℃の熱い湯が好みなんだが、こいつの基準で考えるとぬるま湯で丁度いいのかもしれない。何より服を脱ぎかけている。一度脱いだ服をもう一度着直すのも面倒だ。そう考えたレオンは風呂に入る事にした。


「流石に目の前で服を脱ぐのは嫌だから、しばらく出てってくれねぇか…」

「ふむそうじゃの。しばらくしたらまた来るぞ」

 そう言って、レティは脱衣所から出て行った。どうも彼女は羞恥心に薄い所があった。それが子供だからなのか、実年齢がはるかに上からなのか、レオンには判断が付かなかった。


「それじゃ入らせてもらおうとするか」

 服を脱ぎ終えたレオンはそう言って扉を開け、風呂場に入った。そこは複数の洗い場があり、中央には石畳が敷かれた浴場があった。少し大きめの宿の温泉と言った趣だ。その浴場には、確かに湯が張ってあった。


 しかしその湯は何故か赤く、湯気もやたら熱い。場所によっては気泡がボコボコ出ているほどだ。つまりこれは…



「いや、これ熱湯だろーが!!」

 レオンは力強いツッコミを入れる。


「入りやすいように、湯を70℃のぬるま湯にしておいたぞ。さぁレッツダイブじゃ♡」

「お前が人間社会の常識に海にダイブしろー!」

 レオンはそう叫んだ。


「おいおい。お主に合わせて血の湯では無く、わざわざ赤色の入浴剤を人間界から仕入れてきたんじゃぞ?何が不満なのじゃ」

「問題はそこじゃねぇ!」


 レオンはそう言って湯舟を見る。心なしか温度がさらに上がっている様に感じられた。


「いくら魔法で回復できると言ってもこんな湯に浸かれるか!てか回復される前に死ぬわ!確か別棟にもう一つ風呂場があったろ!そっちで入れ直せ!!」

「一応そっちにもドラゴンの尿を温めた物を湯につかっておる、成分の揮発を防ぐ関係上41℃と水風呂の様になってしまったのが口惜しいが」

(究極の二者択一!)


 レオンは何もしていないのに、熱湯の湯か異形の生物の小便にまみれるかの二択を迫られることになってしまった。


(どうすんだよこれ…どっちに転んでも地獄だぞ!こうなったら今日は風呂を辞めるしかねぇ)

 そう決意したレオンは服を着直そうと脱衣所に向かおうとした。


「まぁ、お主も冷水より湯に入る方が気持ちよかろう。早く入るがよい」

 しかしレティはレオンの心中を察しずに、レオンを湯に押し倒した。ジャパーンと豪快な音をたてて、レオンが浴槽に埋没する。


「あっつ!!いや熱いじゃなくて痛っ!湯じゃなくてこれ火だろ!こんなの一分も使ってたら死ぬぞ!」

 身の危険を感じたレオンは急いで湯船から出ようとする。しかしレティが力強く押しすぎたのか、広い浴槽の中央にまですっ飛んでしまった。おかげで中々湯船の縁にまでたどり着けない。


「おぉ、そんなに大きな声を出すほど気に入ったのか。それならわらわも入るとするか、夫婦の裸の語らいをするとしよう」

 レオンの声を喜びだと勘違いしたレティは自分も入って共に戯れようと、ノリノリで服を脱ぎ始めた。


「そんなのんきな場合じゃねぇ!早く俺を引き上げろ!!てか脱ぐなー!この絵面は非常にまずいだろうがぁぁぁ!!」


 そんなレオンの雄たけびが、大浴場に反響したある日の夜であった。





 ~~~~~~~


 その翌日、レオンは応接間の一角でとある人物と話し合っていた。


「それでレオン様…レティシア奥様との生活は如何でしょうか?」

「あぁ。それなりに折り合いをつけてやっているさ。特にトラブルもなく別れるなんて事も考えていない」

 向かい側に座る相手に向かってレオンは答えた。まぁ昨夜は何事もなかった訳ではないのだが、回復魔法が間に合ったといは言え、素っ裸で死にかけた事を告白するというのは彼のプライドにかけて死んでも許さなかったので黙っていた。


 そうですか…目の前の相手は安堵するかのようにため息をついた。空いては鉄製の板をプレート状に組み合わせた鎧をつけている。これはレオンの祖国である王宮兵士の正装であった。まだ幼さが残るその顔は新兵特有の初々しさを感じさせた。


 レオンは政こそ関わってはいないが、世間からは世界を救った英雄と見られている。

 だからこそ祖国では国の象徴的存在として、時折国が様子を見に行くようにしているのだ。また魔族と婚姻関係を結んでいる以上、レオン自身が人間と魔族を結ぶ存在にもなっている。

 因みに祖国の王宮とこの城は厳重な転移魔方陣が張られているので、彼らはそれを使用して行き来する事が出来る。レオンも時たま狩りに出かける事があるのだが、そのような時にもとても便利だ。この周辺は生き物の姿が見られないのだから。



「それで、世界各地の復興状況はどうなってるんだ?」

「はい…。王都や周辺の城下町は交通網や居住区の整備が整いつつあるのですが、そこから離れた郊外の地域は殆ど手つかずでして…」

「だろうな。ここ半年は政治機能の回復で手いっぱいだったからな」


 まだまだ戦火の傷跡から回復していないという現状に、お互い苦い顔をするしかなかった。


「特にエストラル大陸東部のホレスの村が酷い状況でして。大運河を結ぶ橋が落ちてしまった事で、周辺地域から隔離されている状態です」

「とにかく、王都周辺の整備人員をそっちに回したほうがいいな。魔族たちも復興作業に全面的に協力するようこっちからも伝えて置く」

「よろしくお願いします、勇者様」

「あの村からとれる果物は美味しいからな。第一これ以上復興が遅れればそれこそ廃村は免れないしそれだけは避けたい」


 人里の復興作業に魔族全員で協力させる。それは魔王であるレティと結婚したレオンにしかできない事だ。


「俺も明日は現地に慰問活動に行ってくる。俺もこの大陸出身だし。少しでも顔を出した方が良いだろ」

「お手数をお掛けして申し訳ない…」

「気にするな。俺が顔を見せるだけで村人全員が元気になれるなら安いもんだ」


 ある程度今日の話が纏まってきたまさにその時、レティが扉を開けて勢いよく入ってきた。


「レオン!美味しい茶葉が手に入ったぞ!一緒に飲もう…って客人がおったのか。すまぬな」

 流石に多少の気恥ずかしさを感じたのか、レティは声のトーンを落として一声謝罪をした。


「あ…レティシア奥様。お邪魔しています…」

 兵士は委縮したかの様に一礼する。

「誰かと思えば、レオンの祖国の王宮兵ではないか。あの時の戦争では済まない事をしたの」

「ははは…別にそんな…」


 必死で隠そうとしているが、兵士はレティへの恐怖は隠しきれていなかった。

 それも無理は無い事だ。見た目は幼女とは言え、目の前の相手は長年にわたり地上の人間全てを恐怖のどん底に陥れた魔族の一員、その長である魔王なのだ。和解して地上で暮らす事になったといっても簡単に今までの意識が抜ける事は難しいだろう。


「そうじゃ、良ければお主も飲んでいくがよい。人間界じゃ中々に手に入りにくい高価な茶葉らしいぞ」

 その場の空気を和ませようと、レティは兵士を食堂に連れてこうと腕を引っ張った。



 だが兵士は「ひぃ!」と怯えた声を上げて彼女の手を振り払い、身をすくめて怯え始めた。



 その時一瞬だけ真顔になったレティの姿をレオンは見逃さなかったのだが、当のレティは直ぐにおどけたように話し始めた。

「つれないの~もうわらわは人間には決して危害を加える事は無い。むしろレオンの祖国の人間なら私の身内も同然じゃ。是非とも仲良くしようと思っているのだぞ」


 その口調はまさしく明るかった。

「まぁ今回はお邪魔であったようじゃ。とりあえず引っ込むことにするから安心せい」

 そう言ってレティは自分の部屋に戻ろうと、身をひるがえした。


「あぁ待てレティ。明日からホレスの村の復興作業を手伝うようにお前からも魔族全員に招集をかけてくれ。俺もいっしょに行くから」

 レオンの言葉に、承知したと言いながらレティは部屋を出て行った。



 扉を閉めた後、一時の静寂が訪れる。どうにも雰囲気が気まずい。

「今回の話し合いはこんなところで終わりだろ。これで国王様に伝えておいてくれ」

 気まずい雰囲気を打破するように、レオンは言葉を発した。


 その言葉に兵士はホッとした様だった。

「分かりました、本日の所はこれで失礼します」

 そう言って兵士はお暇しようと、席を立った。


「それにしても勇者様にはご負担をおかけします…魔王と婚姻関係を結んで平和を維持するという立場を一人で背負い込んで…」

 去り際の兵士の言葉は、さりげなく言ったただの言葉に過ぎなかった。


「おい」

「え?」

「俺は、別に嫌々あいつと結婚したわけじゃない。勘違いするんじゃねぇよ」

 レオンの言葉には何処となく怒気が含まれていた。世界の平和の為に人柱になった。そんな風に思われているのは我慢ならなかったからだ。


「も、申し訳ありません!とんだご無礼を!!」

「別に怒ってる訳じゃねぇよ。日も暮れてきたし、早く帰んな」

「は、はい!」

 レオンに急かされると、兵士は魔法陣の中に入り消えていった。レオンはさっきまで人がいたその残響をしばらく見つめていた。



「…明日は早いし、もう寝る準備をするか…」





 ~~~~~~~


 夕食と入浴を済ませ、根間着に着替えたレオンは布団にくるまっていた。

 いつもより早い就寝時間だが、朝早くから慰問に行く以上もう寝た方が良いだろう。そう考えたからだ。

 因みに今日の夕食もレティがひっきりなしに話しかけてきた。ただ普段より口数が多い感じであった。


「どうしたのかね…あいつ」

 そんなことを考えながらも、横になっていると睡魔が襲ってくる。

 良い感じに眠りにつきそうだ。このままスッキリ寝ちまおう。レオンは目を瞑って眠りに落ちようとした。


(あー、段々と暖かくなってきた。それにどこかくすぐってー。…くすぐったい?)

 思わずレオンは目を開けた。


「う~ん。レオン、一緒に寝ようぞ~」

 そこには白いネクリジェを着たレティの姿があった。


「て、おい!お前そこで何してんだ!」

「何って、夫婦なら一緒に寝るのは当たり前じゃろ?なにより私はお前と寝たい気分なのじゃ」

 直球過ぎる返事が返ってきた。レティのネクリジェは薄地であり、肌の色が透けて見える。見た目の年齢も併せて、なんともインモラルな雰囲気を醸し出していた。


「勘弁しろ!俺は明日早いんだよ!」

「いやじゃ~一緒に寝るのじゃ~」

「あぁうるせぇ!!」

「レオン~!レオン~!」


 そんな押し問答がしばらく続いたが、疲れたのかレティは大人しくなった。しかしレオンの根間着をぎゅっと握って離さなかった。

 コイツは何を考えているのだろうか?レオンは寝る直前の思考をもう一度張り巡らせようとした。

 しかしそうするまでもなく、レティが口を開き始めた。


「今日来た兵士の小坊主。わらわに怯えておったの…」

「は?」

 午後の話を急に振り返ってきたレティに、レオンは一瞬あっけにとられた。


「わらわは本心から、お主と、人間と共に生きていこうと思っておるのじゃ…けれどわらわのやってきた事を考えると少なくとも周りの人間は、それを許してくれないのかもしれぬな…」


 そう話すレティの声は弱弱しかった。普段豪快で自由奔放である彼女からは考えられない姿であった。


「…まだ半年だろ?俺もお前も、結果を出すのは早するだろ。いつものはねっ返り娘はどこいったんだ?」

 レオンは半ば軽愚痴を言うのが精一杯だった。


「レオン…」

「朝が早いのは事実だが…特別だ。静かにしてくれるなら、気が済むまでそのままでいろよ」

「ん…そうする…」


 そう言い残してレティは直ぐに眠りに落ちた。静かに寝息を立てているその姿はどこにでもいる幼子と何ら変わりは無いように思える。少なくともレオンはそう思った。


「今夜は気が高ぶって眠れそうにねぇな…」

 誰に話すわけでは無く、レオンは一人呟いた。





 ~~~~~~~


「…以上が、先日お話した時の勇者様の状況です」


 所は変わり、新兵はへりくだった様子で目の前の人物に昨日の謁見の報告をしている。

 場所はどこかのダンスホールのように広い大広間。天井にはキラキラと輝くシャンデリアがいくつも吊り下がっており、豪華絢爛と言うにふさわしかった。

 中央には赤い絨毯のが敷かれている。絹の素材が使われ、金色のだんだら模様が編み込まれていると非常に高価だという事がわかる。

 その絨毯の先には大きな玉座があり。その後ろにある非常に大きなスタンドガラスがはめ込まれている窓からは日の光がふんだんに差し込まれていた。


 玉座に座っているのはガレアス18世。レオンの故郷であるトリステラ王国を納める長であった。

 短い銀髪を上に立たせ、長い口髭を蓄えているその姿は、戦乱の渦中で混沌と化した王国全体を一手に支えてきた力強さを感じさせる。隣に控えさせている若き青年も、何とも知的そうな雰囲気を醸し出しており、国王の存在感に一味買っている。


「話は分かった。ご苦労であったな」

 国王のその言葉に、兵士は一息ついた。しかし先日の事があったばかりだ、その表情は未だどこか暗い。その姿を青年が見逃す事はしなかった。


「どうもあなたはお疲れの様ですね。本日は業務を切り上げてお帰りになって下さい。仕事が残っているならば、私から期限を延ばすように言っておきます」


 青年は兵士に語り掛ける。彼の名はアレス・レイ・イグルド。レオンの親友であり、レオンの旅路に旅立から同行した竹馬の友。そしてレオンと共に戦争と終結させた英雄の一人だ。

 金色の短髪は風が吹けば軽やかに揺れる程やらかであり、細目がちの眼球からは何とも穏やかな印象を受ける。それが知的な雰囲気をさらに押し上げる。そんな人物だ。


 元々は王立の魔法アカデミーの学生の一人であったが、レオンと一緒に魔王軍討伐のたびに同行し、実践を通してめきめきと実力をつけていき、人類でも相当の魔法の使い手となり「大賢者」と称されるようになった。戦争終結後はその功績をたたえられ、国の政に携わるべく政界に進出している。


「そんな!私なんぞの為に大賢者様の手を煩わせるわけにはいきません!」

「大賢者何て古い話はやめて下さい…今の私は皆様と共に国を支える一人の人間。まだ不慣れな事も多い新人です。あなたにも一人の同僚として見てもらい、共に苦労を分かち合いたいのです」

 慌てて兵士が断るも、アレスはやんわりと断る。そのへりくだった姿に、兵士は感動した。


「大賢者様…ありがとうございます…」

「だからその呼び方はやめて下さい…ほら、早く帰って休んでください…」


 そこまで言われた兵士は彼の心意気に甘え、いそいそと王室を出て行った。



「…話によると、レオンの奴は上手くやっているようだな」

「えぇ、魔王との婚姻何てすぐに破局が来ると思っていたのですが、仲がこじれていないようで何よりです。私は親友が愛に裏切られて泣く姿など見たくはありません」


 ガレアスのつぶやきに、アレスはそう答えた。


「最も相手は何をしでかすか分からない魔族を束ねる魔王。人間なんかの心を操る事など造作も無いのかもしれませんけどね」

 アレスは語る。そこには何処か棘が含まれていた。


「お主は納得していないのだな」

「当たり前です。奴ら魔王軍がこれまで我々に何をしてきたと思うのですか。丸ごと消され廃墟になった村もある。ある町では男は皆殺しにされ、女は慰め物にされた。目の前で我が子が首を飛ばされたのを見た母親は生き残った今も精神が侵され廃人になったと聞いています。そんな話は枚挙に暇がない!」


 話していく中で、アレスの語気がどんどん強くなっていく。


「そのような魔族と共存し、共に暮らしていくなんて事を誰が納得できましょうか!おまけに魔王は勇者であるレオンの奴と契りを結ぶなんて…どこまで奴らは我ら人間をコケにすれば…ッ!」

「口を慎め。もはや魔王は既に力の大部分を封印され、近隣の王国とも住民手続きも完了している、法的には地上の住民の一人なのだ。過激な事を言うでない」


 興奮しているアレスにを諫めるようにガレアスは語りかける。


「それに…あやつが地上に愛着を持っているおかげで、魔族が復興作業にも携わる事が出来ている。あいつらの肉体が人間より頑強な以上、復興作業が予想以上に捗っておる。世界を立て直すのに、もはや彼らは無くてはならぬ存在なのだ」

 事実魔王を倒していたら、我々は100年あっても立ち直れたかはわからん。そうガレアスはぼやいた。


「私とて今の現状に思う所がない訳では無い。だが魔王がレオンの奴を好きである以上、こちらに何かしてくることは無いだろう。レオンも結婚自体には満更でもない様子であったし、このまま様子を見るのが最善だろうな」

「しかし…ッ!」

 納得が出来ないアレスを尻目に、ガレアスは立ち上がった。

「これから各大臣との会議の時間だ、席を外す。今日の所はお前も体を休めるがよい」

 そう言ってガレアスは王室から出て行った。


 一人取り残されたアレスは、顔を打つ向かせ、下唇をかみしめながら震えていた。そして昔を思い出していた。






「クソ!魔王軍の奴らめ!俺らの町を滅茶苦茶にしやがって!」

 そう答えるのは3年前のレオン、今より容姿は幼いが溢れる覇気は全く変わっていなかった。

「全くだよ…おそらくあいつらをどうにかしない限り、僕たちはずっとこのままなんだろうね」

 親友が冷静さを欠いている分、自分が補おうと必死ではあったが、アレスも怒りを抑えるので精いっぱいであった。


「もう我慢できない!俺が大切な物、大切な人が食い粗さ得れる事を!だったら俺を好きでいてくれる物の笑顔を守る為に俺はアイツらと戦ってやる!!」

 友人の打倒魔王軍の決意。親友であるアレスがそれに心を動かされない訳がなかった。

「やるんだねレオン…だったら僕も手伝うよ。一人より二人の方が何倍も強い。二人で魔王軍を打ち滅ぼそう!」


「ありがとよ、親友!」

「頼りにしてるよ、親友!」

 そうして二人は腕を組み合わせた。忘れもしないレオンとアレスが故郷への旅立ちを決めた4日前の夜であった。






(なのに、どうしてこうなってしまったんだ…どうして…)

 そう考えるアレスの心の中には、とてもドス黒い物が埋まっていた。





 ~~~~~~~


「ふんふ~ん」

 レオンと兵士との謁見から5日が過ぎた。あの日は気分が落ち込んでいたレティだったが、今はすっかり立ち直り鼻歌を歌いながら廊下を歩いていた。


「もうすぐあやつの誕生日じゃからな、部屋に花でも飾っておこう。花なんて柄じゃないとか言い出しそうじゃが、あやつの部屋はどうも殺風景であるから少しは彩が無いと困る」


 そう言うレティの手には花束を抱えていた。花は人間が走破するには並大抵のものでは無いと言われている山脈に生えている高山植物だ。その落ち着いた色合いは見る人の心を和ませると言われており、一目見ようと頂を上る旅人は後を絶たないが、あまりの過酷さ故に命を落とす者も少なくない。しかし自在に空を飛べるレティにとっては造作もない事だ。


 それでもここからは大分離れている為、昨日は一日中空を飛び続けなければいけなかった。まさに一日がかりの大作業であった。それでもレオンを驚かせたいという一念が、彼女を動かしたのだ。


「黙っておいたからの~見つけたらどういう反応をするのじゃろうか?サプライズ、サプラ~イズ…痛ッ!」

 前を見ずに歩いていたからなのか、レティは誰かにぶつかってしまった。思わず尻もちをついてしまう。


「痛た…どこを見て歩いておる。危ないではないか…とお主はたしか…」

「久しいですね。レティシア様」

 目の前の相手はアレスであった。目を細めてにこやかに笑っている。


「確かレオンの幼馴染である、魔法使いであったの。久しぶりじゃな。だがあいにくだがレオンは今狩りに出ているから不在じゃぞ。おまけに国王に渡す手土産も無いのじゃ。お構いできなくて申し訳無いのう」

「ご心配なく、あなたからは充分な手土産を貰う予定ですから」

「何じゃと?」



 するとアレスはレティの前に近づき、素早く魔力封じの手錠をかけた。


「な、何をするのじゃ!」

「あなたの命と言う、何よりの手土産をね」





 ~~~~~~~


 応接間の魔法陣が光る。その光った先に現れたのは狩りから戻ってきたレオンであった。

 手には野ウサギや山菜、木の実などを手に提げている。あれから大分元気を取り戻してはいるが、どことなく陰を感じたレティに、少しでも元気を出してもらいたいと思い、久々に人里に降りて取ってきたものだ。


(今日は久々に俺が料理してみるか。思い返せば旅をしていた時以来だな)

 そんなことを考えながらレオンは食堂に向かう為、応接間を出た。

「おい帰ったぞ。厨房を使わせてくれ」


 そう言いながら廊下に入ったレオン。しかしレオンが目にしたのは惨状だった。


 大理石の壁にはあちこちに亀裂が入っており、廊下を照らしていたランプはことごとく破壊されており、飾ってあった像や絵画も全て壊され引き裂かれており見る影もない。レオンは思わず荷物を手放してしまい、それに気が付かない。それほどまでの状況であった。


 何よりそれ以上なのが、城に住んでいる付き人達の状態だ。

 腕の骨を折られた者、頭から出血して意識が朦朧としている者、右肩から心臓に向かって袈裟型に切られて致命傷を負っているものなど、五体満足で済んでいる者は誰一人いなかった。


「うぅ…兄貴ィ…」

 そんな中レオンの方に向かってくるものがいた。レティの一番の付き人であるゴブリンであった。顔は大きく腫れ、片足を引きずっている。レオンは素早く、彼の元に駆け寄った。


「どうした、何があった?」

 レオンは冷静に尋ねた。しかし心の動揺は抑えようがなかった。

「兄貴の国の兵士が、魔王様の命を奪おうとやってきて…俺たちも必死で抵抗したんですがこのありさまで…」

「国の兵士だと?」

「指揮は金髪の魔術師が執ってました…おそらく戦争に参加した大賢者かと…」


 大賢者、その呼び名には聞き覚えがあった。

「まさか、アレスが?」

「レティ様も連れ去られて…ゴホッ!」


 そう言いながらゴブリンは血を吐いた。

「もういいしゃべるな」

「早くいかないと、レティ様も危険です…すいません、なさけなくて…」


 ゴブリンはそう言いながら気絶した。


 それを聴いたレオンの表情は、先ほどの動揺からは考えられないほど冷めていた。

 そして、レティが捕らわれている屋上に一目散に向かうのであった。





 ~~~~~~~


 屋上には人がいた。大怪我こそないがあちこちにスリ傷や切り傷があり、ひざまずいているレティ。そのレティに武器を向けながら取り囲んでいる4人の兵士。レティの姿を満足そうに見下しているアレスの姿があった。


 空模様は荒れている。元々青空はほとんど見えない場所であったが、この日は特に雲が厚く灰色どころか黒色の空模様であった。ゴロゴロと遠くで雷鳴の音も響いている。まるで今のレティの心情を表しているかのようだ。


「あなたは一応扉の傍で待機していてください。誰かが来るかもしれませんから」

「は!」

 アレスに命じられた兵士の一人は、威勢の良い返事を返し城の内部に通じる扉の元に向かっていった。

 それを見届けたアレスは、見下ろした形で再びレティに話しかけた。ただでさえ力を封じられているのに魔力封じの手錠までかけられている。今の彼女は子供同然であり、まさに無力だった。


「申し訳無いですね。せめてもの情けでお天道様の下で天に送って上げたかったのですが」

 あぁ、あなたが行くとしたら地の底の地獄ですか。そう言い直してアレスはクツクツと笑った。

 対するレティは泣きそうな表情でアレスを見上げるだけであった。


「なぜじゃ…今のわらわ達はお前たちに何もしてはおらぬのだぞ…」

 そう悲し気に、レティはアレスに問い掛けた。何で私がこんな目に、そんな気持ちを込めた言葉であった。


「確かに今はそうでも、今までがですね…流石に無かった事にはできないのですよ」

「だからそれは悔いておる…これからは地上の一員として人間と共に平和に生きようと…」

「これまでの人間の平和に魔族なんていませんでしたから、むしろ平和にしたいというのならばあなた達の存在自体が邪魔なんですよ」


 暖簾に腕押し、レティの懺悔はアレスに届くことは無かった。


「安心してください、魔王とは言え親友の嫁です。せめて苦しまずにあの世に送ってあげますよ。氷の矢で脳天を一突き、痛みも感じずにそれで終わりです」


 アレスは氷の矢を生み出し手に持った。この魔法は練度が低く、技量が低い物でも扱える。今の貴方はこんな物でも殺せる。アレスはそんな侮蔑も込めていた。


「やはり…わらわに生きる資格はないんじゃな…」

 レティは絶望したかのように顔をゆがめ下を向いた。彼女完全に心が折れていた。


「そうその顔です、そのままで死んでください。その姿を見たら、あなた達に殺されてきた多くの人達の溜飲も少しは下がるでしょう」


 では行きます。そう言ってアレスは握りしめた氷の矢を頭上に振りかぶった。


(すまぬレオン…わらわはやはり許されない存在であった…)



 アレスは矢を振り下ろした。

 いやそうしようとしたのだ、だがその手はレティに下ろされる事は無かった。

 なぜなら彼の視界には扉で見張りを命じた兵士が目の前に立っていたからだ。


「何をしているのです、あなたは見張りを続けて下さい」

 しかし、兵士は返事をしない。それどころかその目は焦点があってなくどこを見つめているか分からない、アレスは何を考えているか分からなかった。


「だから早く…」

「な、なんて奴だ…」

 そう言い残して兵士は倒れた。その倒れた兵士の後ろからは一人の男が現れた。レオンだ。


 思わず、兵士たちは気を張り詰めて散開する。その一瞬をレオンは見逃さなかった。

 兵士の囲いから逃れたレティに詰め寄り、素早く手錠の鎖を力任せに件で引きちぎり、彼女の安全を守ろうと自身ん後ろに彼女をまわした。


「れ…レオン…」

「黙ってろ」

 息も絶え絶えに話しかけるレティをレオンは静し、薬草を食べさせる。回復魔法が苦手である彼には欠かせない物であった。効力は高くないが、最低限の体力は回復できる。

 ある程度の回復を見届けたレオンは、立ち上がってアレスの方に顔を向けた。


「よう、アレス久しぶりじゃねぇか。旅が終わって解散した時以来か」

「そうだね。君は結婚式すら上げなかったからねぇ。最も相手が魔王じゃ出席も願い下げだったけど」


 レオンは兵士の方も睨みつける。

「お前らも情けねぇな。天下のトリステラ王国の王立騎士団が、唯の一般市民をボコボコにして出世の点数稼ぎってか?俺の代の方がまだ骨があったってもんだぜ。さっきの奴だってちょっと殺気を出しただけで怯えちまってよ」

「黙れ!そいつは僕たちに地獄を見せてきた悪魔だ!」


 自分の過去を軽く振り返っているレオンを見て、アレスは激昂する。


「悪魔ねぇ…お前も変わったもんだな。昔はお前をイジメていたガキ大将に、俺が悪口を言ったのを聞いただけでも泣いて止めようとしたのによ」

 そんな言葉聞きたくないよ~レオン~てよ。レオンはからかうようにそう言った。


「変わったのはお前だ…何で魔王を庇う?」

「何でもねぇだろ。俺はコイツと結婚してるんだぜ?夫が妻を守るのが仕事だろうよ?」

「そもそもそれが間違ってるんだ!何でお前が魔王と結婚しなければならない!なんでそいつが幸せにならなければならない!」


 アレスは叫ぶ。

「僕たちが、この世界の皆が魔界の魔族にどれだけ苦しめられたか知っているだろ!魔族が攻めてこなければ、この世界の多くの命が失われる事も、世界が崩壊する事も無かった!!それも全てそこの魔王が、悪辣な軍団を率いてきたからだ!!!」


 声がどんどん大きくなる。それでも彼は言い続ける。

「僕たちは誓ったはずだ!絶対に魔王軍を倒しこの世界に平和を、明日を取り戻そうと!その想いがあったからこそ、僕も仲間たちもあの大冒険を成し遂げる事が出来た!そのリーダーであるお前が!どうして諸悪の根源の魔王と一緒にならなければならないんだ!」


 アレスは、レオンに杖を向けながらこう言った。

「だから僕は魔王を倒し、人間の明日とお前を取り戻す!それでも庇うというなら僕の中のレオンはもう死んだ!ここで魔王と一緒に終わらせてやる!!!」



 レオンはアレスの言葉を聞き遂げ、ため息をつきながらこう言った。

「お前こそ忘れてんじゃねぇか。笑わせんじゃねぇよ」

「…何だと?」

「もう一度思い出してみろよ、旅立ちの誓いってやつを」


 レオンはアレスを矢で射貫くように見つめた。反射的にアレスの脳内はあの時の誓いがこだました。



(「俺を好きでいてくれる物の笑顔を守る為に俺はアイツらと戦ってやる!!」)



「俺は昔と何ら変わっちゃいねぇ。レティを守る理由だって?そんなのこいつが俺の事を『好きだ』と笑顔で言ってくれているからだ」

 当人が傍に入るというのに臆面もなく言うレオン。だが彼は続ける。

「けどな、俺にとっちゃこいつを守る理由なんて、それだけあれば十分なんだよ」



 そう言ったレオンはアレスと周りの兵士の前に歩を進める。

「抵抗するのかい?勇者と奉られているとはいえ、今の君はただの一般人だ。政界に入ってからも常に鍛錬を欠かしていない僕に敵うとでも?」

 それは事実であった。彼は旅を終えた半年前から戦闘などロクにしていない。そこらの一般兵ならともかく、旅路を共にした同志に対しては難しいものがあった。


「ま…待てレオン。はやまるな。相手はお前の親友じゃろ?友と殺し合うなどしてはいかん…」

 ただならぬ雰囲気にレティは諫めるように声をかける。このような目に合わされても、彼女は愛する人が近しい人と争うなどして欲しくは無かった。


「安心しろよ…ただの喧嘩だ。こいつは見た目の割に昔から頑固でよ。言い争いになった時は殴り合いで決着をつけたもんだ」

 まぁ俺の方が白星は多かったけどな。そう言うレオンは自信満々だ。


 レティはそんなレオンを見つめていた。怒りが満ち溢れているのにどこか冷静であり、なおかつ楽しんでいる様であった。こんな姿の彼を見るのは初めてだった。だがレティはそんな彼に力強い頼もしさを感じていた。



「喧嘩か…なら、ギャラリーがどちらかに肩入れする位は、許されてくれような」

「あ?何言ってんだお前…」


 レオンが言い切る前に、レティはその口を自身の唇でふさいだ。ボロボロである彼女だったが髪の残り香はまだ残っており、それが鼻孔をくすぐった。しかし彼にそれを深く感じる余裕はない。なぜならそれはただのキスでは無い。魔族の魔力を人間に注ぎ込む、そんな行為であるからだ。


「たくっ、これは俺にも負担がかかるっていうのによ…」

「今のわらわにはこれが精一杯じゃ…お灸をすえるなら早くやれ…!」

「分かってるよ…お前は城の連中に回復魔法をかけてこい。かけ終わる頃には全部終わらせておくからさ」

「うむ!」


 そう言って、レティは城の中に駆け出した。そして魔力を受け取ったレオンは、激しく咆哮し始めた。


「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 レオンの姿が変わる。鋭さがある目つきは黒目が消え三白眼に、茶髪の髪は白髪に変わる。加えて彼の周りにはどす黒いオーラが立ち上っていた。これは魔族が強大魔力を行使する際に現れる特徴的な姿だ。


 オーラによって巻き上がる風を受けながら、アレスは狼狽えた。

「バカな…この力は…!」


 実の所、人間も魔族も行使する魔法の性質は変わりはない。火・水・風…ありとあらゆる自然現象の力を行使するというのは両者ともに同じだ。


 ただ人間の魔力は大気中に存在する各種元素の精霊の力を用い、精霊の力を姿かたちを変えて放つという「天からの力」であり、魔族のそれは、深き地底に存在する自然の力を取り込み、それを自らの力として放出する、言うならば「地の力」であり、魔力の在り方は根本的に異なっていた。

 それ故に魔族が人間の魔法を使う事は不可能であり、その逆もしかりであった。


(だけど、今あいつから感じ取れるのは魔族の魔力だ…。あいつは人間でありながら魔族の力を使えるというのか?そんなバカな!)


 しかしレオンはただ一人の例外であった。魔王であるレティとの結婚はパートナーとしての契約でもある、その為彼は彼女の魔力をその身に取り込め、自身の力とすることができるのだ。


「あ、アレス様…」

「流石にこれはマズいのでは…」

 周りの兵士も次々と動揺している。無理もない、アレス自身も平静ではいられないのだから。

 だがまとめ役たるものが、心を乱すわけにはいかない。アレスは兵士に語り掛ける。


「何を怯えているんです!勇者と言えども今となってはただの人。国を守る為日々過酷な鍛錬を積んでいる王立騎士団が負ける訳はありません!皆で戦えば絶対に勝てます!」

 アレスは兵士を鼓舞するように叫んだ。


「勇者を倒し生き残った者は私から国王様にその手柄を、名誉を進言します!名誉ある近衛兵、軍団長への道も夢ではありませんよ!」

 その言葉を聞いたとたん、兵士の目が色めきだった。ただ一人の相手を倒すだけで出世が約束される。末端の一般兵にはその言葉はあまりにも魅力的だった。兵士たちは武器を構え、レオンの前に立ちはだかる。


 しかし当のレオンは物怖じもしていない。

「手加減はしてやるが、無傷は約束できねぇ。かかってくる奴はそれを覚悟してくるんだな」


「我々王国の平和の為、魔王共々死んでいただく!」

「勇者様、お覚悟を!」

 兵士は、剣を上段に構え、思い切り振り下ろす。その速さは流石は名門である騎士団と言った所だ。ただの人なら動く間もなく、脳天から切り落とされていただろう。


 しかしレオンは格が違った。

 自身の鞘に入れたままの剣を片手でかかげ、相手の剣を素早く受け止め、そのまま懐に入り込み、剣を持っていない方の手で相手の鳩尾に拳を叩きこんだ。その拳をまともに受けた兵士は、はるか彼方に吹っ飛んでいった。


 もう一人の兵士はその背後から後頭部を狙おうと剣を振り下ろした。しかしレオンはそれも何事もないかのように自身の腕で受け止めた。魔王の魔力によって頑強になった肉体は、これくらいの事ではびくともしなかった。そのままレオンは後ろを向いたまま、兵士の腹に肘鉄を食らわせる。兵士は背後の壁に勢いよく叩けつけられた。


「ひぃ…ッ!」

 最後に残った兵士が怯えている隙に、レオンは剣で相手の側頭部を叩き、昏倒させる。

 流石に切り捨てたくは無かったので鞘に納めた状態であるが、それでも無傷ではいられない。

 これで残ったのはアレスのみだ。


「…流石だねレオン。まさかここまでの力を持っているとは思わなかったよ」

「お前はどうすんだ?今すぐあいつに土下座して謝るって言うなら大目に見てやってもいいぞ」

「ははっ、それはごめんだね。僕は自分が這いつくばるのは死ぬほど嫌いなんだ…よ!」


 アレスは杖をレオンの前に掲げる。それと同時に爆炎が上がり、巨大な炎の柱がレオンを包み込んだ。

「どうだ!僕の意思がない限り決して消えることが無い聖なる炎だ!今の僕の力はかつての魔王をも超えた!いくら君でもこれを食らえば骨すらも残らない!あの世で魔王と添い遂げようとした事を後悔しなよ!」


 炎を見つめながら、アレスは高笑いをする。彼は親友をこの手で討てたことに満足していた。

 気が収まったのか、アレスは炎を手で握るように拳を握り炎を消した。そこにはレオンの亡骸の灰だけが残っていた、はずだった。

 炎が消えた先には何一つ残っていなった。


「そ、そんな!あいつは何処に!」

 狼狽えた瞬間背後から、殺気を感じた。寒気すら感じるほどに。


「こっちだ」

 レオンは背後から声をかけた。彼は爆炎が身を包む前に、目にもとまらぬスピードでアレスの背後に回り込んでいた。これも魔力を体内に宿す事でできた事だ。


「避けたのか!ならば次は光より早い稲妻でお前を引き裂いて…ッ!」

「させるか」

 振り向き、次の攻撃を仕掛けようと杖を掲げたアレスの懐に、レオンは一足飛びで飛び込んだ。そして自身の剣で杖を持っているアレスの右腕の脇を、飛び上がりながら叩きつけた。


「ぐあぁぁぁぁ!」

 アレスは悲痛な声を上げる。肩の骨が砕ける嫌な音がし腕の腱も断ち切られた。もう右腕は使えない。

 レオンはそんなアレスの頭上から声を投げかける。


「這いつくばるのが嫌い…なら自分が嫌な事を他人にさせてるんじゃねぇ…」

 レオンの言葉には何処か憐れみを感じさせた。


「自分がやられてその気持ちを考えやがれ。しばらくそこで反省しな」


 レオンは頭上からアレスの頭頂部に思い切り剣を叩きつけた。

 アレスは顔面を地面に勢いよく顔を打ち付け、そのまま気絶した。大理石の地面にはクレーターが出来ていた。それ程の衝撃であった。





 ~~~~~~~


 全ての相手を倒してレオンはふぅと一息ついた。立ち込められた魔力は引っ込み、目の虹彩も髪の色も元に戻った。レティの魔力が切れたのだ。


 気が付けば空模様も大分落ち着いている。雲が晴れる快晴とはまではいかないが大分薄くなり、雲の隙間からは光芒が差し込んでいる。


「普段もこれくらいの天気ならいいんだがな…」

 レオンはそうぼやいた。


「うぅ…」

 気絶から立ち直ったアレスが、うめき声を出しながら立ち上がった。


「気絶させる瞬間、防御魔法をかけて重傷だけは避けたか。流石だな」

 そんな彼の姿にレオンは声をかける。たがその賞賛はアレスには届かなかった。


「後悔するぞ…」

「なに?」

「お前が魔王と共に生きる事、いつか絶対後悔する時が来る!僕は許さない。打倒魔王軍を掲げたあの時の友情を裏切って、魔王と仲良くするお前を!僕だけじゃない!この想いは他の仲間たちも一緒だ!仮に僕がやらなくても他の皆が…」

「だからどうした」


 アレスの主張を遮るようにレオンは言葉を挟んだ。



「仮にお前がもう一度襲ってきても今回の様にのしてやるだけだ。他の奴らが来てもそれは変わらねぇ。俺の生活を邪魔する奴は全員お灸をすえてやる」


 レオンはアレスを睨みつける、その眼光の鋭さにはかつての大賢者と言えども、一歩引く事しかできなかった。


「う…うう…」

「今回ばかりは親友のよしみで見逃してやる。さっさとここから帰りやがれ」

「お、覚えてろよ!」


 アレスは右腕を庇いながら、城の中に消えていった。


 一人屋上に残ったレオンは、一人感傷に浸っていた。

 本格的に相手に剣を振るったのは久しぶりだし、流石に親友が自分の身内を襲うという状況に気疲れしたのだ。倒した兵士もこれから王国に返すために魔法陣に放り込まなければならないと思うと面倒で仕方がなかった。


「おい、レオン。回復魔法はかけ終わったぞ。幸いにも全員無事じゃった…」

 仕事を終えたレティは再び屋上に戻ってきた。


「レオン…?」

 レティの目の前には、どこか物寂しそうにうつむいているレオンの姿があった。雲の隙間から差し込む光に照らされていながら憂い気に佇むレオンの姿は美しかった。レティはそんな彼の姿に見とれていた。


 一時の間佇んだ後レオンは口を開く。

「一度やらかした奴が、相手の世界で生きる事は楽じゃねぇ…。怒りや憎しみ、そんな気持ちを受け入れて行かなきゃならねぇんだ。それは陽の光が届かない深い森の中と同じ、先が見えねぇ茨の道だ」


 レオンはそう言いながら、レティの方を振り返る。

「それでもお前は、この世界で生きていきたいか…?」


 レティは言葉を発する代わりに、レオンに駆け寄り真正面から抱き着いた。

「茨の道でもかまわぬ!いつかその道を抜けられたら、そこには青空が広がっている大地も、待っておるのじゃろう?」


 レティは目を潤ませながら彼の顔を見上げそう答えた。その姿にレオンは一瞬あっけにとられたが、直ぐに表情を緩ませ、慈しむように微笑んだ。


「…あぁ。お前は素直だから。いつかきっとたどり着けるさ」

 そう言いながらレオンはしばしの間、彼女を抱きしめ続けた。





 しばらく抱き合った後、レオンは彼女から離れた。気恥ずかしかったのだろう。レオンは頬をポリポリと掻きながら、横を向き、彼女をから目をそらした。


「というか、お前は俺といていいのかよ?あいつ懲りてない見たいだったし、他の仲間も襲ってくるとか言ってたぞ?たぶんまたこんな危険な目に合うぞ」レオンはそう尋ねたが。


「わらわはお前が大好きじゃ」

 レティは目を大きく見開き、彼の目を見つめてハッキリとそう言った。これが答えだ。


「んな…!」

「わらわはお前との子供が欲しいぞ!今回の件でさらに惚れ直した!お前のカッコよさを、我が子にも未来永劫伝えたいのじゃ!」


 恥ずかしい言葉を次々と言い出すレティ。たまらずレオンは後ろを向き、城の中に戻ろうとする。


「バカかお前は!ガキのくせしてマセた事を言ってんじゃねーよ!」

「ガキでは無い!わらわは930年も生きておる!」


 その言い争いは、いつもの日常と何ら変わりは無かった。

 愛しさが抑えられないかのように、彼女は飛び上がって、アレスの首に手をまわし、後ろから抱き着いた。


「レオン!わらわは死ぬまでお主と一緒じゃぞ~!」

「離れやがれ~!」

 彼女の言葉と行動を迷惑そうに拒否するレオンであったが、その顔はまんざらでもなさそうなのであった。






 レオン・バルトゥース、年は18で元勇者。妻は元魔王のレティシア・ラムスウィート。


 二人の仲は、まだまだこれからである。

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デモン☆ぶらいだる! ことと @pokopon_tokoton

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